お祭りに必要な魔法ーー「幻日のヨハネ」8話レビュー&感想

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珍しき「幻日のヨハネ」。8話では夏祭りのさなかトラブルが起きる。これはヨハネが「祭り」に必要な魔法を知るお話だ。

 

 

幻日のヨハネ -SUNSHINE in the MIRROR- 第8話「届け!Sea breeze    」

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1.祭りは非日常

異変を止めるためヨハネ達9人が歌を歌う舞台、夏祭りの日がやってきた。各人がそれぞれ屋台を構えるなどする中、ヨハネはなんとたこ焼きを焼いており……!?

 

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ハナマル「はーい! こちらヌマヅ夏祭り限定のハナマルパンを販売してまーす!」
ルビィ「いかがですかー?」

 

今回はヌマヅで夏祭りが開かれる回だ。いわずもがな、夏は日本で祭りが開かれる定番の季節である。祭りの由縁はその土地その祭りによりけりだが、共通して言えるのは「珍しさ」であろう。屋台の食べ物には日頃の店頭の商品とはまた違った美味しさがあるし、登場人物の一人ハナマルがやっているように祭り限定の商品が売りに出されることも珍しくない。道路を山車が練り歩き、周囲を普段はそこにはない店が埋め尽くす……「ハレとケ」とも呼ばれるように、夏祭りとは非日常の空間そのものだ。

 

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ヨハネ「な、なぜこんなことに……!?」

 

夏祭りを非日常の空間として捉えた時、今回のヨハネは確かに非日常的な経験をしている。占い屋として出店していたはずが隣のたこ焼き屋から店番を頼まれて彼女はてんやわんやだが、通りがかった友人のマリやリコが「たこ焼き屋さんになったの?」と聞くように1人で100個も200個も焼くのは彼女の日常では考えられないことだろう。また調理とお客さんの対応を一人ではこなしきれなくなってしまったヨハネリュウ・セツ・ランの3人の子供達に店を手伝ってもらうが、ヨハネとしては3人は手の焼ける連中という印象だったのだからこれも日頃では見られない光景だ。どうにか隣の店の人が戻ってくるまで店を仕切れたヨハネがお礼にもらったたこ焼きは、これもまた非日常的な美味しさであった。

 

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ダイヤ「まあ! とっても美味しそうですわね!」

 

非日常はふだんは起きないことが起きるものであり、それは目に見える飾りばかりではない。普段は厳格な行政局執務長官のダイヤが大好きな抹茶のお菓子を我慢できず私情に走ってしまうこともあるし、射的で一等賞を取れる時だってある。店番の終わったヨハネはハナマル達との屋台周りを満喫するが、祭りが人の心を捉えて離さないのはこうした楽しさ心地よさが大きな理由だろう。ただ、非日常は良いことばかりとは限らない。

 

2.お祭りに必要な魔法

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ライラプスヨハネ、それ……」
ヨハネ「あれ……? ウソ……!?」

 

非日常は良いことばかりとは限らない。仲間達と一緒にお祭りを楽しんでいたヨハネはしかし、その陥穽を知ることになる。なんと、1話で手に入れた不思議な杖をいつの間にかなくしてしまったのだ。これは祭りの日の装い(本作の世界で言う浴衣なのか?)では普段のように腰の後ろにくくりつけられなかったために起きたもので、起きてほしくないことだがこれもまた非日常の一つには違いない。仲間達も手分けして探してはくれるものの、遠くの音も聴けるマリの角も賑やかさのあまり声を聞き分けられないなど捜索は難航。非日常は一転してヨハネに牙を剥くように意地悪になってしまった。

 

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ヨハネ「ここにもない……」

 

ヨハネは思い返す。最後に杖を見たのは、皆で仲間の一人カナンの射的に興じた時……すなわち祭りの楽しさが最高潮になっていた時だった。彼女達はそこから射的の時にちょうど後ろを通っていた山車のどこかに杖が隠れてしまっているのではないかと考えるが、祭りの象徴である山車はいわば非日常の象徴だ。故に、同じく非日常の産物である不思議の杖をそこから探すのは用意ではない。物語が杖を再発見するロジックを見出だすには非日常というものへの変化が必要であり、それは意外にして拍子抜けするようなものだった。

 

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ライラプス「なんだ蝶か……ん? ヨハネ!」

 

実際、ヨハネ達はどうにか杖を見つけ出すが、その過程はお世辞にもドラマチックとは言えない代物だ。子供達がヨハネの相棒の狼獣ライラプスの頭上に虫がいるのを発見、驚いたライラプスが飛び上がって山車に乗ったところ飾りの鳥のくちばしに引っかかっているのを発見するというのだから盛り上がりも何もあったものではない。ただここで重要なのはそのしようもなさ、ある種の日常性であろう。ライラプスは虫が大の苦手だが、ヨハネがあまりそれに絡めた冗談を言うものだから最近はすっかり驚かなくなっていた。けれどヨハネではなく子供達に言われたようでかつてと同じ反応をーーすなわち日常的な反応を示したのである。

 

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ヨハネ「あれれ? 虫さんが」
ライラプス「ふふーん、もうその手には乗らないよ」

ヨハネ「むー……」

 

非日常だから大切なものを紛失する。非日常だから見つからない。ライラプスが飛び上がるまで、ヨハネ達は非日常の泥沼にあった。杖が見つからない動揺のあまり、ヨハネはとうとうライラプスに八つ当たりしてしまうほど日常の自分を見失っていた。けれどライラプスの行動はその逆だ。彼はヨハネではなく子供達に言われるという非日常を通して、虫が苦手なあまり飛び上がってしまうという日常に帰還した。狙ったわけではもちろんないが、ライラプスは「楽しい非日常の裏には悪夢のような非日常がある」という構図に捕らえられていたヨハネ達に「非日常の裏返しは日常」という新たな視点をもたらしたのだ。「ハレとケ」をもう一度語り直したと言ってもいい。

 

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ライラプスへの八つ当たりを謝ったヨハネは、歌を歌ってしまえばお祭りが、非日常が終わってしまうことへの寂しさを吐露するが、ライラプスはその寂しさも歌えばいいと助言する。その気持ちが、「ハレとケ」への認識が彼女の歌声の色合いを深くするのは言うまでもない。
どれだけ楽しくとも非日常は永続しない。いいことばかり起きるわけではないし、いずれはソーシャルゲームのように飽きていってしまう。けれど、だからといって非日常が無意味なのかと言えばそれも間違いだ。いつか日常に帰ることを知り、そのかけがえのなさを噛みしめるなら非日常はいっそうかけがえない思い出になる。いや、その上でこそ私達は本当の非日常にたどり着くことができるのだろう。だから皆と歌いたいと改めて願うヨハネの頭上で不思議の杖は輝きを発し、そこから挿入歌「Wonder Sea breeze」を歌うヨハネ達のステージがーー夏祭り一番の非日常が幕を開ける。それはおそらく、今までは賑やかな町の様子を羨ましそうに見ているだけだったヨハネが本物のお祭りに参加できた瞬間でもあった。

 

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祭りは華やかに町を、場所を飾るだけで成立するわけではない。ハレとケを、非日常と日常を知った上で非日常を謳歌するところに祭りを成立させる魔法は潜んでいるのだ。

 

 

感想

というわけで幻ヨハの8話レビューでした。こ、今回は難しかった……! いつもの「魔法と場所」で言えば祭りが鍵だろうと検討はついてもそこからさっぱり思考が動かない、どうしてライラプスが虫に驚いて飛び上がると杖が見つかるのか理路が全く分からないとドツボにハマってしまい、自分なりに整理するまで何度も視聴を繰り返すことに。

 

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ヨハネにとってライラプスはいて当たり前(日常)のように感じている存在なので、それを問い直す布石の回でもあるのかな。ダイヤさんの表情豊かで見ていて幸せな気分になりました。

 

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