できること、できないこと――「機動戦士ガンダム 水星の魔女」21話レビュー&感想

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可能性を探す「機動戦士ガンダム 水星の魔女」。21話では最後の戦いへスレッタが踏み出す。彼女にとっての「できること」とは果たして何だろう?
 
 

機動戦士ガンダム 水星の魔女 第21話「今、できることを」

ノレアの暴走によって崩壊したアスティカシカ高等専門学園。
生き残った学生たちは、救護を待ちつつ避難生活を強いられる日々を送っていた。
そんな中、スレッタは学園の復旧作業に積極的に従事する。
一方、地球から帰還したミオリネは、重い罪悪感に囚われていた。

公式サイトあらすじより)

 
 

1.できない大人

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企業をバックにした抗争と学園という2つの要素を重ねて描かれてきた「機動戦士ガンダム 水星の魔女」。大人(親)と子供の二重構造で展開してきたとも言えるが、前回テロリストの少女ノレア・デュノクのガンダム・ルブリス・ソーンの暴走で学園は完全に崩壊、授業どころではなくなってしまった。二重構造が壊れた本作はしかし、大人が子供を押しつぶすといった事態を招かない*1。今回見えるのは、むしろ大人の無力さだ。
 

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グエル「……くそっ」
 
子供から見た大人というのは、自分より様々なことができる存在だ。知識、肉体、金銭、権力エトセトラエトセトラ……今は無理なことも大人になればできると信じて子供は大人になろうとする。学園最強のパイロットだったグエルは髪を切ってジェターク社のCEOになったし、主人公スレッタの花嫁だったミオリネは巨大企業ベネリットグループの総裁への就任が決まっている。その成長はこれまで確かに物語を動かしてきたが、だからといって彼らの願いが叶ったわけではなかった。
 

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グエル「ペトラは?」
フェルシー「まだ、危険だって……大丈夫ですよねペトラ? 助かりますよね!?」

 

例えば学園への攻撃は多くの死傷者を出したが、その中にはグエルの弟ラウダの恋人・ペトラの名もあった。事件から数日を経ても危険な状態の続く彼女の容態が友人のフェルシーは心配でならないが、グエルにはかけてやれる言葉がない。ペトラの負傷に加えて前回兄が父を殺したと知って失踪したラウダに対しても同様だ。
 

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グエル「抱えすぎるな、お前のせいじゃ……」
ミオリネ「わたしよ。地球の人達も学園も、ぜんぶ……」

 

またミオリネはと言えば、調停を成功させたはずが虐殺の大惨事を引き起こしてしまったクイン・ハーバーでの罪悪感が重く心にのしかかっていた。加えて彼女はスペーシアン(宇宙移民者)によるアーシアン(地球居住者)への搾取を止めるべく陰謀を働かせて捕まった幼なじみ・シャディクと再会するが、そこで知らされたのは以前の決闘でミオリネへの恋を諦めたからこそシャディクは陰謀の実行に踏み切ったという事実であった。ミオリネはもちろんこれらの悲劇を望んだわけではないが、自分が"大人"になるためにしたことはことごとく裏目にしか出なかったと絶望的な気持ちが今の彼女にはある。
 

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議長「議会連合憲章第7条に基づき、ベネリットグループへの強制介入を議決する」
 
大人は子供が思うほど自由ではない。時限爆弾のようなシャディクの策謀によってベネリットグループは宇宙議会連合から企業解体を目的とした強制介入を宣告されるに至るが、それに対しミオリネやグエルの手立ては皆無だ。シャディクの養父であるサリウスは自分達のグラスレー社に全ての責任を押し付けグループを存続させるよう進言するが、父デリングのように他者を切り捨てられぬミオリネはそれも受け入れられない。
 

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ミオリネ「できません。……誰かを犠牲にするのはもう、嫌です。」
 
ミオリネは言う。「できません」と。できることを広げられると信じて大人への道を歩んだ彼女が見たのは、むしろ自分の「できないこと」への無力感であった。
 
 

2.できること、できないこと

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スレッタ「どうぞ!」
 
ミオリネが「できないこと」への悲嘆に暮れる一方、逆に積極的なのは主人公のスレッタだ。もっとも今の彼女は家族同然のMSガンダムエアリアルに去られもはや学園最強のホルダー(パイロット)でもないから、ミオリネ達が直面する問題を解決できるわけではない。ただの一学生に過ぎない彼女はあまりに無力で、しかし自分に「できる」ことを一生懸命やっている。避難所生活を余儀なくされている学生達にブランケットを配ったり、壊されたミオリネの温室で冷凍保存していたトマトを電力も不安定だからと配ったり……なんでこんなことをしているのかと生徒の一人セセリアに問われて「わたしは動けますから」と答えるスレッタの様子は、かつて泣き伏していた時期が嘘のようだ。
 

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スレッタ「お母さんを説得するのは、たぶん、無理だと思います」
 
スレッタは知っている。今の自分はだいそれたことが「できる」存在ではないと。クイン・ハーバーでの虐殺のきっかけを作ったスレッタの母プロスペラは巨大機構クワイエット・ゼロを通して世界を書き換えようとしており、スレッタは現れた議会連合の査察官グストンから説得を依頼されるが当初は断ろうとした。プロスペラにとって一番大切なのは今はエアリアルの中にある娘エリクト・サマヤの精神であり、エリクトのリプリチャイルドとして生み出されクワイエット・ゼロ実現のための鍵でしかない自分には何もできないと感じていたためだ。
 

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グエル「議会連合の艦隊が、こんな簡単に……!」
 
子供には大したことはできない。だが大人もまた大したことができるわけではない。大人になろうとしたミオリネに留まらず、この21話はその無力さを描いている。議会連合は武力を用いてベネリットグループの解体を目論むが、証拠の一つとしてクワイエット・ゼロを確保しようとした彼らに待っていたのはあまりにも呆気ない全滅であった。パーメットを全ての通信や制御に利用する本作の世界の機械はクワイエット・ゼロが形成するデータストーム・ネットワークの中では全て無力化されるため、いかに大部隊でも何も「できなく」なってしまったのだ。
またグストンと共にスレッタの前に現れたGUND技術の研究者ベルメリアは、説得が無理ならスレッタに"キャリバーン"なる危険なMSに搭乗してほしいというグストンの話に反発しつつも黙ってしまう。かつて自分が行った人体実験のようなことを繰り返すのかと非難を受けて「分からない」としか返せない彼女の姿は、これも無力さの一つに数えられるだろう。大の大人が言うことではないとベルメリア自身も認識しているが、同じ立場でどうすればいいか答えられる人間もそうはいまい。
 

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セセリア「なんであんたがこんなことやってんの?」
スレッタ「わたしは動けますから」

 

大人になったらなんでもできる。そんな夢は幻だ。日々の生活に追われ、立場に束縛され、気がつけば犯していた過ちの大きさに打ちのめされる。そういう「できない」ことばかりの日々が続く。けれど一方で、「できない」ことはそれだけで終わるものなのだろうか。一方通行で無価値なものなのだろうか。
スレッタにとって、17話で決闘に敗れてからの日々は自分が何も「できない」存在なのを思い知らされるばかりの時間だった。ミオリネの助けにはなれず、エリクトの精神だけで動けるようになったエアリアルパイロットとしては不要な存在、プロスペラの実の娘でもない……けれどそれは彼女に何も「できることがない」ことを意味しない。彼女は学園への攻撃で瓦礫の下に埋もれた人を必死で助けようとしたし、今回も打ちひしがれた生徒達にトマトを振る舞って勇気づけた。やむを得ないとはいえミオリネやエアリアルから切り離された彼女はしかし、それ故に間違いなく自分に「できる」ことがあると見つけられた。だから彼女はもう一度踏み出せる。今一度エアリアルやプロスペラと話すべく、今度は自分の意思でガンダムへの搭乗を決意できる。
 

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物語の発端となった21年前のヴァナディース事変で議会連合が押収したガンダム、"キャリバーン"はスレッタがこれまで搭乗していたエアリアルとは対照的な機体だ。データストームのフィルターが一切ない、多大な情報を処理する負担をエリクトが引き受けてくれていたエアリアルと異なり廃人になる可能性が最も高い危険なガンダム。本来なら何の用も為さない「できない」ガンダム……しかし、だからこそクワイエット・ゼロによる世界の書き換えが迫り議会連合にも手が出せない状況で「できる」ことがある。その点で、この機体はきっと今のスレッタにもっとも相応しい機体でもあるのだろう。
 

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スレッタ「連れて行ってください、ガンダムのところに」
 
「できる」と「できない」は、一方通行だったり後者だけが無価値なわけではない。「できる」ことと「できない」ことの二つがあってこそ、スレッタは再び物語の表舞台に立つことができるのだ。
 
 

感想

というわけで水星の魔女の21話レビューでした。今回は「変わる」と何かもう一つがテーマになるのかな……と当初は思ったのですがそれだと全然ピンとこず。ミオリネの「できません」とスレッタの「無理だと思います」が並べて考えられるのでは?というところからレビューを書いていきました。スマホで常にいろんなことが「できる」状況がかえって私達を疲弊させもするように、「できない」ことにもまた価値はあるのではないかと思うのです。
 

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そういえば5号エラン、ノレアの死を悲しみつつもそれに取り込まれてないあたり本当に強い子だなと感じました。彼が学園内にいたのは警備が厳しく逃げられるわけがなかったのが理由ですから、そこから仲間入りするのも「できない」転じて「できる」の内に数えらるかな。
 
空をディスプレイした学園の内壁に走るノイズに、今回の世界の不思議なひずみが現れているように感じられた回でした。残りの話で、本作はどういう結末を迎えることになるんでしょう。

 

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*1:というより、それは子供を鳥かごに入れたかつてがそうだったのだろう