「天晴爛漫!」10話レビュー~技術の新旧から理念の新旧へ~

天晴爛漫! 10話「The Bridge to Hell」

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会

再開したレースでのギルの大暴れが描かれる「天晴爛漫!」10話は、列車とレースの自動車が同時出発する新旧対決の様相を呈して始まる。しかし本当に競っているのは――いや、対立しているのは、技術の新旧ではなく理念の新旧だ。

 

 

競争と対立という新旧

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会
シャーレンがバトルではなくレースだと言うように、天晴達は競い合いこそすれど対立してはいない。スタートの加速、トップスピード、頑丈さと強引さにハイブリッドエンジン……それぞれが長所(個性)をぶつけ合う中にしかし命のやり取りはない。危険は背負いながらも暴力的な衝突のないレース、競い合いは、それ自体が(自己決定という荒野の)「新しいあり方」だと言える。
 
 

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会
一方で、レースをリタイアしたリチャードはこう言っている。「こんな風に競い合うのが性に合わなかったんです」……それはリチャードとしての嘘だけではなく、その正体である虐殺のギルの本音であろう。彼は互いを認め合うような競い合いなど望んでいない。欲しいものは奪い、気に入らないものは破壊する対立こそは彼の求める「今まで通りのあり方」。鉄道会社の幹部が退場しようと、新旧の対立は消えてなどいない。原始的でしかも誤った弱肉強食の旧い理念が、それ以外を模索する新しい理念に真っ向から牙を剥くのがこのギルの大暴れなのである。
 
 

個性を無効化する旧き理念

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会
部下を全て「蛇」としか扱わないギルの求める基準では、天晴達の個性は意味を持たない。シャーレンの拳法も小雨の剣術も天晴のネット(頭脳)も十把一絡げに「部下として有用かどうか」でしか判断しないし、彼の前ではディランやTJの強さすら一蹴され平準化されてしまう。
そして彼の平準化や否定の牙は、乗り手の個性とシンクロしている車にまで向けられる。レース再開直後にあれほど多様な競い合いを見せた車を、ギルと一味は笑って破壊してみせる。どんな性能を持とうが彼らにとっては全てが壊すべきガラクタであり、等しく価値がないのだ。個性の否定はここで極まり、だから天晴はそれに耐えられない。
 
 

守られる新しき理念と、それゆえの苦しみ

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会


個性を無効化するギルの暴力の前に今回全ては無力なようでいて、しかしたった1人それに抗いきった者がいる。誰あろう、天晴を庇った小雨だ。ギルにとって自分に従わない者の命は等しく価値がなく(無個性で)、故に小雨が死のうが天晴が死のうが変わらない。けれど小雨にとって天晴はかけがえのない命(個性)だから、そこには自分の命と引き換えにしても構わない価値がある。小雨は自らの強さを無個性化する圧倒的な暴力にも屈すること無く、個々の生命の尊厳を守り抜いたのだ。
 
しかしかけがえの無い命なのは天晴にとっての小雨も同様であり、個性と尊厳あればこそそれが失われることは耐え難い。天晴達はこのレースを、いや、その心の荒野を最後まで走りきれるのだろうか。
 
 

感想

というわけで天晴爛漫の9話レビューでした。嘘だろ小雨お前、次回からの小雨爛漫の提供どうするんだあの予告は天晴の見た悪夢だと言ってくれ……
参加者が多いのでギルの立ち回りが大変だなと感じるところもありますが、これでもバッド兄弟を除外して軽くなってるのですよね。あの2人は居合わせたら性格的にも因縁的にも殺されてるでしょうから、ホトトの父の仇に襲われなかったことと言い妙なところでツイてる。次回を早く見せてくれー!