他者というフロンティア――「天晴爛漫!」13話レビュー&感想

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会
レースの外でも常に荒野を走り続けた天晴がついにゴールへたどりつく「天晴爛漫!」最終13話、天晴達は工夫を凝らすもギルを倒すことができない。それは彼が本当に倒すべきは、止めるべきはギル個人ではないからだ。
 
 

 天晴爛漫! 13話(最終回)「OVER THE MOON」

 

止めるべきはギルが体現しているもの

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会
力によるギルの殺害はむしろ彼の肯定だとディランが言ったように、人の本質はその個人自体にではなく、むしろその精神性とでもいったものにある。例えばかつて生死をさまよう小雨への無力感さを嘆く天晴が立ち直れたのは、輸血という当時からすればとんでもない発想――「天晴的なもの」が小雨を救ったと教えられたからだった。
 
ならば天晴が止めるべきものもギル個人ではなく「ギル的なもの」にこそある。劇中でも2度言われるように暴走列車はギルの放つ弾丸であり、それは彼の持つ弱肉強食と暴力の思想――つまり「ギル的なもの」の具現だ。そしてアルの車の修理の時に天晴はこうも言った。「ブレーキなんか外せ、俺が新しいのを付けてやる」……天晴がやっていることは、実はこの時と何も変わらない。限度のブレーキの外れたギルの暴力に、別のもので新しくブレーキの役割を果たさせているのは何も変わらない。かつて自分の本質を否定されかけた彼は、今度は自分の本質でギルの本質をこそ止める。それはある意味とても平和的な"意趣返し"だと言えるだろう。
 
 

もう一つの戦い

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会
もちろん、ギルと同じ論理でギルを殺すことを否定したディランもまた、天晴同様に自己の本質の奪還にこそ戦いの意義がある。死によって愛する人を失った彼が取り戻したのは、彼女ならどうしていたかという精神性、つまり「クラウディア的なもの」だった。そしてそれを取り戻したディランを見れば、TJもまた自分の失恋を取り戻すことさえできる。そのどちらにももはや、ギル個人の死などは無用の長物だ。
トランクに押し込まれコミカルに退場することになったギルにはもはや、威厳も意義も存在していない。それは彼の暴力と恐怖による支配にも終わりを告げるだろう。
 
そしてもう一つ注目すべきは、"弾丸"との対峙はけして今回の天晴が初めてではないことだ。ディランやTJは銃の動きや殺気からそれをかわしてきたし、小雨は弾丸を弾き切って捨てさえしている。天晴にはとてもそんなことはできないが、列車という"弾丸"を止めることは逆に天晴以外にできなかった。シャーレンが言うように「やっぱり無茶では天晴が一番」であり、そこには彼への称賛以上に「天晴的なもの」への称賛が――誰とも等しくなく、しかし多くの人と似た彼の本質への称賛が、込められている。
 
 

天晴号の完成とは

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会
ディランが取り戻したのは己の本質であると同時に「クラウディア的なもの」、つまりクラウディアの本質であった。 人の本質はその人個人ではなく精神性に宿るなら、その精神性は当人だけが発揮できるものととは限らない。
その証拠に再開したレースの最終局面、驚きの行動は天晴よりむしろ小雨の役割になっている。緊急加速ブースターを使えばコーナーを曲がれないという常識的な発想に逆らい、自分自身が「ブレーキ」になる彼の行動はこの上なく「天晴的」だ。
 
元より「天晴的」な天晴と、彼を驚かせるほど「天晴的」になった小雨が組み合わされば、そこには2倍以上の出力が――空を飛ぶ事態を巻き起こすような力が生まれる。それは理屈としては、天晴号が蒸気とガソリンのハイブリッドエンジンで動くのと全く同じだ(ホトトは冷却装置)。天晴号は何度も修理と再生を繰り返してきたが、その完成は技術に留まらず、人機一体の実現にこそあったのだった。
 
 

天晴はどこに「繋がった」のか

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会
完成した天晴号の3人は、特に天晴と小雨はほとんど不可分の存在となる。これまで天晴は、アル達とは目的も立場も違えど本質が似ているからこそ共鳴し共闘してきた。しかし逆に言えば、レースが終われば彼らをそんな近くで共鳴させる場所はなくなってしまう。飛行機を作ろうとする天晴にはもはやアルやシャーレンほどの車への関心はないし、アウトローの4人とはもはや接する理由もない。心の奥で繋がっているとしても、無理に共にいればかえって互いを阻害することになってしまう。
 
けれど天晴と小雨だけは別だ。小雨は天晴の破天荒な行動に振り回されてきた。天晴もまた、小雨の非合理的な行動を奇妙に感じながらも心を動かされてきた。2人はレースを共にした他の誰よりも互いに似ていない。だけどそんな2人が――いや、そんな2人だから、彼らは互いを驚かせる存在になってきた。互いにとってとんでもないことを考える奴、見たことのないものを見せる奴、「天晴的な存在」になってきた。誰よりも似ていないからこそ誰よりも2人は似ていて、だから2人は離れればその輝きを失ってしまう。2人だけは離れては、繋がりを失ってはならないのだ。
 
 

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©2020 KADOKAWA/P.A.WORKS/天晴製作委員会 「天晴爛漫!」1話より

かつて天晴は言った。

 
「海は知らない国に繋がってる。空は月に繋がってる。月は星に繋がってる」
 
遠い遠い彼方との繋がりを志向したその言葉に、僕は今もう一つ付け加えよう。
 
「他者は他の世界に繋がってる」
 
彼方とは物理的なものだけではない。自分と全く違う人間はいわば心の彼方に居り、それと繋がることでも人は見知らぬ世界へ行くことができるのである。
 
 

感想

というわけで天晴爛漫の最終回13話レビューでした。僕は初期の超然とした天晴が好きで、だから後半の彼の小雨への執着ぶりについてどこか納得していない部分があったのですが――こうしてレビューを書き終えて、ようやく納得できたように思います。これはあれだ、恋愛AVGで「研究対象として興味津々」が恋愛感情に繋がってるやつ。……いや最後のアレとかほとんど愛の告白にしか見えん。お幸せに。
 
荒野は自由と険しさと世界の広さの象徴であり、本作も荒野を走る作品であるからけして例外ではありません。様々なしがらみを振り切って自ら困難な道に挑む天晴の姿は、他の「荒野」な作品同様に私達の心を鼓舞してくれる。しかしこの「天晴爛漫!」が珍しいのは、それに加えて天晴と小雨が互いの中にこそ荒野を見出していることでしょう。
確かに他者の心は自分が感じるようなしがらみとは無関係で、だからおかしく思えることもあるけれど、そこには自分だけではたどりつけない未知の世界がある。科学の進んだ現代でも、フロンティアはけして最先端技術の研究者や一部の詳しい人にしか開拓できないものではない。理解できない他者というとても近くにこそ、それは広がっている。
そう考えてみると、自分の考えしか認めない=他者の中のフロンティアを認めないギルが立ちふさがるのは必然なんだな。
 
話が進めば進むほど憎めないキャラ達が好きになる、見ていて気持ちのいい作品でした。スタッフの皆様、ありがとうございました。