笑顔の下で失われるもの――「魔神英雄伝ワタル 七魂の龍神丸」7話レビュー&感想

f:id:yhaniwa:20201024004851j:plain

©サンライズ・R
闘技場で戦いの繰り広げられた前回と打って変わって、遊園地という平和そのもののの世界が舞台となる「魔神英雄伝ワタル 七魂の龍神丸」7話。正反対なのは舞台だけではなく、ワタルに課せられる試練も同様だ。
 
 

 魔神英雄伝ワタル 七魂の龍神丸  第7話「笑って、泣いて、大ゲンカ!?」

 
 

1.暴走という希望

以前の戦いでゴーストンを止めたのは、ワタル1人の力でなく連携によるものだった。暴走を制御で止めたわけだが、なら全てが制御されれば良いかと言えばそう単純ではない。ドバズダーにとってはワタルこそ野望を阻む不確定因子であり、彼が逆さ創界山を次々に攻略していくのは暴走以外の何物でもないのだ。力に力をぶつけるこれまでのやり方が上手くいかなかったのだから、次に打つ手が暴走の制御となるのは自然なことだろう。そしてドバズダーの刺客であるオトヒメは「ニコニコ笑って楽しんで」を合言葉のように繰り返すが、彼女とその部下の笑顔には制御のもたらす負の側面が凝縮されている。
 
 

2.笑顔の中で死ぬ個人

ワタルを籠絡しようと遊園地でもてなすオトヒメと部下達は、みな一様に笑顔だ。背格好などの違いこそあるものの、誰もが同じ生き物のようになっていると言ってもいい。制御が完璧に近ければ近いほど制御される者の意思は必要がなくなり、だから彼らからは表情の違いが乏しいのだ。
これはもちろんワタル達も同様で、最初は遊園地の中でそれなり違う楽しみをしていたワタル達は次第にオトヒメに言われるがまま提供されるがまま同じものを楽しむようになっていった。剣をオトヒメに預けてしまうことなどは特に分かりやすい例で、この時ワタルは救世主としての意思もまた手放してしまっているのである。
 
 

3.個が輝く時とは

皆が一様に同じことを考え、批判も異論もなければそれは確かに平和だ。けれどそこには一人ひとりの違いは極度に薄くなり、排除の対象とすらなる。だからオトヒメの部下は汚いオナラをした仲間は連れて行かれてしまうし、一人使命を忘れない虎王はオトヒメに殺されそうになってしまう。
 
けれどそういう一人ひとりの違いは、一様さに抗う時にこそ輝くものでもある。パレードで華やかな中だからこそ邪虎丸の苦戦は際立つし、ひたすらニコニコするだけになってしまったからこそワタルが最後に流す涙もいっそうの意味を持つ。果たしてワタルは、己だけの意思を取り戻すことができるだろうか。
 
 

感想

というわけでワタル七魂の7話レビューでした。「文句を言うなら出ていけ」みたいな声や、怒ることそのものを忌避するような空気は最近とみに強まっていますが、そういうのはやっぱり嫌だなあと思います。ニコニコ楽しく満足しながら自分の意思を失っていくのは、心地いいけど恐ろしい。
残り話数は2話、あっという間ですね。最後のかけらを集めてそのままドバズダーとの決戦になだれ込む感じなのかしらん。