終わらない反射――「かげきしょうじょ!!」11話レビュー&感想

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© 斉木久美子・白泉社/「かげきしょうじょ!!」製作委員会
刺激し合う「かげきしょうじょ!!」。11話では文化祭での予科生の寸劇を巡るやりとりが描かれる。やりとりと書いたように、これは誰か一人を主軸にしたものではない。幾人もの人々の応酬、その反射にこそ見るべきものがある。
 
 

かげきしょうじょ!! 第11話「4/40」

 

1.人の反射、役の反射

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安道(やりにくい……)
 
文化祭での予科生の寸劇の話はまず噂の形で広まり、本科生にも予科生にも波紋を呼ぶ。本来は本科生の卒業公演たる文化祭で予科生の出番が増えるというのだから、どちらも心穏やかでいられないのは当然の反応であろう。予科生に至っては期待の眼差しを隠せず、講師の安道はやりにくくて仕方ないからと噂が事実であることを明かしてしまうほどだ。これらは全て、文化祭での予科生の寸劇という話がもたらした「反射」であると言える。
 

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紗和「でもこれはオーディションで、さらさとはライバルよ。なので握手はしない」
 
一つの出来事がそれだけで完結するなどということは滅多に無く、多くの場合それは何らかの反射を引き起こす。気合たっぷりのさらさがモタモタ風呂に使ってる暇はないなどと言い出せば皆も早風呂で済ませようとするし、寸劇のオーディションが近づいた緊張は風呂場での会話すら減らしたりする。自分と同じくティボルト役を受けるさらさに紗和が燃やす競争心なども反射の分かりやすい一例だろう。女性講師陣が注意するように悪感情の増幅に繋がる場合もあるが、反射があることそれ自体は極めて健全なことだ。
 

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聖「だって、今はまだ有象無象の百期生の中でお客様が見たいのは元JPXの奈良田愛ただ一人よ。それが乳母?お客様を落胆させるつもり?」
 
やりとりとは一方通行ではなく双方向の、反射あってこそのもの。今回オーディションでどの役を受けるか、どのように演じるかを考える中でさらさ達はそれを学んでいく。例えば薫がロミオ役を希望するのは上層部や観客に覚えてもらうという「反射」を期待してものだし、一方自分が笑顔が苦手だからと乳母役を演じようとした愛は聖から(笑顔で)叱責を受ける。未だ有象無象の予科生の中で観客が求めるのは元アイドルの愛一人であり、そんな彼女が乳母を演じるなど落胆という「反射」を呼ぶだけだと言うのである。これは同時に、「有象無象の予科生の演じるジュリエット」という役が愛を呼んでいるのだからそれに「反射」しなさい……というアドバイスでもある。
 

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君子「大切なのは役を理解して、いかに役の人生に寄り添えるかってことなのに」
 
もちろん、自分が何を演じたいのかは選択のスタート地点だ。前回ジュリエットを演じたいと言えなかった千夏は今回ようやくそこにたどり着けたし、さらさも暁也からやりたい方をやればいいと助言されティボルト役への再挑戦を決めた。しかしそれを押し付けるだけでは役は応えてくれないことは、愛の母君子の「役に寄り添うことが必要」という言葉からも分かる。自分が求めるなら役もまた何かを反射し求めているはずであり、役者はそれを受け止めねばならない。
 
 

2.終わらない反射

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愛「振り向いた時、そこに見えたのはあなただけだった!」
 
役が自分に何を反射し求めているのか。オーディションが迫る中、少女達はそれを掴むべくもがいていく。さらさは縁遠い性格に感じていたティボルトの中に歌舞伎役者になれない悔しさを抱えた自分と同じものを見つけ出し、愛は自分には理解できないと思っていたジュリエットの恋心と同等のものをさらさの中に見つけ出して演じることに成功した。特に実際に披露された愛のそれは他の予科生を驚愕させる、ジュリエット役はほとんど彼女で決まりとすら思えるものだった。だが、それで決まってしまっていいのだろうか? 他の生徒達のオーディションでの演技は、まだ始まってすらいないのだ。
 
 

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これまで書いたように、やりとりは一方通行ではなく双方向の、反射あってのものだ。いかに強烈な光を放つものであろうと、放つ側でしかいられないならそれはすぐにくすんでしまう。主人公として圧倒的な個性を放つさらさも、それを受けた愛が反応=反射することで単なる天然少女に留まらない一面を見せてくれるようになった。反射が終わらないからこそ、さらさは魅力を保ち続けている。ならば同様に、いかに愛の演技が素晴らしくとも、それに圧倒されるだけでは少女達の進歩は止まってしまう。素晴らしい演技に反射して更に素晴らしい演技が生まれる循環こそは、競争心が生み出す最上の産物のはずだ。
 

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彩子「どうしよう。一番最初にすごいの見ちゃって、わたし、やっぱりジュリエット向いてなかったよ……」
 
だからこの11話は、愛が進化を遂げる感動的な姿を描いて30分を終わりにしない。むしろそれに圧倒された彩子が何かできるのか、というこの不安定な形でこそ反射は終わらないのだ。故にこそ輝き続けることができるのだ。
輝きは一人が放つものではなく、誰かや何かと反射し合うその中でこそ煌めいているのである。
 
 

感想

というわけでアニメ版かげじょの11話レビューでした。うーん、今回は書くのが難しかった。愛の見せた感動的な演技ではなく、それを見せつけられた彩子の不安で終わることに意義があるんだ……という結論は決まっていたのですが、そこへの道筋がどうも上手く舗装できてないというか。すみません。
愛と彩子の組み合わせは5話でも取り上げられていたもので、元アイドルと(経歴的には)ザ・一般人というのはこうした反射を描くのに非常に適しているのだと思います。その構図が再び現れること自体が「終わらない反射」なのではないかな、と。次回が楽しみです。
 
しかし今回の副題、てっきり「4140」と勘違いしてました。恥ずかしい。
 
 

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