繋ぎ止める愛――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」5話レビュー&感想

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
獄中に活あり「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」。5話では敵の仕掛た夢から目覚めた徐倫達が脱出を図る。だが目覚めることと脱出することはイコールではない。脱出が幸せとも限らない。
 
 
面会室で目を覚ました徐倫と承太郎。二人は敵のスタンドに夢を見させられながら、ゆっくりと身体を溶かされていた。どこまでが現実で、どこからが夢だったのか。承太郎のスタンド「スタープラチナ」の能力で面会室から脱出した二人に、新たな敵の影が忍び寄る。
 

1.夢から覚めた夢

目覚めることと脱出することはイコールではない。この5話は、それを示唆する興味深い出来事から始まっている。
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
承太郎「辻褄が合わない。これは現実ではない!」
 
徐倫は前回どうにか敵の催眠攻撃から目覚めたが、既に溶解液に捕えられ体を自由に動かすこともできない。それでもストーン・フリーのスタンドでなんとか机を破壊し承太郎に面会室の扉のロックを壊すよう急かすが――承太郎はそこで一つの矛盾に気がつく。徐倫は承太郎のスタンド、スタープラチナで扉のロックを破壊するよう言ったが、これまでが夢なら彼女がスタープラチナを知っているはずはないのだ。親子だから自分もスタンド使いだと感じはしても、名前まで分かるはずはない。
夢から覚めたようでも徐倫の言動が矛盾している以上、これもやはり現実ではないと承太郎は結論する。承太郎が見たのは夢から覚めた夢に過ぎず、目覚めてもなお彼は夢から脱出できず囚われていたのである。
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
ホワイトスネイク「一手遅かったな。空条承太郎、待っていたぞこの時を!」
 
目覚めてもなお囚われている。この構図はけして面会室の中だけで終わっていない。脱獄が目的でも徐倫達には再びジョンガリ・Aが襲いかかってくるし、そのスタンド攻撃が催眠ではなく夢の中同様に銃弾反射のマンハッタン・トランスファーであれば今見ているのが夢か現実か再び迷うことになる。敵はもう一人おり最初から自分を狙っていたと最終的に気付きながら、承太郎は結局その魔の手から逃れられずスタンド攻撃を受ける他なかった。幾度も夢から覚めてなお、敵の術中に「囚われて」いたのだ。
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
徐倫「相変わらずだな。何事も冷静で論理的に考えてる。(中略)そうだよな、あたし別に無事でいるもんね?」
 
人の思考は常に何重もの牢獄に囚われているようなもので、そこから抜け出すのはたやすいことではない。これは承太郎が自分を助けに来たことは認めても、幼少期からの不信でその冷静で論理的な思考に愛情の欠如を感じてしまう徐倫にしても同じことだろう。刑務所から脱獄(脱出)すれば全てのくびきから逃れられるわけではないのだ。
 
 

2.不自由から得られる自由

刑務所からの脱獄は、目に見える自由は本当に自由を意味するとは限らない。この苦しみはしかし、不自由の中に自由への道を見つけ出す活路の存在も意味する。
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
承太郎(全ては!準備されていたのだ。俺が娘をかばい、選択の余地なく絶対に時を止めるこの瞬間のために)
 
既に書いたように、承太郎は敵の狙いが最終的に自分であることに気付いていた。ジョンガリ・Aの銃弾から徐倫を庇った自分を攻撃するのがもう一人の敵の狙いと分かっていた。分かっていたなら、本当は別の選択肢もあったはずだ。徐倫が考えるように「冷静で論理的」ならやむを得ない犠牲として娘を捧げ、敵を打ち倒すことこそ最上の対応だったはずである。だが承太郎にはそれはできなかった。娘が高熱を出したり逮捕されても戻ることのなかった彼にもしかし、見殺しにすることだけはできなかった。
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
徐倫「こ……これって……あたしさっき、これって……!そんな……!!」
承太郎「お前のことは、いつだって大切に思っていた」

 

あえて不自由を選び敵の攻撃を受けた承太郎は、それによって体から2枚の「DISC」を抜き取られスタンド能力と生命を維持する能力を失う。だがこれは同時に解放だ。
今の承太郎はもはや、主人公を務めた3部で「やれやれだぜ」の口癖と共に強敵を打ち破り、4部でも最強のスタンド使いとして常に警戒され続けた男ではない。ここにいるのは娘を愛しながらもきちんと伝えることのできなかった、不器用で平凡な父親に過ぎない。承太郎は今回父としての不自由を選んだことで、完全無欠のヒーロー"ジョジョ"から解放される自由を得ているのである*1
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
徐倫「でも、あたしには奇妙な確信があるの。あたしの父親は死んだんじゃあない。スタンドを取り戻せば必ず生き返る!」
 
かくて承太郎はその生命が囚われることでジョジョの立場から解放されたが、言うまでもなくこの作品は「ジョジョの奇妙な冒険」だ。物語は新たなジョジョの継承者を迎え入れなければならない。
 
 

3.繋ぎ止める愛

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
これまでのレビューで書いてきたが、徐倫ジョースター家の「みそっかす」である。不良を通り越して犯罪者であり、黄金のような夢を抱いているわけでもない。収監もジョンガリ・Aとの戦いも一族とDIOの因縁に巻き込まれただけであり、本来彼女には積極的に戦う必要はない。無事に脱出できていればおそらく承太郎も、もう一人の敵との戦いに徐倫を関わらせないようにしていただろう。だが、必要がないのと理由がないのは違う。
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
承太郎「ただの俺が見た夢だ。だが分かる、あれはジョースターの血だ」
 
徐倫は前回の夢の中で、自分に逃げ道を示してくれた少年エンポリオをあえて助けに行った。自分の身を考えるなら必要性は全くないにも関わらず、ジョンガリ・Aの凶弾から守ろうとした。縁もゆかりもないはずのエンポリオが自分を気遣ってくれたことは、彼女にとって不自由を選ぶ十分な理由だった。承太郎はDISCを奪われ薄れゆく意識の中で、隣人愛とでも呼ぶべきそれを満足気に回想する。「ジョースターの血だ」と言う。
 
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
徐倫にとって承太郎は特殊な存在だ。血を分けている点で間違いなく身近な存在であり、一方で幼少期に半ば放置されその活動も知らなかった点ではそのへんの他人以上に遠い存在でもある。だが逆に言えば、そんな承太郎を助けることは二重の意味をも持つ。すなわち"愛されない娘"としての自己認識からの解放と、エンポリオのように縁遠い他人を助ける"ジョジョジョースターの血)"の継承。もちろん解放は自由に、継承は不自由に繋がる。徐倫の戦いは自分のための戦いであり、同時に他人のための戦いだ。
 
先の段では不自由から得られる自由もあると書いたが、ここではもはや自由と不自由はぐるぐると循環する関係に至っている。家族愛によって徐倫ジョジョらしさを獲得し、同時にジョジョとしての隣人愛*2を発揮することで彼女は承太郎の娘らしくなっていく。どちらにも"愛"があるからこそ、この循環は途切れることはない。
 

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©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
徐倫「だから……戻るわ」
 
父を助けるため、徐倫は自らの意思で刑務所へ戻る。愛のため自ら不自由を、束縛を選ぶ。
愛に繋ぎ止められることで――愛の囚人となることで、徐倫は真の主人公となったのだ。
 
 

感想

というわけでジョジョ6部のアニメ5話レビューでした。「不自由から得られる自由」を結論にするつもりで書き始めたのですが、気がついたらこんなことに。だいぶ飛躍してるんですが大丈夫かしらん。
 
今回印象的なのは承太郎の「ジョースターの血」への言及で、これは原作では徐倫エンポリオを助けるべく面会室を出た際に承太郎が発したものでした。アニメで再解釈しているといっそう重要に感じられるのにどうして削っちゃったんだろう?と思ってたのですが、まさか今回の話に移動しているとは。意味合いも原作の「血は争えない」といった感じから承太郎の喜びが前面に出たものになっていて、見ていて涙ぐんでしまいました。
 
6部の宿敵であるホワイトスネイクの声がいい具合に「知ってれば分かる、知らなきゃ想像できない」感じに変換されていることなんかも含めて満足度の高い回でした。さて、仕切り直しから次回はエルメェスの活躍回!こちらも楽しみです。
 
 

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*1:見捨てることがジョジョらしさである、という意味ではない。3部の承太郎であれば何かしらの方法でこの場をくぐり抜けたであろう

*2:「正義の道を歩む」とか2部の"仁"とか読み替えてもいいだろう