思い出は脱獄の指針――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」23話レビュー&感想

©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
忘却の「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」。23話では記憶を操る厄介な相手が徐倫に襲いかかる。彼女の脱獄に必要なものは、いったいなんなのだろう?
 
 

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 第23話「ジェイル・ハウス・ロック!」

ウェザー・リポートに扮していたプッチ神父の襲撃から承太郎の記憶DISCとアナスイの命を守り、F・F(フー・ファイターズ)は消滅した。逃げたプッチ神父の野望を阻止するため、徐倫はグリーン・ドルフィン島からの脱獄を決意する。そこに『ミューミュー』と名乗る看守が、ホワイトスネイクからの伝言を持って現れて……
 

1.記憶と思い出

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ミューミュー「ミューミュー……スタンド名は『ジェイル・ハウス・ロック』。あんたへの警告のために見せている」
 
前回プッチ神父に「緑色の赤ちゃん」を奪われるも、F・F(フー・ファイターズ)の犠牲で父・承太郎の記憶DISCの奪還には成功した徐倫プッチ神父を止めるべくG.D.st刑務所からの脱獄を決意した彼女に立ちふさがったのは、その刺客ミューミューのスタンド『ジェイル・ハウス・ロック』であった。
 

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徐倫「ひょっとしてさ、グェス……あたし、あんたに同じ質問何回も聞いてる?」
 
ジェイル・ハウス・ロックの能力は、相手の記憶に干渉し「新たに覚えられることを3つまでに制限する」こと。「おばあちゃん、お昼ごはんはさっき食べたでしょ」状態に陥らせてしまうスタンド能力と言ってもいいだろう。ミューミューに会う直前までの記憶こそ保持できているものの、以後のことを3つまでしか覚えられなくなった徐倫は目の前の弁当にゴキブリ付きの靴を乗せられたことすらすぐ忘却するほどの状態に陥ってしまった。ただ、ここで注目したいのはミューミューが2度も徐倫の前に姿を現している点である。
 

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徐倫「ミューミューって誰、だ……?」
 
ミューミューは徐倫と再接触した際、別に更に攻撃を加えて命を奪おうとしているわけではない。徐倫が忘却に対抗すべく体に書いたメモを偶然を装って消したりもしているが、その前に二人が会った際の描写からも分かるように徐倫はミューミューを敵として認識することすら難しくなっている。実はミューミューの目的は徐倫に覚えさせないことではなく、むしろ覚えさせる・・・・・ことの方にあった。
 

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ミューミュー「3つだけの生活だ。だが記憶を全てなくすより始末が悪い」
 
ミューミューは徐倫が体に記したメモを拭き取る際、「新しく覚えられる物事は3つまでと思え」のメモだけは残しこう言った。「3つだけの生活だ。だが記憶を全てなくすより始末が悪い。自分は何をやっても無駄だということを繰り返し繰り返し体験し、それは身にしみて理解できるわけだからな……」と。そう、彼女の狙いはここにある。入れ替わっていく3つの記憶とは別に徐倫が無力感を「記憶」していくことに重きを置くからこそ、ミューミューはスタンド攻撃をかけた後も彼女に接触したのだ。
 

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ミューミュー「その内脱獄する気力すらなくなるだろう。それは廃人とも言えるが、それが脱獄などしようとした者への罰だ」
 
叱責を受け続けて心を病んだりする場合でも、人は何月何日に何について叱られたかを事細かに覚えているとは限らない。心を苛むのは具体的な記憶以上に、それがもたらす「自分は何をやっても無駄だ」という無力感の形成によるところが大きいからだ。つまりこの無力感は「3つの記憶」のような具体的・個別的な記憶に似てはいるが同じではない。そういう表層的なものとは違う、心の奥底にある深層的記憶――21話のF・Fが言うところの「思い出」なのである。思い出を蝕まれた時こそ人は、ミューミューの言うところの廃人同様の状態に追い込まれてしまう。
 
ミューミューの目的は徐倫の経過観察や打開の抑止のみならず、彼女に負の思い出を刻ませるところにその狙いがあった。スタンド攻撃そのものは終了していても、ミューミューによる徐倫の「始末」はこれからが本番だったのである。
 
 

2.思い出は脱獄の指針

人には具体的・個別的な表層の記憶だけでなく、あいまいで総体的な深層の記憶がある。だがそれは深層にある分だけ見えづらく、しばしば見失いやすい。
 

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新しく覚えられる物事が3つまでに制限された徐倫は当初、体のあちこちにメモを書いて対処しようとした。しかし同じ房のグェスの弁当を繰り返し食べてしまったことなどから分かるように、これはあまり効果を発揮していない。表層的記憶は良くも悪くも全てが等価値の物事に過ぎず、次から次へと目の前を飛び交うそれらの前ではあっという間に忘却されていくためだ*1。ならばどうしたらいいのか? 徐倫は考える。
 

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徐倫「これだけでいい……一つ空けとこう。この二つだけで」
 
メモではにっちもさっちもいかない状況に対し徐倫がとった行動。それは全てをメモするのではなく、記憶を操られる直前まで一緒におり、事態を打開する鍵となる少年エンポリオに会うこと(と記憶が3つに制限されていること)にメモを絞るというものであった。彼女は表層的記憶を網羅するのではなく、それらに対し重み付けによる取捨選択を行ったのである。
 

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徐倫「あたしは空条徐倫! アイツが得たものを封印しなければならない!」
 
重みをつける、というのは極めて主観的な行為だ。全ての物事は本来的には等価値であり、それをわざわざ区別するには個々人の「思い出」が必ず関わってくる。権力や名誉、金や色事といった一般的とされる指標も最終的に選ぶのは個々人であり、ある人にとって大切なものが別の人間にとって無価値であることは珍しくない。承太郎の記憶DISCからプッチ神父の目的を知った徐倫にとってもっとも大切なのは彼の野望の阻止であり、そのために脱獄すること――そこから重み付けされたのが、「エンポリオに会う」というただ一点の表層的記憶であった。彼女は表層的記憶と深層的記憶を強く紐づけたのであり、徐倫の深層的記憶の毀損を真の目的としていたミューミューへようやく一矢報いられたと言えるだろう。
 

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徐倫「必要なのはこの二つだ、後はこっちから捨ててやる。あたしの目的は脱獄だ!」
 
現代は多様な選択肢が(選べないもの、詐欺師が見せるような選んではいけないものまで含めて)提示される時代であり、人はそれ故に迷いも惑わされもする。だがそれらを「思い出」に基づいて見渡した時、進む道は案外シンプルに絞られるものだ*2表層という牢獄に囚われた徐倫や私達にとって、「思い出」こそは脱獄の指針なのである。
 
 

感想

というわけでアニメ版ジョジョ6部の23話レビューでした。「なぜ3つしか覚えられないのに無力感は学習するのか?」というミューミューへの疑問から書き始めましたが、F・Fの言葉がそれを考えるヒントになるとは思いもしませんでした。彼女のことが自分の中で「思い出」になっているということなんでしょうかね。甲斐田裕子さん演じるミューミューの「マスタードかける?」からのくだりも強敵感があって良い具合に憎たらしかったです。あと大好物のチーズ味のペンネを食われたグェス、哀れ。
 
さてさて、次回で本作は一応は2度目の区切り。正月からも続きますが途中経過ではなく、ちょっとしたチェックポイントとして受け止められたらいいなと思います。
 
 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>

*1:本作は2000年代初頭に描かれた作品だが、こう書くと徐倫の状況はSNSであらゆる情報が濁流のように流れていくこの2020年代に似ているようにも思える

*2:もちろん、それが「負の思い出」による束縛の結果でないかは省みなければならない