2進法で3を脱獄せよ――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」24話レビュー&感想

©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
ゼロイチの「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」。24話では刑務所の主任看守・ミューミュー戦が決着する。記憶を操る難敵との戦いは、世界の複雑さとの戦いだ。
 
 
ミューミューのスタンド『ジェイル・ハウス・ロック』の能力で「覚えられる物事が3つまで」になってしまう徐倫。手に縫い付けた『エンポリオに会え』という文字を頼りに動き出す。だが、一方のエンポリオもミューミューのスタンド能力で窮地に陥っていた。記憶を失いながらも警備の目をかいくぐり、徐倫エンポリオのいる隠し部屋までたどり着くが、それもまたミューミューの思惑通りであった。
 

1.もう一つの監獄

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女囚「おいテメー、さっきから何回巻き戻してんだよ!?」
女囚「逆にスジが分からなくなっただろうがよォーッ!?」
 
ジョジョの奇妙な冒険」第6部のアニメ化シーズン2の最終回となる今回は、主人公・空条徐倫が刑務所の娯楽室で間抜けな振る舞いをする場面から始まる。映画の話が分からず何度も録画を巻き戻す、4コママンガのオチの意味が分からない……看守ミューミューのスタンド「ジェイル・ハウス・ロック」によって新たに覚えられる物事を3つに制限されてしまった彼女は、もはや娯楽を楽しむことすらできなくなってしまっていた。だが、彼女の姿はけして他人事ではない。
 

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徐倫「ところであたし、なんでこの娯楽室に来たんだっけ?」
 
映画にせよ現実にせよ、「物語」の把握にはバックグラウンドの把握が案外求められるものだ。なぜその人間が愚かにも思える行動をとるのか? なぜもっと賢く振る舞えないのか? 背景を理解できなければ「物語」は途端に意味不明なものとして映り、私達は映画監督やニュースで見る人物を罵倒することになる。事情を把握していないのはこちらなのにも関わらず、だ。もっと直截的に言えば、SNSやニュースメディアで新しい話題に次々関心を奪われ、1ヶ月前の記憶すら怪しい現代の私達は新しい物事を3つまでしか覚えられない徐倫と何も変わりはしない。
 

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徐倫(あれ? あっちから来る看守、一人だったか……?)
 
人間が頭の中に物事をしまっておける領域、言ってみればメモリは限られており、しかしそれに反して世の中は複雑怪奇に物事が組み上げられて作られている。そんな私達が大量の情報に触れた時、いったい何が起きるのか?……「ジェイル・ハウス・ロック」の能力が徐倫にもたらす新たな現象は、このことについて示唆的である。
 

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ミューミュー(お前は3つまでしか記憶できないわけだから、4人の看守が来たとしてもお前に覚えられるのは3人までだ。4人以上は目では見えているのだが、お前の脳は記憶として受け付けていない)
 
この24話で「ジェイル・ハウス・ロック」の能力がもたらす新たな現象、それは一定以上の物事へのある種の失認だ。4人以上の看守を見た時、4発以上の銃弾を撃たれた時、徐倫は4人目や4発目以降を認識できない。3つまでしか記憶できない彼女には、それらは目では見えても脳が記憶として受け付けないのである。
徐倫の身に起きる異常は4つだから異常として分かりやすいが、程度の差こそあれこれも他の人間に無縁の出来事ではない。私達にしても、複雑なものを見た時には情報を単純化させて対応しようとすることが珍しくないからだ。文章の特定の部分だけで全体を読み取ろうとしたり、あるいは逆に全体を見るよう促しながらむしろ別の特定の部分に注意を向けるといった操作は、この情報化社会で例外なく誰もが無意識的に行ってしまっている――いや、頭がパンクするのを避けるために必要不可欠な――情報の受け取り方であろう。
 

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徐倫(どこだここは? あたしは今どこにいるんだ? なんで追われているんだ?)
 
「ジェイル・ハウス・ロック」はミューミューのスタンドであり、現実には存在しない超常の能力である。だが徐倫の今回の体験は現代で私達が遭遇する出来事の比喩として見ることのできるものであり、ならば彼女の置かれた環境は私達にも当てはめられるものだ。私達は情報化社会という監獄に囚われており、徐倫の脱獄は自然そこからの脱獄の試みのメタファーたり得るのである。
 
 

2.2進法で3を脱獄せよ

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世の中は複雑である。バックグラウンドまでさかのぼれば同じ基準で行われていることが単純化によって矛盾に見えることは珍しくないし、昨今はむしろそう振る舞う方が有利にすらなりつつある。だが、ミューミューの攻撃に対し徐倫達が採るのはそういう泥のぶつけ合いのようなやり方ではない。彼女が見るのは星であり、複雑さそのものに対する一撃でなければならないからだ。
 

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エンポリオ「2進法なんだ。全てのものは数字で表すことができる。お姉ちゃんの糸で1と0を正確に書けば、ストーン・フリーがデジタルで表現するプリンタになるんだ!」
 
徐倫は最初、ミューミューが発射した複数の弾丸を「水に映った1つの像」として捉えて対処するが、これは相手を一時的に退けるだけで決定打とはならない。この戦いで決定打となったのは、徐倫の仲間にして彼女と同じく「ジェイル・ハウス・ロック」にかけられた少年エンポリオが、それでもミューミューを忘れないよう計算した「2進法による似顔絵」であった。徐倫はミューミューの策略で彼女の存在を失認させられてしまったが、エンポリオの計算した数字を糸のスタンド「ストーン・フリー」によってプリントアウト・・・・・・・することで再び認識。彼女を撃破することに成功する。3つ以上のものを覚えられなくするミューミューに対し、エンポリオは0と1の組み合わせで3以上の壁を突破したのだった。
 

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3つ以上のものを認識できないなら、0と1の2つで捉えればいい――エンポリオの出した結論は屁理屈のようだが、これは世界の複雑さへの一つの回答である。いまや私達の生活に欠かせなくなったコンピュータはこの2進法で動いており、全てを0と1の組み合わせで表現しているからだ。複雑な立体データも色も音も全てなのだから驚きだが、つまり世の中というのはどんな複雑なことも結局は単純なことの組み合わせに分解できるのである。
 

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私達はしばしば世の中の複雑さに立ち尽くして理不尽を受け入れたり、あるいは逆に要約したりまとめることで過度な単純化を図ったりする。だが、それは極端から極端に寄っただけで実際はどちらも大差がない。例えるなら、0だけで考えるか1だけで考えるかの違いに過ぎない。
「世の中は複雑だが、単純なことの組み合わせでできている」と理解することは、己の頭の中に0と1を共存させることだ。複雑さと単純さは両の車輪であってどちらが欠けても私達は前に進めず、私達は自分が二つの基準ダブルスタンダードを持っていることを認識しなければならない。建前やきれいごとは息苦しいししょせん嘘っぱちだが事実や本音だけでは人は生きていけないし、喜怒哀楽の感情はどれもが人を正しも誤らせもする。徐倫の窮地を救った0と1の2進法で描かれた似顔絵とは、ミューミューだけでなく世の実相の似顔絵でもあったのだった。
 

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徐倫「おいでエンポリオ、行くよ」
 
記憶を操る難敵を撃破した徐倫は、今度は逆にその能力を利用して刑務所を抜け出す。4つ以上のものを失認させるミューミューの能力は脱獄の大きな障害であったが、味方にすればむしろ切り札だ。世の中は0だけでも1だけでもないから、時にはこうした逆転も起き得る。
 
複雑さも単純さも知りながら、ともすればその行き来を忘れる私達は、いわばミューミューに認識を誤魔化され徐倫達にすり抜けられていく看守達である。そして職務上刑務所に詰めなければならない彼らも、見様によっては刑務所に囚われの身である。それを尻目に脱獄する徐倫達の姿が、私にはとても眩しい。
彼女達の脱獄はこれまでの舞台であるG.D.st刑務所だけでなく、敵味方や白黒の複雑さを熟知したつもりでむしろどんどん単純になっていく、時勢という名の監獄からも抜け出す希望のように私には思えるのである。
 
 

感想

というわけでジョジョ6部のアニメ24話レビューでした。ミューミュー戦、連載時は分かったような分からないようなというのが正直なところだったのですが、アニメで見てみるととても現代的に受け止められる内容に驚き。これ、当時の荒木先生の頭の中だとどういう組み立てになってたんでしょう。
 
ものを2つに増やすエルメェスのスタンドに始まり2進法で終わるこのシーズン2、この区切りだけでもテーマ的にとても面白い作りだったのだと思います。看守の間を通り抜けていく際の劇伴、これまでの話でも流れていますがいつも以上に美しく聞こえました。
 
さて、年が明けてからはいよいよ最終章がTV放映。6部を噛み締め直すこの貴重な体験、残り3ヶ月しっかり味わいたいと思います。
 
 

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