逃れられぬまなこ――「平家物語」4話レビュー&感想

f:id:yhaniwa:20220203233744j:plain

©️「平家物語」製作委員会
人が物語になる「平家物語」。4話、重盛は子を身ごもった徳子が西光達の怨念に苦しめられているのを見る。彼とびわの不思議な目は本作の鍵であるが、今回は「見る」ことが特に大きな意味を持つ。
 
 

平家物語 第4話「無文の沙汰」

待望の御子を授かったにもかかわらず、病床に臥せってしまった徳子。
見舞いにきた重盛が片目で周囲を見ると、密議の陰謀で処分された者たちの怨霊が蠢いていた。
恩赦によって流罪になった者たちが解放され、徳子の息子が無事産まれるが、平家の立場はいっそう難しいものとなっていた。

公式サイトあらすじより)

 

1.「見えない」幸せ

この4話は重盛が死す回であるが、それは事故や流行病といった不慮のものではなく彼の望みに応じたものだ。縁近い藤原成親鹿ヶ谷の陰謀に関与しており面目丸つぶれとなった重盛はもはや自分に父清盛を止めることはできないと嘆き、熊野権現に詣でてこう願った。
 

f:id:yhaniwa:20220203233808j:plain

©️「平家物語」製作委員会
重盛「願わくば父清盛がこれ以上の栄華を追い求めず世を安らかにすることに心を砕いて下さいますよう。ですがもしこの栄華が一代限りで終わるのでしたら、平家の子孫達が恥を受ける様を見ずに済みますよう、どうかわたくしの命を縮めて下さいますよう。お願い申し上げます」
 
重盛は熊野権現に、清盛の改心かさもなくば後の没落を見ずに済むよう自分の早逝を願った。前半はともかく、後半の願いを軟弱なものと捉える人もいるかもしれない。だがここで注目したいのは、彼は子孫達が恥を受ける様を「見ずに」済みますようにと願っている点だ。これまでも描かれてきたように、死者を映す目を持つ重盛にとって「見る」ことは特別な意味を持っている。そしてこれを念頭に振り返ってみると、この4話は少し違った姿を見せてくる。「語り直して」くる。
 

f:id:yhaniwa:20220203233820j:plain

©️「平家物語」製作委員会
高倉天皇「力を落とした父の姿を見ますとさすがに……」
 
例えば高倉天皇は、父である後白河法皇が多くの側近を失い力を落とした父の姿を「見る」のが辛いと重盛にこぼす。二人の親子仲はけして良好と言うわけではないが、それでも弱った肉親を見るのはさすがに心に暗い影を落とす。
 

f:id:yhaniwa:20220203233833j:plain

©️「平家物語」製作委員会
資盛「伊子殿!お願いです、私だけを見てほしいのです!」
 
例えば資盛は、思いを寄せる伊子に自分だけを「見て」ほしいと願うが逃げられてしまう。彼女は資盛を嫌っているわけではないが他にも好意を抱く相手がおり、その視界に自分だけが映っていないことを資盛は嘆かずにいられない。
 

f:id:yhaniwa:20220203233849j:plain

©️「平家物語」製作委員会
例えばびわは徳子に生まれた子(安徳天皇)の未来を「見て」ほしいと頼まれ断るが、こっそり覗いたそこに映っていたのは彼女が自分の命に代えても助けたいと願うその愛子が海中に飲まれる様であった。何も知らない徳子は幸せそうに赤子をあやすが、もしびわから伝えられ未来を事実上「見て」しまったらその笑顔は消えてしまうだろう。
 

f:id:yhaniwa:20220203233919j:plain

©️「平家物語」製作委員会
びわ「見とうない。見ても何もできぬのなら、何も見とうない」
 
重盛に何が見えているか聞かれ、びわは見たくないと答える。見ても何もできないのであれば、苦しみが増すばかりなのを彼女は感じ取っている。知らぬが仏という言葉は半ば嘲りだが、「見える」彼女や重盛にとって「見えない」ことはささやかな幸せへの蜘蛛の糸にすら感じられているのである。
 
 

2.逃れられぬまなこ

「見える」者にとっては「見えない」ことが幸せ。しかし、その安楽を世は許してはくれない。「見えない」――いや「見ない」ことには限界がある。
 

f:id:yhaniwa:20220203233938j:plain

©️「平家物語」製作委員会
4話冒頭、徳子に西光や成親達の怨念が付きまとっているのを見てしまった重盛は恩赦を清盛に願う。亡くなった者を供養し流罪となった者を許せば徳子の安産に繋がると訴え、清盛も首を縦には振ったが全てを許したわけではなかった。鬼界ヶ島に流された後白河法皇の側近3人の内、俊寛だけは都に戻るのを許されなかったのだ。
 

f:id:yhaniwa:20220203233950j:plain

©️「平家物語」製作委員会
自分だけ戻れないのを受け入れられず、必死に小舟を追いかける俊寛の姿は悲惨だ。いくら自分も連れて行くよう求めても、船が引き返すことはなく許された2人も去ってしまう。絶望で自分の運命を見ることのできない彼の視界には、何の救いも映りはしない。
 

f:id:yhaniwa:20220203234002j:plain

©️「平家物語」製作委員会
重盛「父上が……平家が……!」
 
重盛も願いを叶えられその寿命は風前の灯となるが、彼が見ずに済むのはあくまで平家が滅ぶ実際の様だけに過ぎない。夢の中で彼は、春日大明神が清盛の悪行を裁き平家の運命は尽きたと宣言するのを目にする。父が改心することはなく、平家は滅亡する残酷な未来が待っていることを「見て」しまう。
 

f:id:yhaniwa:20220203234018j:plain

©️「平家物語」製作委員会
重盛「私にはもう清盛入道を諌めることはできぬ。維盛、どうか私に代わってこれを……」
 
重盛が病に臥せっているのに気を落としていても法皇や資盛達が今様を歌ったりするように、浮世に気晴らしは――見ないふりができる時間は必要だ。しかしそれはあくまで一時のものに過ぎず、いつまでも目をつぶっていられるわけではない。目をつぶっている間に安息が訪れるわけではない。故に重盛は自分の死後に目を向ける。見ずに済ませたいと願っていたものを見ようとする。清盛が考えを改めることなどないのだ。平家はもう滅びるのだ。清盛の葬儀の時のための太刀を維盛に託すのは、彼が運命を受け入れた証なのであろう。
 

f:id:yhaniwa:20220203234033j:plain

©️「平家物語」製作委員会

f:id:yhaniwa:20220203234043j:plain

©️「平家物語」製作委員会
びわびわは、重盛の目をもろうたのか」
 
かくて逃れ得ぬさだめを受け止めて重盛は息を引き取り、びわは己の左目に死者を見る重盛の目の力が宿ったことを知る。見ても何もできないなら見たくないと嘆いたびわに、その目が何をもたらすのかは分からない。だが、彼女がいっそう多くのものを「見る」よう運命づけられたことだけは確かであろう。
瞳に映るものに絶望しようと、びわは人には見えぬものが見えるそのまなこから逃れられない。いかに過酷なものが待ち受けていようと、いかに無力であろうと、見ることなしに未来は生まれてこないのだ。
 
 

感想

というわけで平家物語の4話レビューでした。重盛が死んでしまったら残り7話何を支えに見ていけばいいのかくらいの気分もあったのですが、覚悟したより穏やかな気持で彼の死を受け入れることができました。いやびわの慟哭にやはり見ていて涙してはしまうんですが、やることはしっかり果たして逝ったなという感じで。びわの音を聞きながら旅立つというのも最上の救いであったように思います。
さて、庇護者とも呼ぶべき重盛を失ったこの語りはどこに向かうのでしょう。
 
 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>