継承は正しさに宿らず――「平家物語」5話レビュー&感想

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©️「平家物語」製作委員会
平家物語」。5話では亡き重盛に代わり弟・宗盛が平家の棟梁の座に就くが、もちろん彼に重盛の代役は務まらない。重盛の瞳はびわに受け継がれている。継承は正しさに拠るとは限らない。
 
 

平家物語 第5話「橋合戦」

重盛の死を受け、「未来が見えても変えることはできない」と嘆くびわ
その左目は、いつの間にか重盛の目と同じ色になっていた。
重盛に代わり弟の宗盛が平家の頭領になるが、後白河法皇は平家の勢力を削ごうと動き始める。
これに反発した清盛は、三種の神器とともに幼い安徳天皇の即位を急ぐ。

公式サイトあらすじより)

 

1.困難な継承

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©️「平家物語」製作委員会
重衡「橋を引いたぞ!過ちをするな!」
 
5話の副題は「橋合戦」であり、これは劇中でも描かれているように平家とその討伐に挙兵した以仁王の軍勢の宇治橋での合戦を指す。平家は多勢を以て攻め立てるが、橋板が落とされた宇治橋を渡れず苦戦を強いられることになる。矢を切って落とす"矢切の但馬"の逸話と言い、軍記物語として見た時胸躍る場面の一つであろう。しかし最初に述べたように継承を念頭に考えた時、この場面の見え方は少し違ってくる。橋を渡って向こうに行けないとは継承の失敗と同義であり、この橋合戦は不吉な暗示としての意味をも持つからだ。
 

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©️「平家物語」製作委員会
知盛「兄弟力を合わせ、もりもりひらりと頑張るさ!はっはっは!」
 

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©️「平家物語」製作委員会
重衡「これから先は我らが平家を背負っていく。その時のために、笛だけでなく政にも関心を持ち武芸の腕も磨かねばな」
 
継承は難しい。今回は重盛の弟・知盛や重衡がびわの前に姿を現すが、この二人に嫌悪感を抱く視聴者はあまりいないだろう。気さくで豪放磊落な知盛に飄々としつつも優しい重衡は戦でもキビキビと動き、名門武家の一員に相応しい器量と魅力を見せている。「兄上がおらんでも我らは平家を継いでいかねばならんのだ」と知盛が言うように、彼らは重盛亡き後の平家を継ぐべく奮闘している。才も気力も満ちていて――しかしそれでも重盛の代わりを果たせない。継承できない。
 

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©️「平家物語」製作委員会
後白河法皇「なんと、平家の武士共が我らに牙をむくとは……」
 
この5話では以仁王の乱の前にも騒動が起きており、再び平家の力を削ろうとした後白河法皇は鳥羽離宮に幽閉されてしまう。法皇の幽閉はかつて重盛が自分の首を懸けて止めた大逆でありこれはその再現であるが、今度は宗盛はもちろん知盛や重衡にも清盛を止めることはできなかった。彼らは朝廷と清盛の間を取り持った重盛の跡を継承するのに失敗しているのだ。そして「継げない」のはもちろん重盛の弟達だけではない。重盛が亡くなったのなら、当然その息子である維盛もまた継承の矢面に立たなければならないのだから。
 
 

2.継げない苦しみ

維盛は重盛の長子だ。もし平家が重盛の下で更に体制を盤石にしていれば、彼が次の棟梁となる未来もありえたことだろう。しかし戦に望む維盛の姿に、そういった力強さは全く見えない。
 

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資盛「兄上、いつものように逃げ腰では敵は倒せませぬぞ!」
 
普段から怖がりでしかし誰もが認める舞を踊る維盛は、戦の出立に際してもたおやかだ。紅をさした顔は勇猛と言うより美しく、そこには殺気立った気配は微塵も感じられない。別れの際は軽口を叩いた資盛も実は本気で心配しているように、維盛には戦の才も人殺しへの割り切りも全くないのだ。およそ彼には武士らしさがない。そういうものを全く継げていない。
 
 

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©️「平家物語」製作委員会
傷つく人に、燃える寺に、尽きる命に維盛は怯える。なぜか?それは死や焼滅が断絶に他ならないからだ。その人やものがこれまで継承してきたものをいとも容易く奪ってしまう、とても残酷な出来事だからだ。武士として継ぐべきものを継げていない己を理解している維盛にとって、これほど目にするのが辛いものもないだろう。
 

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清盛「徳子、もっと喜ばぬか。そなたの子が、わしの孫が天皇になったのだぞ!」
 
人の歴史が親から子へと続いていく以上、継ぐことの重要性はほとんど絶対的なものだ。血縁、家名、技術、財産、権威、伝統……人は自分が築いたり継いだものを後世に残したがるものだし、時にはそのために継承者に無理難題を強いもする。年端も行かない子供を結婚させたり再婚先を探してやらなかったり、全く素質のないことをさせたりするのはその典型と言えるだろう*1
 

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重衡「(寺を焼いてしまい)戦が夜まで続きましたので、同士討ちを避けるためにやむを得ず。あれほど燃えるとは……!」
 
しかし維盛はもちろん知盛や重衡でも重盛の代役は務まらないように、継承というのは難しいものだ。先人の言葉を自らの言葉で語り直すのは難しいものだ。どれだけ力に物を言わせて受け継がせていったとしても、どこかでそれは途切れてしまう。だが、それに対して我々ができることは何もないのだろうか?
 
 

3.継承は正しさに宿らず

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重盛という大樹を継承できず平家の者が苦しむ中、この5話では一人それに反旗を翻す者がいる。豪放な知盛か?橋ではなく川を渡る重衡か?違う。それは徳子だ。
 

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徳子「殖子様との間にまた御子が生まれたのですって。考えると苦しくて苦しくて……」
 
中世近世の女性の大半がそうであるように、徳子にはおよそ自由意志が許されていない。父に言われ望みもしない相手と結婚し、産んだ子供は自分で立つこともままならない歳で天皇に祭り上げられ、それらに対し異を唱えることなど許されない。揺るぎない意思で道を切り開くなどということもなく、子供なんてできない方が幸せと思っていても生まれればかわいくて仕方ないし、望まぬ結婚でも次第に高倉上皇に惹かれていく。徳子は権力も持たなければ意思を貫くこともできない――「継げない」極めて無力でか弱い人間だ。しかしそんな翻弄されるばかりの彼女の口からは今回、意外な言葉が紡がれる。
 

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徳子「でも私は赦すの。父上も法皇様も上皇様もみんな。赦すだなんて偉そうね。でもどちらかがそう思わねば憎しみ、争うしかない。でも私は、世界が苦しいだけじゃないって思いたい。だから私は赦して、赦して、赦すの」
 
人が継ぐのはけして、血縁や財産など目に見えるものばかりではない。憎しみや恨みといった思いもまた継がれ、時に人はその奴隷にすらなる。欲しいものは継げない一方で継ぎたくもないものばかりに足を引っ張られ、覆そうとして覆せないのが世の常なのは平家の男達が示してきた通り。しかし徳子のこの言葉は、継ぐか継がないかの二択から外れた視点を私達に示している。
 

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©️「平家物語」製作委員会
「赦す」とは「継がない」ことではない。継がなければ、忘れたり知らなければそもそも何を赦すこともできないからだ。しかし一方で「継ぐ」だけでも赦すことはできない。継いだものにただ従うだけでは何の変化も生まれず、やがてそれは停滞や泥沼を生む。「赦す」行為とは継承のままならさに抗うのではなく、それを受け入れるからこそできる反逆なのである。
 

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©️「平家物語」製作委員会
びわを交え新たな姿で語り直すこの作品は、けして原典そのままではない。つまり原典を継いではいない。シンガポールの首相リー・クアンユーの名言「許そう、しかし決して忘れまい」を思えば、何の力も持たないはずの徳子の先の言葉はほとんど時空を超越していると言ってもいい。
しかしだからこそ、そのままではカビすら生えたように見えるはずのこの古典は現代の私達の近くにやってきている。ほとんど記号化されていた歴史上の人物に、私達と変わらない人間としての輪郭を与えてくれている。それこそはきっと、紡がれた当時「平家物語」に対して人々が抱いていた感触(≠論理)と同じものなのであろう。
継げないものも、継いでしまうものもある。だが、大切なものは継承の正確さだけに宿るわけではないのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ平家物語の5話レビューでした。これまでもなんとなく感じていましたが、本作は弱き者の手に物語を取り戻す作品なのだと思います。もともと結末からして喜んで終えられる原作ではないとしても、史実との関係や軍記物語としての性格上どうしても平家には「増長して堕落した武士」みたいなイメージがつきがちで。特に維盛なんかはマチズモ的観点からだと情けない奴とばかり見えちゃうわけです。でもこうやってアニメで人間として描かれると、そりゃ彼が武将をやること自体が間違いだよなと思えてくる。逃げ道が少ないって悲惨だ。
 
一応教科書レベルよりは日本史に親しんできたつもりですが、自分にはこうした観点が全く欠けていたんだと反省させられることしきりです。いやー、最後まで見たらどうなるんだろうか……
 
 

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*1:近現代で言えば「誰のお陰で飯が食えると思ってるんだ」がこうした構造に当てはまるだろうか