人とジョジョの別れ――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」37話レビュー&感想

©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
加速の果ての「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」。37話ではプッチ神父との決戦が思わぬ結果を迎える。この戦いは、大いなる別れの戦いである。
 
 
プッチ神父の能力は完成した。新たなスタンド「メイド・イン・ヘブン」による超スピードの攻撃から戦況を立て直すため、「海(オーシャン)」へ決死の移動を図る徐倫たち。アナスイが囮となり、承太郎が「スタープラチナ」で時を止め攻撃を仕掛ける。しかし、プッチ神父の行動がわずかに早く、承太郎が目にしたのは徐倫に今にも突き刺さらんとする大量のナイフ……
 

1.岸辺露伴は加速する

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漫画家「え、それでも間に合う漫画家がいる? だ、誰ですそいつは!? 何者なんだそいつは!」
編集者「岸辺露伴……」

 

時間を加速させる驚異の能力を駆使するプッチ神父の新スタンド『メイド・イン・ヘブン』。時を止める最強のスタンド『スタープラチナ』すら寄せ付けないその強さとショッキングな結果に緊張感と絶望感あふれる37話だが、笑える場面がないわけではない。今回の話では時間の加速に混乱する人々の様子も描かれているが、描く前にペン先のインクが乾く状況でも「岸辺露伴」は原稿を間に合わせているという話にクスッとなったシリーズファンは多いはずだ。最初に触れた「別れ」について書くために、この寄り道を許してもらいたい。
 
時間加速下でも原稿を描ける漫画家、岸辺露伴。彼は本作4部「ダイヤモンドは砕けない」に登場した人物で、その際も下書き無しで複雑な構図を描いたりインクを手裏剣のように飛ばしてわずかな時間でベタ塗りを済ませるなど人間離れした速筆ぶりを披露していた。「露伴ならちょっとやそっと時間が加速しても対応してみせるだろう」と思わせる強烈なキャラクターの持ち主でもありそこが笑いを誘うわけだが――よく考えてみるとこれはおかしい。4部で彼はこんなことを言っている。
 
露伴「ガンガン創作意欲が湧いてくる! 描きたくて描きたくてしょうがない、どんどん描きたい! 一晩で19ページも描けるなんて僕自身も初めての経験だ!」
 
4部で披露された速筆は諸事情で最高潮の状態にあったからできたもので、彼は一晩で19ページを描いた体験への興奮を語っている。1999年が舞台の4部から13年で更に恐るべき速さに加速している可能性はあるが、いくらなんでも描く前にペン先のインクが乾く状況に対応できるレベルではない。これは野暮なツッコミなのか? 矛盾を解決する仮説が一つある。「岸辺露伴プッチ神父同様に加速している」なら問題なく描けるはずだ。
 
露伴「早く! 次のリアリティが欲しいんだ!」
 
何をバカなことを、と思われただろうが、『メイド・イン・ヘブン』は生き物以外の全ての時間を加速させるスタンドである。そして4部や短編「岸辺露伴は動かない」を読んだ・あるいは視聴した人は、彼が漫画のために他の全てを捨てられる、人間をやめた・・・・・・ような漫画家であるのはよく知っていることだろう。岸辺露伴は一人の人間やキャラクターを超えて概念的な漫画家とすら言える存在であり、つまりその点で「生き物以外」としてカウントし得る。すなわち時間加速の対象になり得るのである。「皆が大混乱に陥る状況にむしろ創作意欲をかき立てられ、目にも留まらぬ速さで漫画を描いている」……加速した時間の中で慌てて執筆している姿より、そんな露伴の方がずっとリアリティがないだろうか。
 
露伴に関する仮説からは、無機物や死体だけでなく「概念」も時間加速する可能性が指摘できる。そして本作には、シリーズを通じて継承されている概念がある。プッチ神父が断とうとする障害、ジョースターの血統――そう「ジョジョ」という概念だ。
 
 

2.崩れる人とジョジョのバランス

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アナスイ「承太郎さん! まだだ、まだだぞ! オレの合図を待て!」
 
英国貴族ジョナサン・ジョースターを初代とする、彼の血を受け継ぎ2つの「ジョ」を重ねて読める名前の持ち主。その条件を満たす者が代々受け継いできたのが本作の主人公「ジョジョ」であるが、この6部はそれを問い直してきた。なにせ主人公の徐倫は3部の主人公・空条承太郎の娘(初の女主人公)という出自と犯罪者という対照的な面を併せ持ち、おまけにシリーズの顔でもあった承太郎は早々に一度敗北している。6部における「ジョジョ」の概念はこれまでよりずっと不安定になっていると言ってよい。この決戦でも、承太郎や徐倫はこれまでのシリーズの主人公のような圧倒的な強さは示せていない。
 

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アナスイ「順番が誰から攻撃されようと! まず『ダイバー・ダウン』が最初の攻撃を引き受ける!」
 
不安定な「ジョジョ」の概念を立て直すにはどうすればいいか? 方法の一つは「他者の力を借りる」ことだ。今回で言えば仲間のエルメェスエンポリオが危機を回避するため働かせた機転や、アナスイが相打ち覚悟で提案した打開策などが挙げられるだろう。特に徐倫アナスイが軽口で言った(軽口でしか言えなかった)プロポーズを実質的に受け入れるほどその志を絶賛しており、時間加速で一層不安定になっていた「ジョジョ」の概念は彼によって補われていたと言える。
 

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プッチ神父ジョースター家は血統故に誇りと勇気から力を得、運命に勝利してきた。だが弱点もまた血統故に! 空条承太郎、娘がお前の弱点なのだ」
 
メイド・イン・ヘブン』が1人ずつしか攻撃できないのを利用し、潜行させたスタンド『ダイバー・ダウン』によって最初のダメージを引き受けたアナスイの合図で時を止めた承太郎がプッチ神父を討つ。海に続く湿地帯で起死回生の作戦を実行する直前、徐倫達が気付いたのはは時間の流れが更に加速していることだった。
3部から20年以上を経て父親になった承太郎が弱みも抱えたことから分かるように、時間の流れは「ジョジョ」と「人間」のバランスを変動させるものだ。すなわち先程アナスイによって補われた「ジョジョ」の概念はこの再加速で再び不安定となり、故に彼の立てた作戦は失敗に終わる。プッチ神父は愛を受け入れた徐倫の腕にアナスイを貫かせ、更には彼女を人質にする外道な手段で承太郎に「止まった時間」の消費を強いて攻撃を回避。瞬く間にアナスイエルメェス、承太郎を殺害した上に徐倫を瀕死に追い込んでしまった。
 

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エンポリオ「うわあああああああ!」
 
ジョジョの奇妙な冒険」は人間讃歌であるが、プッチ神父は人間と「ジョジョ」の概念を切り離してしまった。そして、概念となった「ジョジョ」は生き物あらざるが故にここから加速していくことになる。だがもちろん、この加速はプッチ神父と渡り合うような即物的な加速ではない。
 
 

3.人とジョジョの別れ

プッチ神父によって分かたれた人間と「ジョジョ」の概念。実はこれは明確に可視化されている。何のことか?と言えば残った者を見れば良い。瀕死ながらもまだ生きている徐倫、そして少年エンポリオが目に入るはずだ。
 

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エンポリオはシリーズの中でも特異な立ち位置の少年である。「物の幽霊」を操るスタンド能力の特性上彼はまともな戦闘力を持っておらず、もっぱら子供ながら豊富な知識による徐倫達のサポートが彼の役割であった。スタンド使いではあるが、極めて普通の人間に近い存在と言えるだろう。
 

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また徐倫は承太郎の復活後は彼の娘としての描写が増えていたが、承太郎は先程プッチ神父に殺されてしまった。彼女に残されたのはエンポリオの「おねえちゃん」……ヒーローたる「ジョジョ」の役割である。つまり人間エンポリオと「ジョジョ」の概念たる徐倫だけが残されているのが承太郎達の死亡後の状況なのだ。
 

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徐倫「あたしがいたらアンタは逃れられない」
 
徐倫は己の体を糸に変えるスタンド『ストーン・フリー』で捕えたイルカにエンポリオを乗せ、加速しようともイルカのように長くは泳げないプッチ神父の限界を突いて彼を逃がそうとする。一緒に逃げる、ことはできない。彼女はプッチ神父と互いに位置を感じ合う関係にあるから、同行するわけにはいかない。エンポリオが今回幾度か「何を言っているかわからない」と混乱しているように、加速度の異なる人とジョジョはもはや一緒にいることができない。
 

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徐倫「一人で行くのよエンポリオ、この先に続く道を……大丈夫。今のあんたならもうできるはず。あんたを逃がすのはアナスイでありエルメェスであり、あたしの父さん、空条承太郎……生き延びるのよ。あんたは希望!」
 
エンポリオ徐倫の別れを人とジョジョの別れに重ねて捉える時、上記の徐倫の台詞はメタ的な意味を伴って見える。私達人間は物語に様々なことを教えてもらって生きているが、物語は時間の流れと共に朽ちていくものだ。絵は古くなり、価値観はそぐわなくなり、いずれ描かれた時のように読まれることはできなくなる。本作にしても、3部で承太郎が自分は不良だと語るくだりは卑下なのを踏まえても今読むと驚かずにいられない代物である。だが、私達が物語から学ぶものはそんな目に見えるものだけだったろうか? そうではないはずだ。
物語からもらった勇気であるとか道標といったものは、仮に物語自体が朽ちたとしても失われはしない。後年読み返してあまりに荒唐無稽だと気付いたり、時には差別的な内容だったと感じたとしても、かつて私達が物語に感動した事実までもが否定されるわけではない。その感動さえ胸にあれば、私達は物語を失ったとしても前へ進める。一度背中を押してもらったなら、後は一人でだって先に続く道を行くことができる。徐倫が言っているのはそういうことだ。
物語は大切なものだけれど、それ自体に拘泥してしまってはかえって意味が失われる。むしろそこからあなたが何かを受け取ったことが大切なのだと背中を押すメッセージとして彼女の言葉は解釈できるのである。
 

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勝ち目がないと承知しながら時間稼ぎのためプッチ神父に挑んだ徐倫は――いや「ジョジョ」の概念は敗北し、時間の加速の中に消えていく。更に速度を増す時間は衣服も大地も朽ちさせ、エンポリオは人を含めた生き物だけが宇宙を漂う奇妙な空間を見る。これがプッチ神父の望んだ「天国」なのか? 違う。次の瞬間エンポリオが見たのは本来の速度に戻った時間と、なぜかかつて潜んでいたグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所の面会室の前に自分がいる奇妙な事実であった。
時間の加速の果てに今ここにいる人間は、エンポリオも囚人も刑務官もなぜか裸……生まれたままの姿、つまり人間そのものだ。生きもの以外はここに来る前に全てが朽ちている。承太郎達の亡骸が急速に腐敗していった描写から分かるように、プッチ神父に敗れた「ジョジョ」の概念もまた朽ちている。だが、徐倫が遺したのはそれと共に消えるようなものではなかったはずだ。
 

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エンポリオ「この場所は……知っている、ここは! グリーン・ドルフィン・ストリート刑務所! 場所は面会室前の廊下だ!」
 
この37話は別れの話である。エンポリオの乗ったイルカと繋がる糸を徐倫が断った時、人とジョジョは遂に別れの時を迎えたのだ。
 
 

感想

というわけでジョジョ6部アニメ37話のレビューでした。「人間が残る」「ジョジョが加速する」までは浮かんだもののそれだと30分をカバーできておらず、露伴に着目するまでウンウン頭を悩ませながら朝から夕方まで視聴を繰り返すことになりました。ウンガロ戦のようにフィクションのキャラクターが現実に姿を現すわけではないけれど、私達とフィクション(物語)の関係性をよく示した内容だったと思います。「現実とフィクションの区別をつける」って、「これはただの絵だから」みたいなのじゃなく本当はこういうのを言うのかもしれません。
 
さて、あまりにも壮大な6部も次回でとうとう最終回。20年の時を越えてアニメで見る結末に私は何を感じるのか、来週を楽しみに待ちたいと思います。
*放送期間が被るため、バディゴル2期と水星の魔女2期の初回レビューは順延を見込んでいます。すみません。

 

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