学び舎の魔術――「魔法使いの嫁 SEASON2」1話レビュー&感想

私とあなたが再び交錯する「魔法使いの嫁 SEASON2」。1話ではチセにカレッジ(学院)からの誘いが舞い込む。今回は学び舎の魔術について書いてみたい。
 
 

魔法使いの嫁 SEASON2 第1話「Live and let live.Ⅱ」

チセの元に届いた一通の招待状———
それは魔術師の原石が集う”学院(カレッジ)”からのものだった。
蘇る過去の記憶、やっと手に入れた居場所。
悩みながらもチセは門を叩く決意をかためる。
一 学びたいんです。それが私や誰かの助けになるかもしれないから 一

公式サイトあらすじより)

 

1.魔法使いと魔術師

アドルフ「これがカレッジの全体像です。地中に柱として埋まっている形で……」
 
2014年の連載開始以来、精細な世界観で人気を博し幾度か映像化もされているヤマザキコレの「魔法使いの嫁」。TVシリーズ1期は主人公の少女チセが様々な場所を訪れていたが、今回は趣が異なる。なにせ舞台はカレッジ(学院)であり、描かれるのは雄大な自然や不思議な生き物ではなく、人工物であるからだ。
 
アドルフ「カレッジのことは、前にも少し話しましたよね」
チセ「魔術師の学校で互助組織だって……」
エリアス「分からないな。なぜそんなところに魔法使いのチセが?」

 

自然から人工物へ。これはカレッジが"魔法使い"ではなく"魔術師"の学び舎であることにも重なる。人以外のものの力を借りて超常現象を起こす魔法使いに対し魔法の原理を探究し独力で同じような現象を生み出すのが本作の魔術師であり、すなわち本作における魔術とは人工的な魔法に他ならない。「ひと為らざる魔法の世界からひと司る魔術の世界へ、ようこそ。」という2期のキャッチコピーはこの違いをよくよく表している。
 
チセ「地下なのに空……」
アドルフ「魔術で別の場所を投影してるんです」

 

現実でも人間は大自然の理を研究し、それを人工的に再現することで文明を発展させてきた。人間の歴史はまがい物の歴史である、と言ってもいいだろう。そしてこのまがい物の歴史というのは、人類というようなマクロなレベルに留まらない。ミクロにおいても、すなわち個人においてもまがい物の歴史は存在する。
 
 

2.チセにとってのカレッジ

生徒「気味悪いよね、いつも一人でいるし」
生徒「笑ったところ見たことない」
生徒「教室で一人で話してたよ」

 

本作の主人公であるチセは、およそ一般的な人間の枠組みから弾き出された少女だ。見えないものを見聞きする力故に学校ではのけ者にされ、家族からも厄介がられて孤独な身の上となり魔法使いエリアスに買われて今に至っている。「本物」の学園生活は彼女には縁のない代物だったわけだが、スレイ・ベガという特異体質に加えてドラゴンと不死の2つの呪いを受けたことがその運命を大きく変えた。研究対象としてあまりに魅力的な存在になった彼女にカレッジが興味を示し、協力の対価の一つに他の学生と共に学ぶ機会を提示したのである。
 
チセに用意される立場はあくまで聴講生であって正規の学生ではない。またこのカレッジは魔術師のための学校であるから、学ぶ内容も一般的な学校からはかけ離れたものだ。ある意味でまがい物まみれ――だが、まがい物だからと言ってこれが学校でないわけではない。チセはエリアスに希望を告げる際、こう語っている。
 
チセ「少し前から考えてたんです。わたしは全然ものを知らないんだって。だから必要に迫られた時にわたしはわたし自身を使うことしか思いつけなかった。皆がそれを悪いことだって言うのに。わたしはそれがどうして悪いか分からない。でも何かを知ることで、自分を使わないで解決できるなら。やりたいことを誰も傷つけずにできるなら。学びたいんです……それがいつか来ることの、わたしや誰かの助けになるかもしれないから」
 
チセの言葉から見えるのは、学ぶことへの強い意欲だ。学生の本分は勉強であり、逆に言えば勉強すること自体が重要であってその対象は一様ではない。現実でも学校には多彩な学部学科があるし、また学生は若者だけがなるものでもない。チセはまがい物の学校に本物の学校と同じ効用を見出したのであり、彼女という個人=ミクロにとってカレッジは二重の意味で"魔術"的な学校なのだ。そして上述のチセの関心が魔術そのものではないことから分かるように、学校で学ぶものは学科に限らない。
 
 

3.学び舎の魔術

学校で学ぶものは学科に限らない。これは学校が小さな社会に例えられることを挙げれば分かるだろう。私達は学校という空間で生まれる人間関係を通して人付き合いの機微や社会性を学習し、それらを卒業後の土台にするのである。この時の関係性は実社会に持ち越すこともできるし、あるいは逆に断ち切ることも可能だ。学校での人間関係や社会はあくまで限定的なものであり、すなわち人工物、魔術的なまがい物だと言える。だが、ここで私達は他人であるとか集団であるとかいったものだけを学ぶわけではない。
 
ローズ・リン「同室の子とはよく話し合うこと」
 
多くの学校は、年齢や学力などを基準に学生を在籍させる。ある程度の同質性を持たせるわけだが、もちろんそこには差異が残る。同級生にせよ上下級生にせよ、ある程度の近さはあってしかし同一ではない。似て非なるもの――すなわち、学生にとって他の学生とは制度による己の人工物、あるいは魔術的なまがい物としての性質を持つ。
 
前節で引用した台詞で、チセは自分が限られた方法しか知らずその問題点についても理解できないことを語った。それは、基準にせよ方法論にせよ自分をベースにしたものしか彼女が知らないためだ。物理的な視覚に限らず人間が自分を見る手段は限られていて、己と他者を並べなければ私達は自分を見ることができない。他人という己のまがい物は一種の鏡でもあって、学校生活を通して私達は自分についても学ぶのだ。
 
エリアス「僕の体には生物的な内臓は配置されていない。なのに、隠れて側にいたことがチセにバレた時を考えると内臓がギューっとする気がする」
 
カレッジで会う人々を見る時、チセは同時に自分も見ている。メディカルルームを預かるアレクサンドラからはカウンセリングを通して自分の努力や性向を認識するし、3つの寮のどこを家とするかの選択でも基礎となるのは自分の性質だ。これは彼女を見守るためカレッジの臨時教師を務めることになったエリアスにしても同様で、彼は内臓を持たない自分の心中に去来する思いを内臓に例えることでそれがどんな感情かを知る機会を得ている。
 
チセ「何をどうしよう、いつもと逆だから分からない……」
 
カレッジを訪れる前から仲の良いアリス、同室だが関係性は最低限に保とうとするルーシー、そしてよく倒れるチセの前で逆に倒れる学生らしき謎の少女……共に学ぶ中で、チセは彼女達だけでなく自分についても理解を深めていくことだろう。それは本物の魔法や本物の自然、本物の自分だけでは起こせない奇跡である。
学び舎には魔術がある。学校はひと為らざる魔法ではなく、ひと司る魔術によって人を人たらしめるのだ。
 
 

感想

というわけでまほよめのアニメ2期1話レビューでした。1期から5年ぶりということでかなり頭の中から抜けてしまっている部分があり、この1話もどうレビューを形にするか悩みましたが魔法使いと魔術師の違いからまとめることができました。キャッチフレーズ大事。舞台の転換からテーマがよく示されていた初回だったと思います。さてさて、カレッジでいったいどんな運命がチセとエリアスを待ち受けているんでしょう。
 
アレクサンドラのこの手と爪の色が芋虫感あってとても目を引きました。形状だけが違うわけじゃない。

 

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