二つの運命――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」38話レビュー&感想

©荒木飛呂彦&LUCKY LAND COMMUNICATIONS/集英社ジョジョの奇妙な冒険THE ANIMATION PROJECT
遠回りの「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」。最終回となる38話では運命を巡るプッチ神父の野望が明らかになる。だが、運命は1つしか無いわけではない。
 
 

ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 第38話(最終回)「ホワット・ア・ワンダフル・ワールド」

全てを巻き込む「時の加速」は止まらない。やがて宇宙は一巡して……目を覚ましたエンポリオがいたのはグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所。人類は世界の終点に到着し、新しい世界を迎えた。以前の世界からの因縁を断ち切るために現れるプッチ神父。絶体絶命の窮地に陥ったエンポリオは、徐倫が授けてくれたDISCを頭へ押し込んだ……

公式サイトあらすじより)

 

1.唯物主義者プッチ神父

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プッチ神父「神の御名において退けるッッ!」
 
「運命は1つしか無いわけではない」……最初に述べたこの言葉について考えるために、本レビューではまず6部の宿敵・プッチ神父が何者であるか定義することから始めたい。彼については敵役、最強、ラスボス等の言葉で表現もできるが、私が定義したいのはプッチ神父は唯物主義者か精神主義者かということだ。
 

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プッチ神父「悪い出来事の未来も知ることは絶望と思うだろうが逆だ! 明日死ぬと分かっていても覚悟があるから幸福なんだ。覚悟は絶望を吹き飛ばすからだ!」
 
ジョジョの奇妙な冒険』は精神を非常に重んじる作品である。3部以降作品に欠かせなくなったスタンドはパワーある精神のビジョンとされているし、死亡したキャラクターの魂が天へ昇っていく描写は何度も感動的な場面を演出してきた。そのようにして考えた時、プッチ神父は一見すると精神主義的な人間に思える。職業は目には見えない神を信じる神父であるし、今回明かされた彼の野望も人間に運命への「覚悟」を持たせて幸福にするという精神的な変化を期待したものだからだ。……だが、本当に彼は精神主義者だろうか?
 

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エンポリオ「ウェザーがお前に殺される時、DISCにして取り出した『ウェザー・リポート』の能力! 徐倫お姉ちゃんが僕に持っててくれって授けてくれたDISCだ!」
 
例えばプッチ神父が最初に身に着けたスタンド『ホワイトスネイク』は、人間の記憶やスタンドをDISCに変える能力であった。DISCは私達が手に触れられる物質であるから、『ホワイトスネイク』は精神を物質に変える能力だとも言える。
また、人間に運命への「覚悟」を持たせるため彼が採った方法はスタンド『メイド・イン・ヘブン』の時間加速で人々に未来を体験させ、同じことが起きる一巡後の世界に送り込むというものであったが、これは本来見えないはずの運命を記憶によって現実化――ある意味で物質化させることに他ならない。
プッチ神父は精神を重んじているようでいてその実、物質になった精神しか信じることができていない。そのことは、野望達成のためどれだけ人が死のうがその痛みを顧みず必要な犠牲としか考えない酷薄さによく表れている。定義するなら彼は「自分が精神主義者と思いこんでいる唯物主義者」だと言えるだろう。
 

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プッチ神父「細かい出来事は違っても、運命はけして変えられない」
 
ただ一人始末し損ねたエンポリオ少年を消し去るべく、世界が完全に一巡する少し前で時間加速を止めたプッチ神父は、彼がどんなに逃れようとしても一巡前同様にグリーン・ドルフィン・ストリート刑務所の隠し部屋に向かってしまう様を目にしてこう言う。「細かい出来事は違っても、運命はけして変えられない」……例えるならこれは、複数の国の興亡の歴史を並べて類似点だけに着目するようなものの見方だ。個々の国の細かい出来事は捨象され、そこでは結果さえ同じならどんな理不尽な経緯も無価値になる。このことは、一巡前同様に転ぶのが運命だからとプッチ神父が刑務所の看守を殴り飛ばす場面の乱暴さによく表れている。
 
プッチ神父の信奉する運命とは、言ってみれば『唯物主義的な運命』である。だが前回主人公・徐倫のナイフで片目を傷つけられた姿が示すように、彼は運命を片方しか見ることができていない。そう、唯物主義的な運命が存在するなら『精神主義的な運命』もまた存在するはずだ。
 
 

2.精神主義者としてのエンポリオ

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プッチ神父の言う運命とは唯物主義に基づいた片面的なものに過ぎず、運命には精神主義に基づく部分が存在する。それを担うのは誰か? もちろん一巡前の世界の戦いでただ一人生き延び、今回プッチ神父と戦うエンポリオ以外にはいない。
 

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エンポリオ「いないんだ……ここにお姉ちゃん達はいない……!」
 
精神主義に基づく時、運命は結果さえ同じなら変わらないものとは見なされない。先程の看守にしてみれば転ぶと知っていてもプッチ神父に殴られたことは腹が立つだろうし、エンポリオは一巡後の世界に徐倫達がおらず同じ役割を課せられた別人がいることに絶望する。歴史が大きく変わらずとも、徐倫達のいない一巡後の世界はエンポリオにとって精神主義的な運命を改変された世界である。だが一方で、この精神主義的な運命は唯物主義的なそれを超える力も秘めている。体験に基づかない薄弱なものである一方で、体験に縛られない可能性をもそこにはあるからだ。
 

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エンポリオ「宇宙の終わり……確か本で読んだことがある!」
 
エンポリオはこの38話、「本で読んだことがある」という台詞を2度口にしている。1度目はプッチ神父に追われながら『メイド・イン・ヘブン』の時間加速と世界(宇宙)の一巡の関係を理解した時。2度目はプッチ神父に敗れDISCを遺した仲間のスタンド『ウェザー・リポート』によって逆襲に転じた彼が、相手に起きた異常は濃度100%の純粋な酸素によるものと推測した時。もちろんこれらは体験による理解ではないから、少々乱暴な表現になるが唯物主義的ではなく精神主義的な理解である。
本をいくら読んでも生身の体験にはならないように、精神主義的な理解はあくまでも借り物に過ぎない。だが一人の人間が独力でできることは限られているし、借り物が必ずしも偽物とも限らない。己の力ではないと承知の上なら、借り物はむしろ私達の可能性を広げる手助けになってくれる。
 

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エンポリオ「運命は決まっていて変えられない。……のならお前に変えてもらうことにしたよ!」
 
物の幽霊を扱える少年に過ぎないエンポリオは、独力ではプッチ神父に立ち向かえない。けれど、だから彼は物質的には1人しかいない自分が"一人"ではないことを認識できる。エンポリオが一巡後の世界まで行けたのは徐倫達が助けてくれたおかげであり、彼が反撃に転じられたのはこの世界で唯一運命を改変できるプッチ神父のパンチが『ウェザー・リポート』のDISCを自分の頭に押し込んでくれたおかげ。『ウェザー・リポート』の眠っていた能力が目覚めたのも彼によるものだ。今戦っているのはエンポリオプッチ神父の二人だが、エンポリオの背後には敵すら含めた多くの人がいる。全ては借り物である。
 

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プッチ神父「人類の運命が変わってしまうんだぞ!」
 
純粋な酸素に肉体を蝕まれ、時間加速のため『ウェザー・リポート』の拳をゆっくりと受けながら、プッチ神父エンポリオに命乞いをする。『メイド・イン・ヘブン』を発動させたケープ・カナベラルでの時まできっちり一巡させなければ、人々は時の旅で得た体験を思い出さなくなる。人類の「運命が変わってしまう」……と。今死ねば一巡前の戦いと同じことは起きないわけだから、この点でも確かに彼にとっては運命の改変であろう。だが、それは唯物主義的な運命観に基づく話でしかない。
 

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エンポリオ「正義の道を歩むことこそ運命なんだ!」
 
エンポリオプッチ神父の命乞いを拒絶し「お前は運命に負けたんだ」と突きつけるが、これはプッチ神父の死では運命は改変されないという宣言である。なぜか? エンポリオにとってみれば、つまり精神主義的な運命観からすれば「正義の道を歩むこと」が運命であってプッチ神父の死ではそこは動かないためだ。「細かい出来事は違っても、運命はけして変えられない」とプッチ神父は言ったが、この場合は彼がいつ死ぬかは細かい出来事の違いに過ぎないのである。だから、エンポリオにとってこれはけして運命の改変ではないのだ。
 
ウェザー・リポートが叩き込む拳によってプッチ神父は命を落とし、かくて唯物主義的な運命と精神主義的な運命の戦いは後者の勝利に終わる。だが、精神主義的な意味での運命の不変はまだこれだけでは証明されてはいない。もう一つ変わらないものを、エンポリオはまるでご褒美のように目にすることになる。
 
 

3.二つの運命

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アイリーン「震えてるわよ、寒いの?」
 
プッチ神父を倒した後、再び変わった世界で刑務所近くのバス停にいることに気がついたエンポリオは、バスを降りてきた1人の女性に目を丸くする。一巡前の世界でプッチ神父に殺され魂さえ消滅したはずの仲間、エルメェスにあまりにそっくりな女性だったからだ。しかも、そっくりなのはそれだけではなかった。ガソリン代と食事代を対価に2人を乗せることを提案した男性アナキスは同じく死んだはずのアナスイに、更にその同乗者アイリーンは徐倫にあまりによく似た姿をしていたのだ。そしてそれが他人の空似でない証拠に、アイリーンの背には徐倫と同じ星の形のアザがあった。
 

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一巡前は刑務所の囚人だったはずの彼らがこんな風に平穏に暮らしていることは、一見すると彼らの運命の改変のように思える。だが、立場や名前は違っても徐倫達の精神が変わったわけではない。つまり変わったのはあくまで唯物主義的な運命に過ぎず、ここでもやはり精神主義的な運命は変わっていない。後者が変わらないからこそ、前者が変わったのだ。「細かい出来事は違っても、運命はけして変えられない」というプッチ神父の言葉は、ここに来てすっかり意味が逆転している。いや、彼の言葉は真理を突いているようでその上っ面をなぞっただけの偽物に過ぎなかったのだろう。
 
 

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ジョジョの奇妙な冒険」は運命と向き合い続けてきた作品だ。運命は変えられるのか、変えられないのか。変えられないとしたら、人間が生きる意味は何なのか。時に無力感さえ抱かせるこの問いに、この6部は新たな答えを提示する。
運命は1つではない。目に見えない精神の運命が不変であるが故に、私達は目に見える物質的な運命を変えていくことができるのである。
 
 

感想

というわけでジョジョ6部のアニメ最終回レビューでした。運命を知る、という話だと個人的には三崎しずかの「美術部の上村が死んだ」を思い出すところがあったり、後は「ジョジョがいなくともジョジョ的なものは受け継がれていく」みたいな内容で最終回のレビューを書くことになるのかな……と思っていたのですが、こうして見てみるともっと運命にフォーカスして書くべきだと考え直しました。かなり空中戦やってる内容になってしまいましたが、上手く伝えられているでしょうか。ヒッチハイカーを轢いて始まった物語が、ヒッチハイカーとして現れたウェザーを拾って終わるこの変化と不変の美しさよ。
 
本作が連載されたのは2003年。当時隆盛を誇っていたDISCメディアは劣化で再生できなくなったという話が珍しくなくなり、クラウドストレージや電子書籍といった物体に縛られないものも永続性とは程遠いことが言われるようになりました。「大切なものは目に見えない」なんて言葉は使い古されていますが、目に見える形で残せないものの多さを知ると改めてその言葉の重さを感じずにはいられません。容易に、しかしあまりにも軽く言葉が交わされるようになった今だからこそ、本作の持つ意味は大きかったように思います。徐倫、そして「ジョジョ」、お疲れ様でした。スタッフの皆様、素晴らしいアニメをありがとうございました。

 

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