正しさなき場所ーー「機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 虚空の戦場」レビュー&感想

© 創通・サンライズ

2000年代初頭を代表する映像作品「機動戦士ガンダムSEED」。2024年の新作映画に先駆け、劇場では総集編HDリマスターの公開が始まった。今回は第1作前半を描いた「虚空の戦場」から、その副題の意味を考えたい。

 

 

機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 虚空の戦場

www.youtube.com

 

1.空虚な大義

21世紀の新たなガンダムとして企画され、続編であるDESTINYや多数の外伝が作られるなど大反響を呼んだ「機動戦士ガンダムSEED」シリーズ。「虚空の戦場」は第1作の前半をまとめたものだが、通底しているのは大義の虚しさであろう。

本作はスペースコロニーでの戦闘や偶然居合わせた少年がMS「ガンダム」に搭乗するなどおおまかな流れでは初代「機動戦士ガンダムファーストガンダム)」を踏襲しているものの、主人公が所属することになる地球連合軍の正当性は原典に比べ乏しい。主人公の少年キラ・ヤマトが暮らすコロニー「ヘリオポリス」は地球連合軍にもその戦争相手であるザフト(プラントと呼ばれる国家の武装勢力)にも属さない中立の立場を取りながら、実際は地球連合軍の新型MSの開発を行っていたのだ。そんなヘリオポリスへの攻撃の直前、ザフトの兵達は中立コロニーを攻撃する是非と中立の場所でMSを開発していた是非を話し合い、その一人であるラスティは「『ザフトのために』ってね」と心のこもらない謳い文句で締めるが、つまり連合、ヘリオポリス(が所属する国オーブ)、ザフトのいずれでも大義は形骸化してしまっているのである。このことはファーストガンダムでは主人公であるアムロがコロニーを壊さない戦いを心がけ(させられ)たおかげで破棄に留まった一方、本作では両軍の戦い両軍の攻撃でヘリオポリスが崩壊してしまう救いの無さからも言える。

 

開発されていた5機のガンダムの内「デュエル」「バスター」「ブリッツ」「イージス」はザフトに奪われ、キラは唯一残されたストライクガンダムを操縦することになるが、この状況が象徴するように彼は孤独である。MSを操縦できるのが彼一人であるが故に言外に搭乗を強制され、友人達も大切に思ってくれてはいるものの出自の違いから微妙な齟齬がある(戦争は遺伝子操作で生まれた「コーディネイター」の勢力であるザフトと天然自然に生まれた「ナチュラル」の連合との間で行われているが、ナチュラルの友人達と異なりキラはコーディネイター)。おまけに母艦であるアークエンジェルはプラント最高評議会議長の娘ラクス・クラインを偶然保護するが、戦闘で窮地に陥るや彼女を人質にその場を切り抜ける始末。他に手はなかった、仕方なかったと言えばその通りかもしれないが、極限の状況下でキラの周囲でもまた建前(=大義)は失われつつあるのだ。

優しい少年であるキラはこの状況でも人間らしくありたいと願い、今はザフトに籍を置く旧友アスランを通じてラクスを返還するがーーだからといって彼がただ一人の綺麗事の体現者であることを本作は許さない。アスランはキラも一緒に来るように呼びかけるもキラは友人を守るためそれを拒絶し、彼らは戦場での再会と決着を約することになる。キラは、戦場から逃れられない。

 

 

2.正しさなき場所

キラは綺麗事の体現者であることを許されない。戦場から逃れられない。その鍵となるのが登場人物の一人、フレイ・アルスターだ。キラの友人サイの婚約者にして避難民としてアークエンジェルに乗り込んだ少女だが、平凡な人間に過ぎない彼女はこの極限状況下で精神を疲弊させていく。ごく一般的な感覚(当然ながらこれは正当性を担保しない)でコーディネイターを差別し、父の乗った艦が沈めばなぜ守ってくれなかったのかとキラをなじる。およそ個人として好意的に捉えるのは難しい振る舞いだが、彼女がキラに投げかける問いは芯を突いている。友人達がそうであるように差別は無意識の部分に潜んでいるし、キラが友人達を守ろうと戦ってもそこには取りこぼされる命がある。また彼女は復讐のためキラにコーディネイターを皆殺しにしてほしいと願うが、彼女が願う前からキラは既に「友達を守るために」多くの人間をストライクガンダムで手にかけている。フレイの行動は露悪的だが、優しさ故に矛盾にフタをしてしまうキラの両目をこじ開ける役割を担っていると言えるだろう。

 

フレイの存在は、キラに戦場からの逃亡を許さぬ重しである。元は民間人であるキラ達は一度はアークエンジェルから降りるチャンスを与えられたが、フレイが軍へ志願したため友人達も残り更に……と芋づる式に残ることとなったし、彼女がキラを復讐の道具とするため寄り添うふりをして肉体関係を持ったためにますます彼はアークエンジェルを離れられなくなった。そして、続く戦いの中でキラは己が矛盾の只中にいる事実を否応なく突きつけられることとなる。今まで守ってくれてありがとうとキラに感謝していた民間人の少女の乗ったシャトルは撃墜され、地上では「砂漠の虎」の異名を取るザフトの軍人バルトフェルドと知り合い彼の乗機を落としたことで自分が人殺しである事実からもはや目を背けられない。だが、それらは本当はヘリオポリスが襲撃される前から起きていた悲劇だ。
かつては争いを好まずモニタ越しに戦争報道を見る日々を送っていた少年は今、戦争が起きるきっかけやそこでどんな虚しい人死が生まれているか、自分がいかに罪を犯しているかを突きつけられている。穏やかでありたいと願い、平和のためだとか友達を守りたいだとか、仕掛けたのは相手方の方だと大義を語っても、戦争になれば私達は誰もが畜生も同然になってしまう。

 

C.E.71年、キラの立つ場所はあまりに悲しい。正しさのないその場所こそが「虚空の戦場」なのである。

 

 

感想

というわけでガンダムSEEDスペシャルエディション、虚空の戦場HDリマスターのレビューでした。実は私、ガンダムSEEDをちゃんと見たことがないんです。当時はアニメから離れた時期だった一方、ADSLによってネットが一気に普及していった時期だったので大雑把なあらすじは耳に入り、それに伴いずいぶん批判されているのも目にしていました。その後は最終2話だけリアルタイムで見てみたり、スパロボで遊んだり……見てない以上直接的な批判はしていなかったしスタッフへの蔑称や誹謗中傷には眉をひそめていた一方、皆が言うからやはり出来は悪い作品なんだろうと思っていたことを白状します。そういう空気が当時、ひいてはガンダムに限らず今のアニメ視聴者に与えた影響は無視できないと思うので正直申し訳ありませんとしか……

 

なのでこの度、10年以上の時を経て劇場版再起動の報を聞いた時はどうするべきか悩みました。スパロボで知ったのは原作のガワに過ぎないし、かといってSEEDとDESTINY合わせて約100話を見る気力は今の私にはない。じゃあどうしよう、と思っていたらHDリマスターの上映が発表されたのはまさに渡りに船だったなと思います。もちろん1話1話見るのに比べれば情報量は圧倒的に少ないのですが、これならなんとかついていける。いや、ぶっちゃけると映画2本で済むと思ってたらSEED3本、DESTINY4本と知ってわーおとなってるんですが、ここまでお膳立てしてもらって付き合わないのはこちらの方が失礼というものでしょう。

 

憎悪による際限のない争いは、当時はあくまで実際に武器を持って行われるものでした。けれど今、それはネットを主戦場にすることで一見穏やかに、しかしかえって激しいものになっているように感じます。振り返ってみれば、本作に寄せられたあのどこまでも自分の好きなように解釈したものを客観的な意見と信じて疑わない声はその萌芽だったのでしょう。では、舞台こそ違えど同じようなその感情を本作はどう描いてきたのか。そして2024年には何を示すのか。向き合うのが非常に楽しみになってきました。あとカガリはやっぱりかわいかったです。こういうまっすぐな娘が一人いてくれるだけで救われる気持ちになる。

 

 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>