剣の所在――「機動戦士ガンダムSEED DESTINY スペシャルエディション それぞれの剣」レビュー&感想

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混迷の「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」。総集編第2集では誰も彼もがもがく姿が描かれる。副題にある「それぞれの剣」とは何処にあるのだろう?

 

 

機動戦士ガンダムSEED DESTINY スペシャルエディションII それぞれの剣

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1.剣とは正義にあらず、力にあらず

議長の誘いを受け、ザフトへの復隊を決めたアスラン。一方オーブではカガリとユウナの結婚式が挙げられようとしていたが、そこへキラのフリーダムガンダムが乱入し……!?

 

迷いを描く「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」。第2クールをまとめたスペシャルエディションIIの副題は「それぞれの剣」と名付けられている。なんとも比喩的な言葉だが、剣が何かと問われて多くの人が最初に考えるのはおそらく「正義」であろう。戦争は双方に正義があり、どちらが正しいなどということはない……という難しさは前作前半で描かれたし、戦争を描いた作品に対しよく見られる反応でもある。だが、前作が描いたのはキラ達の連合とアスラン達のザフトのどちらにも正義がない虚しさとそれへの反抗ではなかったか。

 

続編であるこの「SEED DESTINY」において、戦争する双方に正しさがあるなどということは描かれていない。良識的な軍人も登場した前作はいざ知らず、軍産複合体ロゴスに操られ戦争を起こし、非道な人体実験を繰り返していたことが明らかになる本作での連合は明確に悪の組織だ。「事実を元に客観的に判断すれば」アスランのようにザフトの方に正義があると考えるのが自然な反応だろう。その構図に疑問を持ち独自行動を採るキラとアスランの間で意見の交わらぬ苦しさは確かにあるが、悪役が存在する以上剣を単純に正義とするのにはいささか疑問がある。

 

正義でないのなら、剣とは何か? 候補としては純粋な武器である剣が象徴する「力」なども挙げられるかもしれない。しかし例えばキラのフリーダムガンダムは単機で多数の機体を無力化できるが、ザフトと連合(+その傘下に収まったに近いオーブ連合首長国)の戦闘ではそれを収めるどころかむしろ混乱を呼んでいる。無双という言葉が過剰でないほど圧倒的な「力」があっても実際のところ彼はあまりに無力であり、剣を力と解釈するのもおそらく適切ではない。

 

正義でも力でもないのなら、剣とは何か? それを考えるヒントは、本作の主人公シン・アスカにある。

 

2.剣の所在

シン・アスカザフトの軍人である。士官学校で優秀な成績を修めた者のみが許される赤服を着用し、新型MSインパルスガンダムを任された正規のパイロット……しかし、この第2集から見えてくる彼の姿は規律正しい軍人からは程遠い。より上級の士官であるアスランに食って掛かったり、連合に徴用された民間人を助けようと勝手に連合の基地を攻撃するシンは良くも悪くも正義感の強い少年そのもので、自由な行動の許されるFAITH(フェイス)に任命されたアスラン逆に規律を説かれているのだからまるきりあべこべだ。ただ、彼のこうした面は単純な幼さとは言い難い。

 

軍隊の規律を超えてシンを突き動かすもの。それは目の前で苦しむ人を放っておけない優しさである。かつて暮らしていたオーブで戦火に巻き込まれた際も、家族の中で唯一人生き延びられたのは妹のマユの落とした携帯電話を拾いに動いたためなのだ。同時にその結果として家族の無惨な亡骸を目にしたことで、シンにとって目の前の悲しみは絶対に捨て置けないものになっている。彼は偶然知り合った少女ステラが敵のパイロットだと知った際も報告や指揮系統を無視して彼女を母艦ミネルバの救護室に運んだが、つまりシンにとって目の前で苦しむ人を助けるのは組織や敵味方すら超えた絶対的な規範なのである。

 

人は時に、規範のためには全てをなげうつ。キラとその姉にして(お飾り同然だが)オーブ代表のカガリはオーブに停戦を求めて一度は失敗したが、それでももう一度オーブに軍を引かせようと呼びかけた。「撃ちたくない、撃たせないで」という思いや、「他国を侵略しない、他国の侵略を許さない、他国の争いに介入しない」オーブの理念を――規範を曲げようとはしなかった。戦争なんだから、死なないためだからと割り切って戦う方が現実的と知ってはいてもだ。

また呼びかけられたオーブの軍人達は最初と異なりカガリが本物だと認識した一方、それでも彼女の命を聞こうとせず多くが戦場で命を落としていった。なぜか? その語るところが間違っていると考えたからではない。ある者は誰がトップであれ命令に従うのが軍人だと、ある者は自分達が勇猛な戦いを見せて死ねば連合から裏切り者として責められずオーブの理念を守ることもできると――軍人としての自分達の規範を守れると――信じたからこそあえて戦いを続けたのだ。こうした点ではキラやカガリ、オーブの軍人達はシンと何も変わりはしないと言える。

 

本作の主要人物の一人、ラクス・クラインはこの第2集で印象的な台詞を残している。「まず決める、そしてやり通す。それが何かを成すときの唯一の方法ですわ、きっと」……自分の無力さに沈むカガリに投げかけた言葉だ。決めるとは己にとっての規範を定めること、やり通すとは現実の前にそれを曲げないこと。この言葉がカガリに再度の呼びかけを促したのは言うまでもないだろう。ラクス自身もまた、この第2集では自分のなすべきことを見定めるため危険を承知で宇宙に上がっている。恋人でもあるキラは当然彼女の身を案じて反対したが、ラクスの決意には何の合理も力もなくともそれを貫く鋭さがあった。

 

規範とは、立場や力の有無、事の正否や生死すら貫く鋭きもの――そう、「剣」である。そしてこの規範故に人は手を取り合えない。
シンの悲劇が前作のオーブの戦いにNOを突きつけたように、どれだけ強烈な出来事に対しても人の見解が一致することはない。死んだトダカ一佐やババを始めとしたオーブの軍人とカガリのように、思いすら近くとも交わらぬ場合もある。それはもはや軽薄な相対主義に堕した「戦争は双方に正義がある」よりもっと深い部分の相容れなさではあるまいか。

 

剣という比喩的な表現によって本作は、前作の対立構図より更に先へ問いを突き立てている。しかし相容れないとしても、ラクスが言うようにこうした規範がなければ人はただ無力に飲み込まれていくだけだ。トダカ一佐が自分の死と引き換えにキラ達の母艦アークエンジェルへの移乗を部下達に命じたように、貫きやり通したからこそ成せるものがある。キラ達が探し続ける答えがもしあるとしたら、おそらくそれはこのか細い道の先にしか見つけることはできない。

 

本作の副題は「それぞれの剣」である。規範たる剣とは正義でも力でもなく、私達一人ひとりの心にこそ宿っているのだ。

 

感想

というわけでSEED DESTINYスペシャルエディションHDリマスター第2集のレビューでした。第1集より更に複雑で見終わった際はお手上げ状態だったのですが、今回も副題を鍵になんとかまとめることができました。アスランが現代の私達の迷いを体現しているようだ……シンという少年についても少し分かってきた気がします。戦争はヒーローごっこじゃないと言われても、彼にとってそれはすごく切実な願いなのだなあ。あとステラ達エクステンデッドにブロックワードという規範を勝手に刷り込むロゴス、外道が過ぎる。アウルよ安らかに眠れ。
さてさて、再来週の第3集はいよいよ後半戦。シン、キラ、アスランの3人が織りなす物語からますます目が離せません。

 

 

 

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