【ネタバレ】愛は温故知新の種――「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」レビュー&感想

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十数年の時を超えて公開となった「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」。かつて新たなガンダムを目指した作品が今語るのは、古くそして力強い物語である。

 

2/3,2/6,2/17

3~4回目の鑑賞や他の方の感想でオルフェ達について気付いたことを追記(2/3、2/17分はSNSより転記)。彼の役割もまた運命に縛られたものであることが分かった気がします。

 

劇場版「機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」

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1.敗北する見せかけだけの新しさ

デュランダル議長のデスティニープランを否定し未来への戦いを決意したキラ達は、世界平和監視機構コンパスを設立し平和を希求し続けるも未だ終わりが見えずにいた。共同での作戦を提案され、彼らは新興国ファウンデーションへ赴くのだが……?

 

21世紀のファーストガンダムを目指して2002年代初頭に製作された「機動戦士ガンダムSEED」シリーズ。続編であるDESTINYの後に発表されるも長らく音沙汰の無かった劇場版は2024年に遂に公開されたが、その内容は拍子抜けするほどシンプルだ。主人公キラ・ヤマトと恋人ラクス・クラインの愛が問われ、およそ言い分に見るところのない敵と戦う勧善懲悪の物語。正しさなき戦場でさまよう者達の心の叫びを見せてきたTVシリーズの複雑さとは縁遠い展開に、スペシャルエディションの上映で視聴したばかりのにわかとはいえ私は正直戸惑わずにいられなかった。だが振り返ってみて見えてきたのは、本作はこの単純さそのものが大切にされていることだった。

 

DESTINYから2年後が舞台となる本作において、キラ達の置かれた状況は新しさに満ちている。キラや前作DESTINYの主人公シン・アスカは新たに創設された世界平和監視機構コンパスで活動しており、搭乗する機体もライジンフリーダムガンダムイモータルジャスティスガンダムを初めとした新型MS揃い……だが、実のところこうした新しさは見せかけに過ぎない。


キラ達コンパスが活動を続けても、このコズミック・イラの世界はさほど大きな変化を見せていなかった。遺伝子操作された人類・コーディネイターを憎む組織ブルーコスモスは戦闘を起こし続け、コーディネイター武装組織ザフトもキラ達の介入で戦況が好転したのをいいことに憎悪の応酬を繰り返してしまう。かつてベルリンを火の海にした巨大MSデストロイガンダムが今も猛威を振るう様を見れば、シンでなくともいつまでこんなことが続くのかと思わずにはいられないだろう。いくら新しい組織や機体が揃っていても、キラ達の行動はこの世界に何の新しさももたらせていないのである*1。誰かが新しさを見せなければならないのだと焦るばかりにキラは、戦場ではかつてシンに「一緒に戦おう」と誘ったのが嘘のようなワンマンプレーを続けラクスとの時間も顧みないようになってしまっていた。

 

キラ達が新しさを示せない中、本作で「新しい」ものは何か? それはもちろん初登場となる"新"興国ファウンデーションの面々である。彼らは他の組織がまだ完成させていない新技術や精神に作用する新たな能力の持ち主で、その新しさ故に古きままのキラ達を圧倒する強さを見せる。共同作戦に見せかけたその罠にキラ達はまんまとひっかかり、平和を乱した汚名を着せられた上に巧妙にラクスをさらわれてしまった。本作で新たに登場したコンパスのパイロット、アグネス・ギーベンラートに至ってはキラへの横恋慕が叶わなかった腹いせにファウンデーション近衛師団長シュラ・サーペンタインについていってしまうが、新キャラクターである彼女の裏切りはどちらがより「新しい」かに軍配を上げる役割を担っていると言えるだろう。

 

かくて見せかけだけが新しいに過ぎないライジングフリーダムは初代SEEDから戦い続けた古き艦アークエンジェルと共に破壊され、ファウンデーションの宰相であるオルフェ・ラム・タオは世界やラクスにある「新」事実を告げる。自分達はコーディネイターを超える種として作られた新人類アコードであり、またラクスもタオとつがいになって世界を導くように生み出された存在なのだと。……だが、彼らは本当に新しい存在なのだろうか? 否。

 

 

2.愛は温故知新の種

タオは自分達こそ新人類、もっとも「新しい」存在なのだと高らかに宣言する。だが、彼の言う新しさは実のところ何も新しくはない。当然だろう、彼らアコードは確かにコーディネイターにも無い力を持っているが、その存在は既に2年前(メタ的には20年前)キラ達が否定した遺伝子で全てを決める社会構想・デスティニープランのために生み出されたに過ぎない。故に彼らがやることはデスティニープランの再実行やDESTINYに登場した戦術兵器レクイエムによる恐怖政治といったかつての焼き直しに留まってしまう。一度目なら重大な選択や恐怖に慄くばかりの愚行だったこれらも二度目となればいささか滑稽ですらあり、故に彼らの言い分はもはや正当性を持てない。新しさを訴えながらその実、彼らは三下の小悪党に過ぎない。キラ達の敗北が示すように、見せかけだけの新しさが変えるものなど何もないのだ。本当に新しさを求めるのなら、私達はむしろその逆を行かなければならない。己の中の古きに目を向けねばならない。

 

新たな敵の前に戦力の大半を奪われたキラ達が最後の抵抗のため選んだ道。それは更に新たなMSに乗るのではなく、DESTINYの際の機体に乗り直すことだった。キラのストライクフリーダムガンダム、シンのデスティニーガンダム、シンの恋人ルナマリアインパルスガンダム……もはや新しくはない(繰り返しになるがメタ的には20年前だ)その機体はしかし、かえって彼らの戦意を高揚させる。シンの場合は特に顕著だが、キラの親友アスランに代わってジャスティスの系譜に連なる機体を任されるもその新しさは見せかけに過ぎなかったわけだからコンパス参加の初心に戻れる機体に乗れるのが嬉しいのは当然だろう。ワンマンプレーを止めたキラにもちゃんと頼られたシンはファウンデーションの精鋭ブラックナイトスコードの大半を撃墜、レクイエムも止める獅子奮迅の奮闘を見せるが、この大活躍にはDESTINYでは彼にのしかかる重圧の象徴でしかなかったデスティニーガンダムには見られなかった格好良さがある。そう、「新しさ」がある。

 

新しさはこれまでに無いものを闇雲に求めるだけでは見えてこず、むしろ自分の中の拭いがたき古さを見つめた先にこそ見えてくる。かつてラクスは想いだけでも力だけでも駄目だと語ったが、それに倣うなら古さだけでも新しさだけでも駄目なのだ。だからキラのストライクフリーダムは愛を確かめあったラクスの操縦するプラウディフェンダーと”合体”し、古くも新しくもあるが故に「新しい」翼、マイティーストライクフリーダムガンダムを得てタオの新型MSブラックナイトスコード カルラを撃破する*2。それは見た目の新しさに囚われて古さの泥沼にはまったキラが、本当の意味での新しさを奪還した瞬間でもあった。そして、古さや新しさとはMSや登場人物だけで語れるものではあるまい。
物語類型にだって古さや新しさはあり、既に開始から20年以上の時を経た本作が新しい物語を語るなら道はむしろ古きところにこそある。そう、もはや時代の最先端ではありえないガンダムSEEDにとっては、愛を説く勧善懲悪という古きエンターテイメントこそが、時を超えて語り直されてきたこの物語類型こそが新しい物語に絶対に必要な形だったのだろう。だから本作はラスト、「二人は幸せなキスをして終了」というテンプレートな描写で幕を下ろす。

 

機動戦士ガンダムSEED FREEDOM」は展開だけなら安っぽいほどシンプルな、けれど原始的なほどに力強い作品である。キラとラクスの愛の物語として描かれたからこそ、20年の時を経て描かれた本作は新たな種をまく温故知新の物語たり得たのだ。

 

<追記1(2/3)>

2024/2/3
#SEEDFREEDOM 3回目。
オルフェが序盤から作為的=全然本音で話せてないのが分かってかわいそうになってきた。
完璧さに囚われた彼が完膚なきまでに挫折して、だから運命から自由になれる物語として見ると後半に緊張感が出る気がする。三下の小悪党なんて言ってすまなかった。

接戦の末惜しくも届かない、では駄目なんだ。言い訳しようもない、私達観客から笑われ自分の全てを否定されるような敗北を喫して初めて彼はあそこにたどり着けた。ようやく私もオルフェを少し「知れ」た気がする。

 

酷いことしてる奴だけど本当にかわいそうだ。トップじゃないせいで見えてた勝ち筋を逃すし、手籠めにしてでも目的を果たす悪役になるのも許されない。ライバルは聞いてる方が恥ずかしいくらいの本音を叫ぶ。ふざけんなお前も腹に一物抱えてるんだろと思いたくもなる。

 

自分がこの世に生まれた意味ってなんだろうと悩む人全てが共感できる奴なんじゃないか、オルフェ。見てくれる人(とは限らないが……)を私達は自分で見つけなきゃいけないけど。

 

そう考えるとオルフェ役に下野紘さんのキャスティングは本当によくハマってる。他に考えられない。

 

 

<追記2(2/6)>

2/3にオルフェへの印象が変わったことを追記しましたが、それがより具体的になる出来事がありました。

 

aiba.livedoor.biz

 

「ランゲージダイアリー」の相羽さんによる本作の感想、キラ・アスラン・シンを三つの愛として語っているのですが、ここでキラの愛を「無条件の愛」としているのを読んで「オルフェの得たものもこれだ!」と思い至ったのです。

 

オルフェは最初こそ優勢にことを進めますが、キラ達が迷いを吹っ切ってからはおよそいいところがありません。旗艦は12連装陽電子砲なんて物騒な武器を積んでいるのに訳の分からない新装備で無効化されるし、力ずくでラクスを我が物にしようとしても毅然と拒否されれば気圧されてしまって外道にもなれない。優れた能力と策謀で制圧していた盤面が嘘のようにひっくり返され、キラとの分かち難い愛を見せつけてくるラクスを本当は悪女なんだと自己正当化しようとすらする。本当に何一つ格好いいところも、好ましいところも見せることができないまま彼は敗北することになる。私達はそれを嗤いすらする。でも、それはオルフェに「お前には愛される『資格』がない」と言うのと同じことです。

 

格好いいから愛される。勝ったから愛される。それは結局条件付きの愛でしかなく、コーディネイターを超えるアコードの更に頂点に立つオルフェがもっとも遠かったもの。それが資格を必要としない「無条件の愛」でした。けれどあまりにも無様に、己の全てを否定されるようにして負けたこの瞬間にこそ、オルフェは「無条件の愛」に近づける。何一つ成せないまま生を終えようとするあの瞬間に、自分が顧みなかったイングリッドに「私は知ってるから」と言ってもらえたあの時、ようやくオルフェは愛を得られたのでしょう。

 

本作の愛は基本男女愛ではありますけども、それに限らず「幸せの青い鳥」そのものはきっと近くにいる。そしてそれは勝利や社会的成功でしか得られないものではない。オルフェの結末からはそんなことを感じたのでした。相羽さん、素敵な記事をありがとうございました。

 

<追記3(2/17)>

#SEEDFREEDOM 4回目。後半はやっぱり緊張感には欠けると思うが、オルフェが最後あそこにたどり着くために必要な過程はきっちり描かれていると感じる。彼が序盤は取り繕いつつも感情がよく動いているのも、後半に愚かさをさらけ出せるのも全部愛おしい。

 

あとシンは今が本来の姿というより、数年遅れでやっと少年できてるんだと感じるようになった。ガキで当然、ガキをやりきる頃には見違えるようになってると思う。

 

そのあたり対比すると、アコード特にリデラード達ブラックナイトの面々はキャラの薄い悪党というよりただただ幼いというのが多分正しい(「参ろう、子供達よ」)。見た目や能力よりずっと未成熟な自分を認識することもできていない。

 

 

感想

というわけで劇場版ガンダムSEEDのレビューでした。いやー、こんなの予告詐欺でしょう。クロスアンジュがあったしこういうノリでも不思議ではないかとは思いつつ、スペシャルエディションとは楽しみ方が違うのを理解するまでちょっと手間取りました。

 

登場人物を20年越しに労うような作りが多大なファンサービスにもなっており、それが娯楽性を強烈に高めている作品だったと思います。イザークディアッカが再びデュエルガンダムバスターガンダムに乗るのはやっぱり嬉しいし、シンが等身大の少年として振る舞えているのも嬉しい。挫折と失敗を重ねたからこそ、彼はこのポジションにたどり着けたのだと思います。


アスランについてはキラを修正したりズゴックで大暴れした上で中からインフィニットジャスティスガンダムを出したりとほとんどやりたい放題ですが、物語が勧善懲悪ならこれほどハイスペックなキャラもいないしなあ。「アスランの理想のアスラン」になれてるというか。シュラの読心術にカガリの妄想をぶつける場面に至っては「俺は心を読まれても恥ずかしくないくらいカガリが好きなんだ!」という感じで白旗を揚げるしかありませんでした。カガリを幸せにできるのはお前しかいない。

 

古さから逃れることなく向き合った、新しさそのものよりは新しさの種を提示した作品。SEEDシリーズの終わりはそう形容できるのではないでしょうか(もちろん今は愛にも無性愛を含め様々な形、様々な結果があるのが知られていますが)。スタッフの皆様、長い間お疲れ様でした。

 

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過去のスペシャルエディションのレビューはこちら。

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*1:ライジングフリーダムやイモータルジャスティスが新鮮味に欠け、焼き直し感が漂うのもおそらく意図的なものだ

*2:タオの機体が福田己津央監督がクリエイティブプロデューサーを務めた「クロスアンジュ 天使と竜の輪舞」の主役機ヴィルキスを彷彿とさせる「古い」機体なところに遊び心が伺えて面白い。キャバリアーも出るし