自由と正義を灯火にーー「機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 遥かなる暁」レビュー&感想

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新作劇場版を控え、2週ごとに総集編HDリマスターが上映されている「機動戦士ガンダムSEED」。第2集の副題でもある「遥かなる暁」はどこにあるのだろう?

 

 

機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション 遥かなる暁

 

 

1.窮屈な話、窮屈な状況

4クール作品を3本の総集編で辿る「機動戦士ガンダムSEED スペシャルエディション」。第2集となる「遥かなる暁」の序盤は圧縮のあおりを受けた印象の強い内容だ。地球連合軍本部のあるアラスカを目指すキラ達の艦アークエンジェルの道中の戦いはばっさりカットされ、主要人物の一人カガリが連合軍とその戦争相手であるザフトのどちらにも付かない中立国オーブの姫だと明かされる場面などもかなり慌ただしい。スパロボであらすじを知っているレベルの私は振り落とされないよう必死にならざるを得なかったのだが――同時に面白かったのは、この窮屈さがキラ達の境遇にも当てはまっていることだった。

 

ストライクガンダムを駆りザフトと戦うキラは、そもそもは連合の軍人ではない。中立コロニーのはずのヘリオポリスが秘密裏に連合のMSを開発していると察知したザフトが攻撃を仕掛け、その住民であった彼は友人達を守るためにやむを得ず武器を取ったに過ぎない。旧友にして今はザフトの軍人のアスランなどは何度も自分の側へ来るように呼びかけたほどだ。だが、発端がどうあれ戦いが続けばそこにはしがらみが生まれていく。彼は前作「虚空の戦場」ではミゲルを始めとしたザフトの兵士はもちろん、人間的には好感を抱いていたアンドリュー・バルトフェルドまでも手にかけている。そして本作では咄嗟の行動で敵機ブリッツガンダムを撃墜するが、これに搭乗していたのはアスランの友人ニコルであった。一方のアスランも戦闘機スカイグラスパーパイロットとなっていたキラの友人トールを殺害してしまい、二人はもはや互いを殺すしかないと思い詰めてしまう。敵側にいるが友人であるだとか、偶然保護した要人を人質に使うような真似はしたくないといったかろうじて残っていたしなやかさは遂に失われ、彼らは窮屈な殺意に取り憑かれてしまった。

 

またアークエンジェルは激闘の結果キラが生死不明となる犠牲を払いながらもどうにかアラスカへたどり着くが、そこでも待っているのは軍隊組織の窮屈さだ。本来の乗員の大半が死亡したため技術士官のマリューが艦長を務めるなど特異な状況を乗り越えてきたこの艦は一般的なそれより遥かに複雑な人間関係を抱えているのだが、連合はこの事実を一顧だにしない。マリューを支えた実直な副長のナタル、ムードメーカーでもあった戦闘機乗りのムウ、過ちからキラと関係を持った少女フレイには転属が言い渡され、軍人である彼らは当然これに逆らう術がない。

 

ほとんど煮詰めたようにして展開する第2集の序盤の窮屈さは、狙ったわけではないかもしれないがキラ達が追い込まれる窮屈さと軌を一にするものだ。そしてこの窮屈さは、キラとアスランがそうであるように彼らから大切なものを奪っていく。共に「SEED」なる力を発動し殺し合った二人の戦いの結末は格好の良い果たし合いなどではなく、アスランイージスガンダムがストライクに組み付いて自爆するあまりに凄絶なものだった。組み付くためにイージスが異形のMA形態に変形したのを含め、これはいわば人間性の喪失である。殺されたから殺して、殺したから殺される応酬の果てとはつまり人間をやめることであった。

 

 

2.自由と正義を灯火に

凄惨な殺し合いの果てには人間性の喪失が待っている。キラとアスランの戦いは先触れだったのだと言わんばかりに、連合とザフトの戦いは非道さを増していく。アスランの父にしてザフトを指揮するプラント最高評議会の一人パトリック・ザラは他の評議会メンバーすら騙してアラスカへの奇襲攻撃を仕掛けるオペレーション・スピットブレイクを発動。一方の連合上層部も事前に情報を把握していたため基地にサイクロプスなる大量破壊兵器を埋設、自分達は逃げる一方で事情を知らない部下に死守させることで敵を引き込み諸共に自爆させるあまりに没義道な戦術を採る。復讐心に囚われた兵の中には投降した相手を殺害する者まで現れ、戦場は人間が相手はおろか仲間、果ては自分という「人間」すら殺害する阿鼻叫喚の地獄へと変わりつつあった。

 

この地獄に救いを見出し得る者は誰か? 最初から答えを出せるほど人間は賢くなく、しばしば体験に拠ってかろうじて道筋を見つけることができる。つまり救いを見出し得るのは、地獄の果てまで一度行き着いた者達だ。殺されたから殺して、殺したから殺された者……すなわち仲間を殺され人間性を捨ててキラを「殺した」アスランと、孤軍奮闘によって多くの人間を殺した結果「殺された」キラ。

 

イージスの自爆で途切れた意識が戻ったキラがいた場所、それはなんとプラントであった。戦いのあった島に住む導師マルキオが彼を発見し、知己にしてかつてキラが助けたプラント要人の娘ラクス・クラインのもとへ送り届けていたのだ。
ラクスの家でキラが送る療養生活は穏やかである。緑に満ち争いもなく平和なこの場所は、運ばれた経緯を鑑みれば文字通りの「天国」ですらあっただろう。それでも彼は、アラスカが襲われていると聞き再び地獄のような現世に戻る決心をする。ただそれは連合軍の兵士としてでも、もちろんザフトとしてでもなかった。自分とアスランのような過ちが繰り返されない世界を作ろうとする彼の心は、憎しみ悲しみや組織の窮屈さから解き放たれている――すなわち今のキラには「自由」がある。

 

またイージスから脱出し生還したアスランザフトへ戻るが、そこで目にしたのは婚約者であるラクスがスパイ(キラ)を手引した咎で秘密裏に指名手配され、父パトリックからは単純に部下としてそれらの始末を命じられるなど自分の枠組みをぐらつかせる出来事の連続であった。プラントを守る戦いだから、軍人だから、仲間を殺されたから……そう言い聞かせてキラへの友情を封じてきた、「殺して」きたアスランはしかし、再び地球に降下し事の推移を知る中でザフトからの離脱を決意する。馬鹿げた行動かもしれないが、その時彼の心は生きている。前作「虚空の戦場」が示したように大義や組織の中に正しさはないが、己の責任で己の道を決める彼の行為には善悪を超越した正しさが――すなわち「正義」が今のアスランにはある。

 

自由であること、正義であることは難しい。現実を踏まえつつも中立を模索したオーブは一時はキラとアスランの宿り木となるも、その技術力を欲した連合軍(の過激派であるブルーコスモス)に抗しきれず代表のウズミは彼らを逃して自爆する道を選ぶ。共に行くのはアラスカ基地で捨て駒にされるもからくも逃れたアークエンジェルや、カガリを始めとしたオーブ出身のわずかな戦力のみ。戦力としては弱小と言ってよいだろう。だが、キラとアスランが再び手を取り合えるそこには今までなかった人間らしさがある。アークエンジェルは戦いに迷う者には艦を降りる機会を与え実際にある程度の人数はそれを選択していたし(つまりこれは二度目の、そして本当の意味での志願なのだ)、捕虜となった経験から殺し殺される痛みを知りアスラン同様にザフトを離脱したディアッカのような仲間もいる。連合やザフトといった大きなものに己を委ねたままでは、彼らはけしてそれを見つけることはできなかっただろう。

 

フリーダム、そしてジャスティス。自由と正義をその名に冠する新たなガンダムで手を取り合い、キラとアスランは再び暗い宇宙へ発つ。そこではきっと今以上の憎しみの連鎖が、二人をなおも打ちのめすような絶望が待っていることだろう。だが、だからこそ彼らはそこに夜明けを求めに行く。
遥かなる暁は無限の闇の果てにしか見えない。自由と正義はすなわち、夜明けを探すために欠かせぬ灯火なのである。

 

感想

というわけで機動戦士ガンダムSEEDの総集編第2集レビューでした。主人公達が連合から離脱するというのは当時話に聞いてかなり新鮮に感じたものですが、考えてみると「新機動戦記ガンダムW」も「機動新世紀ガンダムX」も主人公は第三勢力ではありましたね。「∀ガンダム」のロランの「人の命を大事にしない人とは、僕は誰とでも戦います」も思い出すし、萌芽は宇宙世紀の頃からあった。

それと「覇王大系リューナイト」のファンなのもあってブーステッドマンの一人クロト・ブエルが結構好きだったのですが、こうして見てみるとオルガやシャニ同様にとても悲しいキャラなのだと感じました。薬物漬けで人格も尊厳も奪われた彼らは、キラやアスランとはまた違った人間性の喪失の行き着く先なのだなあ……あと島でアスランと会った時の状況そのものも含めたがんじがらめぶりとか、彼にある意味キラ以上の危なっかしさを感じて護り石をあげるところとか、オーブで再会した二人を一緒に抱きしめてあげられるところとかカガリのまっすぐさに今回も救われる気持ちになること多数。


さてさて、2週間後にはまたSEEDの最後を飾る第3集「鳴動の宇宙」が待っているわけで。前回書いたように最終2話だけは見たことがあるのですが、自分の中で本作がどう座り直すのか楽しみに待ちたいと思います。

 

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