不死鳥の炎――「機動戦士ガンダムSEED DESTINY スペシャルエディション 運命の業火」レビュー&感想

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抗い続ける「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」。総集編第3集では本作における対立が鮮明になってくる。シン達を焼く「運命の業火」にはもう一つの姿がある。

 

機動戦士ガンダムSEED DESTINY スペシャルエディションIII 運命の業火 HDリマスター

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1.繰り返しはもう嫌だ

戦争によって死を待つばかりのステラをなんとかして助けようと、軍規違反を犯してまで彼女を救おうとするシン。しかし願いも虚しく、連合に戻されたステラは新型機デストロイガンダムパイロットにされてしまい……

 

悲劇の続く「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」。第3クールをまとめたスペシャルエディションIII・運命の業火の始まりを飾るのは、登場人物の一人ステラ・ルーシェのあまりに悲しい最後だ。地球連合によって記憶や肉体を操作された「エクステンデッド」である彼女は偶然知り合った少年シン・アスカに助けられるが、彼の所属するザフトは連合と対立する組織でありステラに対しても好意的とは言い難い。彼女の生命維持に必要な医療的措置が不明とはいえ、医師は無理に延命しても死後の解剖がしにくくなるだけなどおよそ彼女を助けようという意思を見せなかったのだ。

 

ステラと交わした君を守るという約束を果たすため、シンは独断で彼女を連れ出した上に連合に引き渡すという暴挙に出る。上官であるタリアが言うようにこの行動は銃殺刑に処されても不思議ではない重大な軍規違反だが、同時にこれはステラを救うために彼が最大限のことをやった証とも言えるだろう。だが、それでもシンはステラを救うことはできなかった。彼女の上官ネオ・ロアノークはシンに求められ彼女を戦争に巻き込まないと約束したが、一介の軍人に過ぎない彼は結局ステラをパイロットに戻さざるを得なかったのだ。破壊を体現するかのような巨大な新型機・デストロイガンダムに搭乗した彼女は恐怖に導かれるまま多くの都市と人々を焼き、シンの目前で第3勢力であるキラ・ヤマトフリーダムガンダムの攻撃によって命を落とすこととなった。

 

ステラを巡る悲劇が私達に見せるものは、繰り返しに対するうんざりした気持ちである。助かったかと思いきや再びの砲火に消えていく人々、シンにとっては2年前オーブで妹を始めとした家族を守れなかった繰り返し、ガンダムシリーズにおけるいわゆる強化人間がたどる悲惨な結末……多くの人が「こんな繰り返しはもう嫌だ」と感じたであろうこのタイミングで、ザフトを指揮するプラント議長ギルバート・デュランダルの演説はあまりに効果的だった。彼は戦争によって利潤を獲得する秘密組織ロゴスが争いの糸を裏で引いていると暴露し、敵対していたはずの連合内部にまで反ロゴスの機運を生んだのだ。

 

デュランダル議長の行ったことは、簡単に言えば「ラスボスの設定」である。諸悪の根源たるロゴスを倒せば戦争を止められる、悲劇はもう起きない……終わりの見えない日々の繰り返しに疲れた人々にとって、彼の設定したゴールが魅力的なのは言うまでもない。議長の権限で軍規違反を不問にしてもらったシンもまた、戦争を繰り返さないための最後の戦いと信じて再び軍務に邁進していく。だが、本当に止めるべきは「繰り返し」なのだろうか?

 

2.不死鳥の炎

多くの人が賛同したように、デュランダル議長の言葉には分かりやすい正しさがある。悪癖を始めとして、抜け出したい「繰り返し」は多くの人が何かしら抱えているところだろう。だが、繰り返し自体の否定でそれが果たされるかはいささか疑問だ。

 

例えばシンは戦場に混乱を招くとの議長の命令によりキラのフリーダムガンダムと再戦、遂に撃墜に成功するがそれで全て終わりとはならなかった。キラの親友にしてザフトに復隊していたアスラン・ザラは議長に疑問を抱いて脱走、シンは命令によって心ならずも彼Sまで撃墜することとなったのだ。フリーダム撃墜後にシンはインパルスガンダムから新型のデスティニーガンダムへ搭乗機を乗り換えていたが、キラの時もアスランの時も彼は「大剣で相手機体の腹部を貫く」シチュエーションを繰り返している。また彼はロゴスを討つためその拠点ヘブンズベースでの戦いで大いに奮闘するが、そこに待っていたのはステラと同じエクステンデッドの搭乗する複数のデストロイガンダム、更にはジブリールが逃げ込んだオーブ首長国連合で続く戦い――すなわち彼が家族を失った時の戦争の繰り返しであった。そう、これが最後と信じて戦うシンはむしろ繰り返しの真っ只中にいる。

 

人は過ちを繰り返す。「また戦争がしたいのか、あんた達は!」……そう叫びたい気持ちになるのはシンだけではないだろう。だが繰り返す過ちの否定は、繰り返し自体の否定からは生まれない。なぜなら繰り返されるものは必ずしも絶望や不幸ばかりとは限らないからだ。シン自身にしても、かつては手も足も出なかったキラを撃墜できたのは戦いの繰り返しで相手がどこを狙うか把握できたことや、戦場で部位を破損してもすぐ補充できる=繰り返せるインパルスガンダムの特性に拠るところが大きい。つまりシンが得た勝利=繰り返しの終わりは、繰り返しの否定ではなくむしろ繰り返しのその先にこそあった。

 

うんざりするような出来事の繰り返しにしかし、実のところ全く同じものなどは存在しない。第2集ではキラとアスランは話し合うも大きく意見を異にし戦闘にまで至ったが、共にシンに撃墜されるも生還し再会した際の――繰り返した際の二人はそうはならなかった。キラの姉にしてオーブの代表だが事実上権限を奪われていたカガリもまた、失敗を繰り返しながらもオーブ軍に呼びかけ続け、今回遂に国を一部の人間に私物化された状態から取り戻すことに成功している*1。同じような出来事にはしかし、ほんのわずかだとしても違いが含まれている。

 

人はかつてと同じとしか思えない出来事と対面した時、しばしば立ち尽くしたり自暴自棄になったりする。オーブが再び焼かれようとする状況にいても立ってもいられないカガリや、本作ラストでかつての乗機ジャスティスガンダムの発展機インフィニットジャスティスガンダムを託されても素直に喜べないアスランは、繰り返しによって過去と再会していると言える。けれど、過去との再会がもたらすのもまた苦しみだけではないはずだ。秘密裏に建造されていたMSアカツキを通して、カガリが亡き父ウズミの声を再び聞くように。キラがかつての乗機の名を受け継ぐストライクフリーダムガンダムによって自分の戦いを再会したように。ネオの正体が死んだと思われていたキラの仲間ムウ・ラ・フラガであり彼が記憶を失いながらも恋人マリューと再び会えたように。かつては手を取り合って宇宙へ飛んだ自由と正義が今度は地球に降下する展開が、上下逆ながらどこか前作を彷彿とさせるように。その繰り返しに、否定されるべきものなど何もない。

 

この第3集を通して、キラとアスランは共に乗機を撃墜され一度は生死定かならぬ状況に陥った。これは前作で二人が殺し合った際の繰り返しだし、もう一度戦いに身を投じるのもまた繰り返しであろう。けれど繰り返しを否定するのでなく向き合うなら、私達はそこにわずかな違いを見出すことができる。この第3集がアスランインフィニットジャスティス搭乗で幕を下ろすのは、第1集のセイバーガンダム受領では形だけだった彼の繰り返しが、ある種の蘇りが本当に果たせた象徴なのだと言えるだろう。

 

伝説上の生物として有名なフェニックス、いわゆる不死鳥は炎の中で自らを燃やして蘇るのだという。どれほど手を尽くしてもシン達の前に待つのは絶望的な繰り返しなのかもしれない。彼らは運命とすら思える炎に焼かれ続けるだけなのかもしれない。けれど諦めてしまったら、運命と受け入れてしまったらそこからは何も蘇ることはない。

何度焼かれても立ち上がろうとする不屈の魂を蘇らせる炎。不死鳥の炎こそ第3集の副題たる「運命の業火」の正体なのだ。

 

感想

というわけでスペシャルエディションIIIのレビューでした。今回は繰り返しに関する話だな、という方向性はすんなりまとまり、劇中の描写を拾って微修正を加えて「不死鳥の炎」という結論に着地した次第です。インパルスの特性とか、こういった部分にメカならではの部分との関連を見つけられるとロボットアニメ見てるんだって再認識できますね。あとオーブがまた焼かれるくらいなら自分の身が燃えた方がマシだと涙ぐむカガリがキサカ視点で描かれてるカット、願いに伴う力を持てない彼女の姿がいじらしくていじらしくて。
何の慰めにもならないかもしれないけど、最後にシンと一緒にいられたのはステラにとって幸せなことだったのだと思います。命を守れなかった点ではマユの時と同じかもしれないけれど、やっぱり同じことの繰り返しではない。


シンはその名に運命を冠した機体によって何を背負っているのか。ラスト第4集を待ちたいと思います。鬼太郎の映画もあるのでおそらく鑑賞は日曜になってしまうかと思いますが……

 

 

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*1:無理やり彼女を妻にしようとした大罪人のユウナが、かつての成功体験を繰り返すつもりでかえってザフトに攻撃の口実を与えた結果はこれと好対照と言える