2024年 新年のご挨拶

あけましておめでとうございます。早いもので2020年代ももう1/3を過ぎてしまいました。こちらの一応はオリジナルのガンプラ記事は明日更新予定です。

 

 

1.新年の話

抱負というほど具体的なものではないのですが、改めて今年大切にしたいのは「腹落ち」することです。

 

近年はAIの技術発展が本当に著しく、イラスト・音楽・文章と様々なものが自動生成可能になっています。人間ならではの温かみが……なんてのは結局大半は錯覚で、今後ますます多くのものが置き換えられていくことでしょう。でも、それは創作に限った話ではない。

 

ネットによってたくさんの言葉があふれた結果、私達の言葉はどんどんと虚しいものになっています。どんな理念もあっという間にメタ的に分解され相対化され、単なる消費の対象になっていく。憎悪を煽る言葉は錬金術に変わり、それを目にした人も「綺麗事を言う連中の化けの皮を剥いでやった」と上っ面だけを撫でるようになっていく。賢くなったつもりで言葉の尊厳を打ち捨てていくようで、それは人間だけができることの領域がAIに奪われていくのと何が違うのだろう、と思います。

 

人間だけができること、少なくとも当面は先になるであろう領域。それは感じること受け止めることそのもの・・・・なんじゃないでしょうか。もちろん視聴者を快くさせる方程式のようなものはあり、AI以前に多くのクリエイターが活用してはいますがそれは仕組みの話に過ぎない。点数に応じてリアクションを変えるCPUはどれだけ膨大なパターンだろうと機械的に反応を変えているに過ぎず、本当に何かを感じているわけではない。

 

コミュニケーションというと発信側ばかりに目が行きがちですが、本当に重要なのは受信する側にあるのではないか。たかが線や色、音の集合体を本物のように錯覚したり、あるいはそれを作った者の何かが込められていると、はたまた込めることができたと感じられるのは人間だけです。AIは生成したものに手応えを感じたりはしない。感動するものを作れても、自身で感動することはできない。臓腑に落ちるような、身体的感覚を伴った理解をすることはできない。

 

どれだけ愚かな間違いだろうと、感じられること受け止められることに私達が私達たり得る由縁がある。だったら私は、どうせなら私は、できるだけ物事を心の深いところで受け止められるようになりたい。感じることに本気でありたい。頭で賢く理解するのでなく、「腹落ち」する瞬間を積み重ねていきたいと思うのです。

 

とはいえやることは基本変わりません。見ると決めた作品を見て、見て、何度も見て自分の中にひとかたまりの何かを見つける。それが読んでくれた人が作品を楽しむ一助になってくれたら嬉しいです。

 

 

2.ゲームとか

アイプラは3月に引退しました。昨年書いた通り、ゲームはもう当面いいかなということで新しく買ったり遊んだりはしていません。プラモの色確認で稀にガンブレ3を起動するくらい。
ログボやデイリーミッションのあるゲームを遊んではっきりしましたが、どうも私はゲームを作業にしてしまうきらいがあって、遊ぶのにあまり向かない人間なんだと思います。周回プレイで各回に要素を振り分けて計画するのはとても好きなんですけどね。

 

 

3.筋トレ

代わりというわけでもないのですが、自宅で筋トレをするようになりました。ジムに行くほど熱心なわけではないしほんの少しやるだけですが、飯が美味いしストレス解消にもなる。元がひょろひょろだったので、本来は衰える年齢で逆に筋力が気持ち増えるのも嬉しいものです。

 

そんな具合で、今年もお付き合いいただければ。どうぞよろしくお願いします。