「ガンダム Gのレコンギスタ II ベルリ 撃進」レビュー~外付けは中身を変える~

「ガンダム Gのレコンギスタ II ベルリ 撃進」
©創通・サンライズ

 

 11月の第1部から早くも第2部の公開となったGレコ。TVシリーズの6〜11話の再構成に当たる「Gのレコンギスタ II ベルリ 撃進」では、リフレクター、トリッキー、高トルクと新たに3つのパックが登場する。これらは汎用性の高い大気圏用や宇宙用のパックと異なり、反射や幻惑といった要素を「外付け」するものだ。それを象徴するようにリフレクターやトリッキーでは操作機器が外付けであると語られるし、アーマーとでも呼ぶべき高トルクは外付けであるとひと目で分かる外見をしている。
 外付けで何かを加えることは内蔵するものを変えるより遥かに容易であり、故にロボットのギミックとしても多用されるわけだが――それは、装着する(外付けされる)側が何も変わらないという意味ではない。

 

 

 外付けだろうが何かを加えられることはその時点で変化であり、装着者そのものに変化をもたらす。トリッキーパックはその特異な構造がライフルの動きを制限するし、機体本体は問題なくとも高トルクパックの出力が上がらなければG-セルフは出撃できない。外付けするものを道具として捉えるなら、これは「道具を使っているのか、使われているのか」の問題だと言える。
 もちろん、こうした関係はメカニック設定の暗喩に留まらない。ベルリとデレンセンはG-セルフと強力なエルフ・ブルというMSの肉体を「外付け」したばかりに、決着の瞬間まで互いが誰なのか気付けない。また、マスクはクリムをモンテーロパイロットとして認識しているから、無人モンテーロが出撃してきても最初はそうと気付かない。これらの場面では、もはや外付けされたものこそが装着者を制圧している。装着者を変化させているのだ。

 

 外付けされたものと装着者は実際のところ、どちらが主体なのかは定かではない。ならば変化もまた両方に対して起こるものだ。ルインはマスクを装着して能力の助けとしているがそれは機能と関係なくベルリへの嫉妬をかき立てるし、彼がマスクとして振る舞うならマニィとの恋人関係はひとまず封印され、バララが近づいて来もする。またウィルミット長官やスルガン総監は、自分の職域に外付けしてきたアーミィや大統領との折り合いに苦心している。アーミィを設立した「外付け」の位置にいるクンパ大佐すら、全てを掌握できてはいない。
 アメリア軍に入ったわけではない、外付けの人間であるベルリにしてもそれは同様で、いつしか彼はメガファウナの皆から頼られるようになっており、また彼自身もそこでの経験を通して変化していく。人と人が接触するならば、そうした変化は必然として起こるものなのだろう。
 必然であるならば、その落としどころをいかにすべきか。答えは未だ見えず、物語は宇宙へ移ってゆく。秋予定の第3部で、私達はその片鱗を目にすることができるだろうか。