「ゲゲゲの鬼太郎」6期95話「妖怪大同盟」。6期の鬼太郎は、「異なるものとの共存」を鬼太郎自身にも悩ませながら描いてきた物語でした。妖怪と人間という種族によって違いはよりクリアになり、だからこそそれを乗り越える姿に現実へのエールが生まれる。「違いがあっても大きな目的のために手を取り合う」――美しく聞こえる言葉です。しかし共存とは、そんな単純なものでしょうか。
バックベアードの攻撃の犠牲者を悼むためのホワイトハンカチは、事情があったとは言え鬼太郎に父を殺された美琴の妖怪排斥を訴える声を押し上げ妖対法の成立を支援しました。
邪魅は妖対法によって虐げられる妖怪を救うため、バックベアード達と手を組む道すら模索し始めました。
これらは「違いがあっても大きな目的のために手を取り合う」のと何が違うのでしょうか? 1人で背負い込むのはやめるとかつて約束しながら1人で官邸に乗り込む鬼太郎も、殺された彼が望まないと知りながらも復讐を望んでしまうねずみ男もその陥穽からけして無縁ではありません。人は大きな目的が一致した時、無視すべきでない矛盾まで無視して手を取り合ってしまう。「共存」はその時、熱狂で違いを押し潰すだけの「同盟」に堕してしまう。
鬼太郎達はぬらりひょんよりバックベアードより何より、この共存と同盟のあやふやな境界線にこそ立ち向かわなければならないのでしょう。次回三途の川という境界線に赴くであろう鬼太郎が、そこに何を見出すのか。残り2話から目が離せません。
*94話までの感想は旧ブログを御覧ください。