「ラブライブ!サンシャイン!!」13話レビュー〜小数点を動かせ〜

ラブライブ!サンシャイン!! 13話「サンシャイン!!」

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©プロジェクトラブライブ!サンシャイン!!

地区予選のステージが描かれる「ラブライブ!サンシャイン!!」13話冒頭、千歌は皆に伝えたいことがあると告げる。「伝える」とはそもそも、どういうことだろうか。

 

 

伝わらない小数点以下

「伝える」あるいは「伝わる」場面はステージの上に限らず、今回まま見られる描写だ。例えば千歌の友人達がAqoursの連日の練習を知るのは「伝わる」だし、事前エントリーした人間しかステージに立てないのを梨子が「伝える」場面もある。
これらに共通して言えるのは、伝わった相手には突然に見えても実際は前々から存在していることだ。千歌の母親の少女と見紛う容姿は梨子には驚きでも千歌には当然だし、母が家にいるのは千歌には驚きでも姉達からは何の不思議もない。言ってみれば、伝えるとは「1」にすることであり、1になる前の出来事、伝わっていないことは小数点以下の数字のようなものだから「0」に見えてしまうのだ。
 

小数点を動かす目線

「1」になる前の小数点以下の数字は見えにくく、だから人は挫折する。千歌達は投票してくれた人間や学校説明会に来てくれる人達の「0」に苦しんできたけれど、本当は全くの0だったわけではない。12話かけて描かれてきた9人の姿を、0だと言う者はいないだろう。1に至らなくとも確かに存在しているものを、本作は描き続けてきた。
 
千歌の輝きたい思いも、梨子の挫折も、曜の器用な不器用さも、ルビィの人見知りも、花丸の引っ込み思案も、ヨハネのやり場のない中二病ソウルも、鞠莉と果南のこじらせた友情も、それらを見守り続けたダイヤの優しさも、全てはそれぞれが抱えた、見落とした0を1にする物語だった。0に苦しむ旅路の中に、しかし確かに1があった。
 
必要なのは届かぬ1までの距離に煩悶することではなく、その小数点以下の積み重ねに気付くことだ。積み重ねそのものを楽しむことだ。楽しめた時、輝けた時、0.1の小数点は既に動いて「1」になっている。
1になれずもがき続けた千歌達のその気付きこそは「0.1✕9人に加える最後の0.1」、あるいは「9人から桁を上げる10人目のコール」と言えるだろう。この気付きを「伝えて」こそ本作は「1」に至ることができる。
μ’sが優勝記念品に重きを置かなかったのと同じように、Aqoursもまた単純な成功を「1」とはしない。地区予選の当落とは関係ないからこそ、その輝きは証明されているのである。
 
 
 

感想

というわけでサンシャインの13話レビューでした。無印といい1期だけでしっかり完結してるから恐ろしい、単なる前半終了でない。9人だから全員揃っても0.9、あと1要素無いと1にならないってなんという絶妙さか。
 
本シリーズを見始めた時はサンシャインまでたどりつけるかどうかも疑問でしたが、こうやって1期見終えた今はAqoursはとても肌に合いやすい物語だなと感じています。このあたりは無印からの時代の変化という部分もあるのかな。そしてもちろん、μ’sが切り開いた地平の上にこそこの物語は成立している。
無印は1期2期劇場版でそれぞれ進級したかのようにテーマの変化がありましたが、千歌達の物語はこれからどう変わっていくのか。「1」の次、ネクストステップが楽しみです。