「デカダンス」11話レビュー~真実を共有できたなら~

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©DECA-DENCE PROJECT

デカダンス」11話では、デカダンスおよびソリッド・クエイク社と管理チップを持たぬバグ・ガドルであるオメガの激闘が描かれる。機械の体で生きるサイボーグとシステムから外れて生まれたオメガは対照的なようでいて、どちらもが虚実を抱えている点では似たもの同士の戦いに過ぎない。虚構と現実のいずれが上か、あるいは何が「事実」かという図式ではこの戦いは解決しない。

 

 デカダンス #11「engine」

 

事実を共有できなくても

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©DECA-DENCE PROJECT
前回明示されたように、本作では虚構と現実は拮抗しその上位に「真実」が据えられている。言い換えれば真実の前では、虚構と事実の認識の正誤は問題にならない。目を覚ましたらフギンがいたのも修理工カブラギが死んだのも、その時彼女には「真実」だったから殴ったり泣いたりしたのであり、そこには誤認なりの筋が通っている。そしてサイボーグのログインの仕組みなどは知らなくとも、カブラギが生きているという「真実」さえ共有できれば問題は起きない。
 
オメガに対するタンカーとギアの共闘も同様で、こと最終決戦に至っても両者の虚実の認識は共有されていない。というより、デカダンスのクローズとそれに伴う危機を理解していない点では両者は等しく事実を知らぬ愚か者だ。しかし彼らはガドルとは戦うものという「真実」だけは共有しているから共に戦うことができる。ナツメとサイボーグの出会いにしても、サイボーグの何たるかや組長が誰かは認識せずとも、敵ではない認識だけ共有できれば(真実にできれば)そこに衝突は生まれない。
 
 

自分で決めるとは

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©DECA-DENCE PROJECT
カブラギもサルコジもミナトも、迷う者達はみな自分が何をしたいのか分からなかった。分からなかったのは何が事実か――あるいは正解かが分からなかったからだ。それは当然の話で、サイボーグが制御していたはずのガドルからもタンカーからもバグが生まれたように、人はどんなに客観的・論理的であろうとしても完全にはなれない。ならば私たちが客観的事実や論理的正解だけで何かを決めることは原理的に不可能なのである。
 
カブラギは言う。
「間違いかもしれない、けどきっとそれが正しいんだ」
「システムにとってはバグでも俺には違った。だから思ったんだ、『自分で決める』って」
 
どれだけ突き詰めようと、客観的事実や論理的正解は行動を決める上で99%の要因にしかならない。最後の1%を埋めるのは「真実」だ。自分の自分だけの、自分が正しいと思っているもの。自分で決めるとはその「真実」を認識すること、自分で決定したのだと責任を持つことだ。人は全ての選択に正解できはしないが、その選択に責任を持つことはできる。「自分で決めた」と認識する限り、「あの時はあれが正しかった、だから悪くない」などという言い訳は生まれないのである。
 
ミナトもまた、カブラギと一緒に戦いたいという「真実」を胸に再び司令の席へと戻る。勝ち目がどうでも、これがゲームでなくとも、意見が一致するわけではなくとも、それさえ共有できれば手は取り合える。それこそは、世界の明日を切り開く力を持つ自己決定なのだ。
 
 

感想

というわけでデカダンスの11話レビューでした。とても現代的な話だったなと思います。「自分が示しているのは客観的事実・論理的正解だから絶対に正しい。それが理解できないお前の認知は歪んでいる」……そういう論戦は現代、SNSを見ていれば毎日目にするものになりました。事実と論理には無条件に降伏するべきで、それができないのは相手の問題だと指弾するわけです。数年前に流行した「少女ファイト」由来の「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」の煽りなんかは最たるものでしょう。
 
けれど本作でクレナイに大事にしてあげなと言われる「あんたが見て、聞いて、感じたことはあんたしか分からない」(=あんたにとっての「真実」)は、この「お前の中ではそう」そのものなのですよね。人は絶対に認知の歪みから逃れられず、故に100%正しい意見を言うことも言われることもできない。
 
大切なのは自分が何の真実に基づいているかを知り、相手は何の真実に基づいているか聞き、互いに伝え合う(共有する)ことなのでしょう。これだけでも困難ですし、更に相手の「真実」の尊重と批判を両立するとなればやってられないレベルになりますが、そういう意識を持っておくことは独善に陥らないために必要なように思います。嘲笑を控える=自分が事実と論理を専有しているなどと傲慢にならないだけでも、そうした落とし穴からは遠ざかれるのではないでしょうか。
 
 
悩みながらの視聴だった本作も次週いよいよ最終回。このあたりのことへの希望を感じられる内容だと嬉しいです。