真実は身勝手なもの――「デカダンス」12話レビュー&感想

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©DECA-DENCE PROJECT
戦いとその先の未来が描かれる「デカダンス」最終12話、決戦は皆が心を一つに……といった形にはならない。事情を知る者からは無意味だったり、身勝手ですらあったりする。しかし虚構と事実とは別に人が見る「真実」なんて、元々そういうものではないか?
 
 

 デカダンス 12話(最終回)「decadence」

 

身勝手でも無意味でも

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例えば、身勝手さの多くはサイボーグの行動に見ることができる。彼らにとってデカダンスはどこまでもゲームでしかないわけだが、これがソーシャルゲームなら終了決定後に戻ってくる非アクティブユーザーは恨めしい気持ちにもなる存在だろう。またドナテロはクレナイ達にミッションを勧めながら自分はやってられるかとオメガ退治を独断専行するし、彼の配下は勝手に特攻に感動して勝手に生還に失望する。彼らはとことん身勝手だ。
 
一方、無意味さの多くはナツメの行動に見られる。こと最後の戦いに至っても、ナツメの行動が直接役に立ったりすることはない。廃パーツの再利用を直接思い立ったわけではないし、起動しないデカダンスへの呼びかけはカブラギに届いていない。必死の思いで押し上げる廃パーツも実際は予備パーツで、オメガ打倒には全く不要なもの。
 
しかし身勝手さ無意味さを抑えるような事実や正解など、彼らには知りようがない。また身勝手な特攻が皆を救ったり無知な思いつきが武器を生み出したりもするように、事実や正解であるかはここではくじ引き程度の意味しかない。各人の見る真実はもとより身勝手で無意味なものであり、重要なのは彼らがみな自分の見た「真実」に誠実であることだ。それさえ貫けるなら、カブラギが言うように例え間違えていたって正しく歩むことができる。
 
 

全てを超えた「生きる」とは

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事実や正解は行動の価値を揺るがさない。そのことはカブラギと全統治独立システムの会話でも描かれる。バグが不要かどうかの争いすらもともと組み込まれているものだとシステムは語るが、これは自然と人の歴史を考えるなら当然のことだ。生物も思想や価値観も、進化の歴史はバグ=突然変異の誕生と除去あるいは普遍化の繰り返しに他ならない。それを理解し内包する全統治独立システムは過去の作品で見られるような全能の機械と言うより、現代的な理解の下に構築された自然の摂理そのものだと言える。
 
バグの拒絶と受容の繰り返しによるアップデートそのものがシステム=自然の摂理であるなら、その時代その時代で異なる道徳や価値観に絶対不変のものなど存在し得ないのが「事実」だし「正解」だ。私達が現在当然のように受け入れている価値観だって、100年もすればくだらないと笑われているかもしれない。私達が信じる真実は「物事の結果を受けて変わっていくだけのものに過ぎない」のかもしれない。だが、だったらそうした価値観を論じることに意味はないのか? そんなものに意味は無いと冷笑して終わるべきなのか? 違う。
大切なのはどんな価値観であれそれを「自分で選ぶ」ことだ。デマに踊らされず情報を見極めよう!、などという知識的な話ではない。事実や多数派であることに責任を放り投げて言い訳にせず、自分が身勝手に、あるいは無意味に「正しいと思ったから信じた」のを忘れないことだ。
生きるとはそういう選択を続けることであり、その時その生は時代も価値観も事実も正解も超えた普遍の意味を持つだろう。カブラギの最後のリミッター解除とはつまり、あがき続けたそれらの限界を突破した証なのである。
 

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限界を超えた先には新たな世界がある。デカダンスデカダンスのまま、サイボーグは本体でもギアでもそこを訪れ、農作業をすれば戦うものもいる。脅威とは別の存在となったガドルもいる。そこでは死生観すらそれまで通りではなく、命すらバックアップから再生される。私達の世界ともこれまでの話とも違う新しい世界――しかしそういう世界にも生はある。カブラギは、ナツメは、変わることなく「自分で選んで」生きていくだろう。
 
 

感想

というわけでデカダンス12話のレビューでした。あー、書き疲れた……
事実や正解を選ぶことが困難な現代において、私達はそれらを選ぶ能力よりも先に身につけるべきものがある。終盤の視聴では、そんなことをずっと言われているように感じました。以前も書いたように僕はナツメという少女を好きになれなかったけど、それでも本作からは大事なものを受け取ることができたように思います。あるいは僕の場合、好きになれなかったからこそ。
いっとき体温を上げるためだけではない力を秘めた、一つの指針となり得る作品だったと思います。スタッフの皆様、お疲れ様でした。