微力の行方は――「ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN」2話レビュー&感想

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©2020 島田フミカネKADOKAWA/第501統合戦闘航空団
アルテアの父カルロの指揮する戦艦ドージェが遭遇した巨大氷山、その正体は水を苦手とするはずのネウロイが氷山を操っていたものだった。ネウロイを港へ寄せ付けないよう、芳佳とドージェ奮闘するが……
氷山型ネウロイとの戦いの決着と501の再結成が描かれる「ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN」2話は、ウィッチの圧倒的な強さを見せつつも万能とはしない。手に汗握る戦いと共に描かれるのは変化と不変、その両面の限界だ。
 
 
 
 
 

1.ウィッチの"魔法"とは

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©2020 島田フミカネKADOKAWA/第501統合戦闘航空団
本来なら沈められていたであろうドージェは、芳佳の急行によって氷山型ネウロイの侵攻を止める重要な戦力となった。未整備に等しいユニットで飛んだことといい、芳佳は様々なものを変えている。本作の戦う少女達がウィッチ(魔女)なのは当を得た設定で、彼女達の使う魔法とは本来ありえないはずのことを起こすもの、すなわち「変える力」なのである。
しかし空を飛ぶのにストライカーユニットという科学を必要とする彼女達の魔法(変える力)は、戦局を変える可能性はあっても全てを思うがままにできるほどの力は持ち合わせていない。ずば抜けた魔力を持つ芳佳でも武器がなければ攻撃はできないし、いくら早く飛ばなければと焦ってもそれでユニットの修理が早まるわけでもない。ウィッチであろうと、限界があることはただの人間と変わらない。
 
 

2.微力は無力に非ず

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©2020 島田フミカネKADOKAWA/第501統合戦闘航空団
しかし人間とウィッチが変わらないのは限界があることだけではない。魔力を持たないことは人間が「変える力」を持たないことを意味しない。耐ネウロイ装甲は戦艦をネウロイに一撃では沈められない存在に「変えた」し、ドージェの整備兵は本来関係ないはずの部品をストライカーユニットの部品に「変えた」。ドージェがネウロイを倒すことはできなくとも狙いを変えることは一時的にでもできたように、そこには微力でも「変える力」がある。微力は無力ではないのだ。
ならば人間でもウィッチでもその微力は束ねることができ、それは1つ1つの微力よりも強い力になる。501の面々が一度に再集結せず少しずつ増えていくのは微力が束ねられる過程であり、そこには「変える力」が大きくなっていく様がありありと描かれている。
 
 

3.有力は全能に非ず、されど

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©2020 島田フミカネKADOKAWA/第501統合戦闘航空団
ただ忘れてはならないのは、力の大小は質の変化を意味しないことだ。芳佳1人で事態を全て解決できなかったように、ウィッチが何人集まって力を大きくしても全てが自由になるわけではない。ネウロイを圧倒できるほど強くなっても、氷山がその力より大きければ結局は退避するしかない。力が微小か巨大かはあくまで相対的なもので、無力でないことは力の大きさを保証してくれない。
 
全てを変えることはできないが、何かを変えることはできる。ただしそれは願った全てとは限らない。
何かを変えず守ることはできるが、全てを変えず守ることはできない。ただしそれは何も守れないわけではない。
 
変化も不変も全ては思うままにはならず、けれどだからこそ芳佳達は戦うのだ。その結果として氷山を止められなかった失敗があり、アルテアを父と再会させられた成功がある。501を再結成しようと坂本が戻ることはなく、同時にそこには欠員補充として静夏が加わる枠がある。ベルリンの奪還がそのどちらになるかは、今はまだ誰も知らない。
 
 

4.感想

というわけでストパン3期2話のレビューでした。前回芳佳の意志の強さが描かれたからこそ、それだけでどうにもならないものの大きさも感じられる。ウィッチの強大さと限界の両方が見える、この先の大変さを想像させる回だったなと思います。ベルリンへの道は険しい……
静夏の加入で新しく生まれるドラマがどう影響してくるか、そのあたりも次回期待したいところ。