アイドル道とはさらけ出すものと見つけたり――「おちこぼれフルーツタルト」3話レビュー&感想

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©浜弓場 双・芳文社/おちこぼれフルーツタルト製作委員会
更新遅れましてすみません。
 
フルーツタルトのCDデビューライブが描かれる「おちこぼれフルーツタルト」3話冒頭、衣乃達は曲の出来栄えに対し穂歩から「肌とか、もっと出した方が良くない?」と露骨なタイプのアドバイスを受ける。だが穂歩のアドバイスそのものはともかく、歌詞や作曲のイメージ作りまでで終わった前回から今回冒頭いきなり完成ではドラマが足りない。肌に限らず衣乃達は「もっと出す」ことこそ求められている。
 

 おちこぼれフルーツタルト 第3話「はじめてのライブ!」

 
 

1.アイドルは露出が命

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©浜弓場 双・芳文社/おちこぼれフルーツタルト製作委員会
そもそもアイドルは露出してナンボの職業だ。知名度が無ければ人気は出ないし、激しい動きをすれば下着に相当する部分が見えてしまうこともある。アイドルにとって、露出は事態を動かす鍵と言ってもいい。
この3話そのものでも話を動かすのはいつも露出で、ロコとチコの姉妹関係やライブ会場の実情などが明かされれば(露出されれば)事態は動かずにはおられない。
 
しかしアイドルにとっての鍵であるにも関わらず、衣乃達はしばしば露出をためらう。もちろん心も体も一糸まとわぬほどに露出する必要は無いが、ステージ衣装の下にジャージを履いたりするのは穂歩も呆れるように論外だ。なぜ、そこまで露出という行為は恥ずかしいのだろう?
 
 

2.なぜ露出は恥ずかしいのか

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©浜弓場 双・芳文社/おちこぼれフルーツタルト製作委員会
チコと鉢合わせした際、ロコは赤の他人を装って自分と彼女が姉妹であることを隠そうとした。つまり露出を抑えたわけだが、恥ずかしかったのは姉妹であることそのものではない。ロコが本当に恥ずかしかったのは、妹より背が小さく、人気も無い自分の存在そのものだ。またお世辞にも華やかとは言えないデビューライブを好条件と穂歩が強弁したのは予算が「無い」のを誤魔化すためだし、衣乃が黒タイツを履いたのはアイドルらしい足の細さが「無い」自分を隠すためだった。
 
露出への恥ずかしさは、見える事物そのものではなくそこから覗く自分のみすぼらしさに対してこそある。衣乃が緊張してしまうのは何より、自分にさらけ出すだけのものがあるのかと自信が持てないからなのだ。
 
 

3.自分の中のさらけ出せるもの

露出することは、さらけ出すことは自分のみすぼらしさを人に見せることになりかねず恐ろしいものだ。しかし、さらけ出さねば事態が動かないのはアイドルに限った話ではない。
今回初登場したキャットプロ期待の新人・緑へもは衣乃に親しみを感じているからこそ話しかけられても逃げてしまったのだが、衣乃にしてみればそんな事情は知る由もない。露出してもらわなければ、事態は動かない。
そしてだからこそ、へもの応援は――気持ちの露出は、衣乃にとって何よりの励ましと自信に繋がる。小さな頃からアイドルになるのが夢だった。ネズミ荘に来てからも、皆で頑張ってきた。さらけ出すだけのものがあるか悩む必要など、最初から無かった。
 

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©浜弓場 双・芳文社/おちこぼれフルーツタルト製作委員会
アイドルは自分をさらけ出すものであり、自分をさらけ出させてくれるものであり、自分が何をさらけ出せるか教えてくれるもの。だから、アイドルはすごいのだ。
 
 

感想

というわけでおちこぼれフルーツタルトの3話レビューでした。更新遅くなりすみません。
先週の時点で関野の苗字は言っていたのだが、キャスト欄では書いてなかったこともありロコとチコが姉妹なのに今回まで気付きませんでした。言われてみれば姉妹以外の何物でもない。キャラクターが増えてきて、ますますお話は広がっていきそうです。
練習風景等とは別の部分を多く描くのが「外側」っぽく、かつそこがサービスシーンだったりするのが独特の塩梅だな……