ベルリン奪還を大目標にキャラクター別の物語を描いていく「ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN」。6話でハルトマンは寝坊どころかズボンすら紛失して寝ており、最終的にそれは転んだバルクホルンの顔面に乗って見つかる。なんともコミカルな始まりだが、これはある種のメッセージだ。「ズボンすら脱ぎ捨てるくらい軽くなる必要がある」という、物語からバルクホルンへのメッセージ・バトンなのである。
ストライクウィッチーズ ROAD to BERLIN 第6話「復讐の猟犬」
1.体の減量だけでは足りない
「軽くなる」点で今回目を引くのはもちろん、バルクホルンの減量だろう。2日間で体を絞りに絞る様子は、プロボクサーの減量すら想起させる。しかし、減量とはそうした物理的なものだけなのだろうか?
冒頭で強調されたように、ハルトマンは私生活はズボラだ。部屋は散らかり、緊急呼集にも寝ようとするほどだらしがない。バルクホルンがいなければおそらく、彼女は軍人としてはやっていけないだろう。一方で戦闘力は隊内でもっとも高いのだから、エーリカ・ハルトマンとは生活能力すら減量したウィッチ であると言える。精神もまた、減量の対象となり得るのだ。
しかし今回のネウロイは、増槽を装備していたとは言えその彼女ですら勝てない。
だからバルクホルンが敵ネウロイを撃破してハルトマンを救出するには、ハルトマン以上に様々なものを減量しなければならない。出力を落とさず機動力を高める目論見を直前まで説明しなかったのは褒められた行動ではないが必要なことで、彼女はそうした説明能力すら減量の対象とすることで自分をハルトマン救出のための存在に絞り上げたのである。
2.減量の果てに現れたもの
徹底した減量の結果、バルクホルンはこれまでになく軽い体を作り上げた。その体はもはや持久力すら削り、戦場までの運搬を芳佳と静夏に頼るほどだ。しかしそこにはまだ格好良さが残っている。ハルトマンはズボンすら紛失するほど自分をさらけ出していたのだから、バルクホルンもそこまで減量しなければならない。
ネウロイを欺くためにハルトマンが用意した人形を亡骸と誤認したバルクホルンは、戦闘もベルリン奪還もなげうってしまうほどのショックを受ける。彼女は生来の真面目さ、軍人としての責任感、ベルリン奪還への闘志など様々なものを背負っているが、ハルトマンの死の前にはそれら全てが意味をなさない。削りに削って、絞りに絞って一番最後、心のズボンの下にあったのはハルトマンへの思いだった。
そもそもハルトマンの精神的減量は、バルクホルン抜きでは日常生活もままならないほどのものであった。減量の限界は自立できる限界とは限らない。最後に残った骨身はむしろ他者抜きでは立てない(飛べない)ほど脆弱なもので、だから人は他者を必要とする。*1
今回の最初の戦いで共に片方のユニットが損傷したように、バルクホルンとハルトマンは共に片肺を受け持つ比翼の鳥だ。本当に限界まで削った2人は、共にあることでこそ空を飛べるのだ。
「ハ……ハルトマン、お前何か聞いたりしてないか?」「しーらない!無線は壊れてたし」
戦いが終わって帰投する中、ハルトマンはバルクホルンの言葉を聞いていなかったことにする。それはズボンの下にあるものだから、隠してあげるのが優しさというものだ。冒頭でバルクホルンにズボンを見つけてもらったハルトマンは最後、彼女もまたバルクホルンにズボンを穿かせてあげたのだった。
感想
というわけでストパン3期RtBの6話レビューでした。減量は物理的なものに限らない、と気付くのになかなか難儀しましたが、気付いてしまえばバルクホルンの不安定なほどの有様がすーっと道理として通ってくるから面白い。動揺してるようで冷静なようでやっぱり動揺してる、マトリョーシカな精神状態が最終的にとてもかわいらしかったです。無茶してしまうほど、好きなのだ。