華やかな躍進の裏で着実に不穏さの増す「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」。11話ではライブの開催地を募集する「かすみんボックス」がかすみ1人から皆の開催地を募集するものへと貼り替えられ、ボックスのかすみの顔が見えなくなる……という一幕がある。コミカルだが、けしてそこだけで終わる描写ではない。個人から集団へといった「広がり」が個人を見えなくするのは、今回の話そのものなのだ。
ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第11話「みんなの夢、私の夢」
スクールアイドルフェスティバル開催に向けて動き出す同好会。しかし、生徒会へ提案するものの簡単にはいかない。申請書の見直し、会場の下見、パフォーマンスの練習とやることはいくらでもある。東雲学院や藤黄学園も巻き込んで、ホームページを作成したり、投書箱を設置して広く意見を取り入れようとしたりと奔走するが、一番の課題は会場が一向に決まらないことだった。やりたいことはバラバラ、だけど1つに絞らなければいけない。みんなの願いを叶えたい侑は思い悩んでいた。
(公式サイトあらすじより)
1.絞るのではなく広げるという答え
侑達のスクールアイドルフェスティバル提案書には生徒会から様々な注文がついたが、もっとも重要なのは開催地の決定だった。つまりスクールアイドルが「拠って立つ場所」である。これまでも描かれたように本作はバラバラであることに意味があり、同好会の意見も定まらない。どの場所にもそれぞれに合う正当性があり、どれか1つが勝っているわけでもない。ダイバーフェスで1人を選んだ時とは違うのだ。ならば、それでも絞ることは侑達の主義には合わない。
打開策は絞ることではなくその逆、広げることにこそあった。10人で悩んで決められなかった開催地は、もっと大勢の人の意見へ広がったことで絞らない正当性を持つ。虹ヶ咲学園から他校との合同に、更には街全体を巻き込んだ大掛かりなものに。10人を10人の中に押し込めずにやってきた彼女達にとってこの更なる広がりは必然であり、まさしく発展と言っていいものだろう。
2.広がりが生む距離
先に述べた広がりは主に人と人の繋がりによって生まれたものだったが、広がりとはそれに限ったものではない。例えば生徒会副会長は当初はスクールアイドルの存在すら知らなかったが、提案書をきっかけに調べたことで優木せつ菜のファンになった。新たな知識と感動を得て、彼女の世界が「広がった」のである。広がりとは個々人の中にもまた存在している。
広がりをそう捉えた時、もっとも広がっているのは誰あろう侑だろう。スクールアイドルに惹かれるからといって自分も歌うのではなく、それでいながらどんどん皆を巻き込んでいき、単独校に留まらぬ催しを企画するに至り、更にはピアノから何か新たな夢を引き出そうとしている。新たに生まれた「10人目」たる彼女は存在そのものが広がりのさだめを背負っていると言える。
個人から集団においても個人内においても、広がりはポジティブな意味合いを持つ。けれど落とし穴というのは隠れるからこそ見落とされるものだ。ポジティブさが強ければ強いほど、見落としやすくなるものだ。副会長はスクールアイドルという広がりを得て優木せつ菜に強く惹かれるようになったあまり、その正体である中川菜々の言動を大きく見誤るようになった。大きく広がることは同時に、その分だけ遠ざかる ことなのだ。
歩夢「……私、知らない」
侑がピアノを練習するようになったことを知らなかった歩夢は、動揺する。夏休みの宿題の仕方まで知っているはずなのに、知らないことがどんどん増えていく。自分より他の人と仲良くなったなどということですらなく、もっとずっと大きく、得体が知れなくなっていく。
隣にいてほしいと願った相手が、広がりによって遠く去っていく。その距離が耐えられないから、歩夢は侑を抱きしめるのだ。
感想
というわけでアニガサキの11話レビューでした。発展がむしろ不安を煽る緊張しっ放しの回。侑と歩夢が2人ともスクールアイドルなら話が早いですが、そうでないからこそのこの不安定さだしどう解決するのでしょう。シリーズのこれまでにないどん詰まり感……
あちらを見てもこちらを見ても眼鏡っ娘、やはりこの空間は天上の楽園。もしここに居合わせたら3秒で僕の心臓は止まるんじゃなかろうか。