野球漫画「Dreams」に現代日本への絶望を重ね見る

原作・七三太朗、作画・川三番地による野球漫画「Dreams」を読み終えました。とても良かった……というか泣きそうになったので、感想を書いていきたいと思います。政治的な発言も含んだ感傷的な感想なので、その点をご了承の上お読みください。
 
 

 

 

1.Dreamsってこんな漫画

「Dreams」は1996~2017年の長期に渡り週刊少年マガジン、そしてマガジンSPECIALマガスペ)で連載された野球漫画です。久里武志という少年を主人公に、夢の島高校が夏の全国大会を戦っていく様子が描かれました。こう書くととても普通の野球漫画に見えますが、この主人公の久里が普通でない。茶髪でタバコを吸い、キレれば殴りもする不良少年。……いや、こう書くと更に普通の、昔の不良更生スポーツ漫画に見えますね。
久里が特殊なのはこれだけ外聞の悪い要素を持っていながら、野球に関しては誰よりも真摯なことです。普通は考えられないような非常識なプレーばかりをしますが、科学的に見れば非常に理に適った正しい選択をしている。そして対戦相手を舐めた行動を取ることはない。野球人からはかけ離れて見える非常識な少年がしかし、球場では誰よりも野球を愛している。そのギャップが彼の人物像に魅力を与えています。
 
ちなみに僕はマガスペ移籍後に追いかけるのをやめてしまっていたのですが、マガポケで配信されているのを知って今更ながら最後まで読んでみた次第です。マガスペの休刊に伴い連載が終了、久里が対戦相手に連続デッドボールをくらわして退場した後に数話エピローグが描かれるという衝撃的な結末を迎えて悪い意味で話題になっており、僕もがっかりするのを覚悟して読んだのですが、終わってみるとそこに納得とむしろ現実とのシンクロを感じてしまったのでした。
 
 

2.久里の非常識に立ち向かうライバル達

先に述べたように久里のプレーは破天荒な一方で理に適っていて、対戦相手をいつも驚かせます。劇中でも「非常識」はほとんど彼のキャッチコピーになっていて、対戦相手はつまり非常識と戦うことになる。南東京地区大会で戦う各校はどれも彼に「常識」で戦いますが、久里の「非常識」の有効性を認識した上で挑んでもその足元にも及ばない結果が続きます。
 
流れが変わるのは全国大会。ここでの相手は久里に「常識」で挑みません。
 
久里以上とも言われる才能を持つ生田を擁する神戸翼成高校。
タンザニア少数民族出身のハンコ・ルーが所属し、久里に虐待じみた野球教育を施した父・団 不二夫が指揮する私徳館高校。
性別を隠して参加していた甲子園初の女性投手・首里城 きらり率いる美ら海聖都高校。
 
タンザニア出身や女性投手といった設定から分かるように、彼らに共通するのはいずれも久里同様に日本の野球(漫画)としては「非常識」であること。つまり地区大会は「常識で非常識の非効率を暴こうとする」のが対戦相手のスタイルだったのに対し、全国大会では「同等の非常識をぶつけて久里の非常識さを失わせる」のが主流になっていくわけです。後述の理由もありますが、このあたりの試合の流れはぶっちゃけトンデモ野球漫画と見えても仕方ない部分がある。ともあれ彼らの出現により、久里は技術だけではその非常識さを表現できなくなっていきます。
 
技術だけで「非常識」を表現できなくなったなら、久里はどこでそれを表現するのか――ある意味当然の帰結として、それは「精神性」へと表現の場所を変えていきます。顕著なのが美ら海戦で、アドレナリンがよく出るのはどういう行動であるかとか、いわゆる絆であるとか、「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」的な話が出てくる。現代では逆に非常識となった根性論を科学的に分析して蘇らせる試みであると言ってもいいでしょう。
とはいえ「これを楽しむ者に~」的な部分はともかく、アドレナリンの分泌量なんて目には見えないし、根性論はむしろしぶとく生き残っている悪弊としての面が強いのでそこまで説得力を出せてはいないように思います。そもそも本作の面白さの一つは、久里の非常識がそういう古い常識を軽々と打ち破るところにあったのでは……
 
そういう点で終盤の試合はちょっと読み方に迷う部分があるのですが、一貫しているものもちゃんとあります。それは「野球を愛する心」。スポーツマンシップ、アスリートとしての矜持と言ってもいいでしょう。この精神は対戦相手もちゃんと持っていて、最後にはそのぶつかり合いになるし互いへの敬意もそこから生まれていく。
不良で社会常識からは外れていても、野球を通してであれば誰よりも相手に誠実に振る舞う久里の姿は一周回って誰より純粋に映ります。私徳館戦で対戦相手のある行動への自省とジャッジに久里が感激するシーンなどは、本作が求める清らかさの体現と言ってもいいでしょう。
 
 

3.非常識でまっすぐな怒り

非常識ながら誰よりも野球を愛し、誰よりも野球に誠実な少年・久里。しかしそんな爽やかな戦いは、準決勝の麗峰大九龍高校との戦いで急カーブを迎えます。九龍を率いる西村監督は夢の島の工藤監督の指導でかつて潰された恨みを持ち、この甲子園で久里を潰すことでその恨みを晴らそうとしてくるのですが――そのやり方が恐ろしくえげつない。九龍の選手は最初こそ高い実力で久里から大量点を奪うも、「地面に立てたバットを足で倒してバントする」「久里の球に一切反応せずスリーアウト献上」などとにかく「野球をしない」。久里に「野球をさせない」。選手の一人は久里を「決闘ごっこしてるだけ」とすら言います。
 
これらはもちろん、三流漫画のようなラフプレーではありません。ルールには一切抵触しません。けれどこれまでの戦いで描かれたようなアスリートとしての矜持も野球への愛も何もない。「人への誠実さ」は欠片もない。物語を通して久里が強さよりも仲間の「成長する姿」そのものに美を感じるようになったのに対し、九龍にとって優勝とは「モノ」でしかない。あまりにあまりなプレーに久里はとうとうキレ、7人連続でデッドボールをくらわせて退場させられてしまいます。これが悪い意味での話題を読んだ、本作の甲子園での最後の試合でした。*2
 
久里は夢の島での上級生vs下級生の試合でも、「我慢する力を問う」として連発された不条理なジャッジにキレて相手を殴りつけてしまったのですが、暴力からデッドボールに変わろうが彼の怒りの根源は変わりません。彼の怒りは「野球が好きだ」「野球をしたい」「野球を通して人と真摯にコミュニケーションしたい」……そういうものが裏切られたことに対する、とてもまっすぐな怒りなのです。
 
久里の退場後、彼の遺した魔球によって狂いの生じた九龍のバットは思うように球が飛ばず夢の島高校は善戦するのですが力及ばず敗退。九龍はそのまま優勝します。科学的なトレーニングを積み、合理的な面では久里と重なる部分もありながらも「野球への愛」「人への誠実さ」を欠いた彼らは確かに勝利しました。しかしそこにあったのは空席だらけの客席、賞杯を手にしても拍手すら起こらない静寂。勝利だけを求めた先にあったのは、あまりに虚しい栄光でした。
 
 (ここから政治的な発言)

4.純粋さの生きられる場所は

誰よりも純粋な少年が怒りで去り、悪徳と狡知に長けたものが勝利するも何も残らない。僕はここに個人的に、今の日本の政治を重ねて見てしまいます。不正を働き虚偽を口にしてもバレなければいい。バレても問題ないと言い張ればいい。ここ数年でそれはもうすっかり当たり前になったし、私達もそれを日常のものとして受け入れるようになってしまいました。確かにこんなことは歴史上いくらでもあったし、それを受け入れるのは現実を見た判断ではあるでしょう。でもその結果繁栄しているかと言えばそんなことはなく、この国は緩やかな縮小を続け相対的に他国より貧しくなり続けている。現実的な判断と言いながら現実に屈服するだけ、夢(Dreams)を失うだけで、ただただ力を失い続けています。
 
劇中で九龍高校への制裁と救済は行われていますが、久里のような純粋な少年は結局、日本に居場所を見つけられません。彼に共感し盟友とも言える関係となった生田は交通事故で死んでしまうし、久里はかねて目指していたメジャーリーグへ入るべくアメリカへ旅立ちます。彼らを見送る国内のプロ野球球団や高野連会長にも温情はあるのですが、居場所を用意してあげられるわけではない。久里や生田に象徴される純粋さには、死ぬか日本を出るかの選択肢しか残されないのです。*3
 
これは野球の話だけれど、この国の未来と重ねて見られる話ではないか。本作にあった眩しい純粋さが生き残る場所を、私達は用意できないのではないか。そんなことを、読み終えて感じたのでした。
 
 
*追記:一時は存在抹消状態だったのが、気がつけばヒロインポジションになってる工藤夏に妙なかわいさを感じたことも書き残しておきたい。
 

*1:海聖高校の秋吉と私徳館の名倉もいるが、格落ち感あったり一言で説明しづらかったりするので割愛させていただく

*2:20年に渡って1回1回付き合ってきた読者が落胆するのは自然な反応ではあるとは思う

*3:2020年にはアメリカでも現役の大統領が不正選挙を訴え積極的にデマを流した惨状を考えると、久里はいっそう遠くに行ってしまったように感じる。もちろん本作のアメリカは現実の場所というより「野球の天国」なのだろうけど