ゲームの奴隷――「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」3話レビュー&感想

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©土日月・株式会社KADOKAWA刊/究極進化した製作委員会
ゲームで現実を殺す「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」。ゲームらしからぬリアルさがウリだった本作だが、3話ではむしろゲーム的な制約がヒロに襲いかかる。極・クエストもやはりゲームには違いなく、だからこそ恐ろしい。
 
 

究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら 第3話「大人のイベントタイム」

リアルプレイヤーのギンジに裏切られ、殺人犯として投獄されてしまったヒロ。
さらには殺してしまったマーチンが亡霊の姿で憑りついてくる始末。
そんな超ピンチの状況に駆け付けたのは、赤髪美少女の異端審問官のミザリサだった。

 

 
 

1.ゲームは人を奴隷にする

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©土日月・株式会社KADOKAWA刊/究極進化した製作委員会

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ヒロ「いやどんだけ服役してんの!?ログインする度牢屋から始まったりするわけ?やめりゃいいじゃんこんなゲーム!」
ギンジ「やめるにやめらんないのよ。なあエンリケ、マリー?」

 

ゲームは息抜きのためのもの……本作が最初に語ったように、非現実に過ぎないゲームは現実のおまけのようなものだ。主人たる現実に対し、ゲームは従者としての役割しか持たない。
しかしその一方で、この主従関係は容易に逆転もし得る。現実に存在する私達はしばしば、非現実のゲームの奴隷になってしまう。これは別に、オンラインゲーム依存症のような極端な状態に限った話ではない。
 
例えばドラマ性を増したゲームはしばしば、長時間に渡るイベントで私達を束縛する。電源を切るのを惜しんで私達は、食事を遅らせたりしてしまう。
例えばソシャゲは時限イベントの宝庫で、スタミナや期間限定イベントで私達を束縛する。二度と手に入らぬ報酬惜しさに私達は、生活時間を犠牲にしてしまう。
 

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アモス「俺だってホントは嫌だよ。こっちにも当たるし。痛った!はいここで終わり!終わりでーす!そこ、もう投げない!」
 
ゲームのために現実を犠牲にする時、私達はゲームの奴隷にされている。この奇妙な逆転はリアルさがウリの極・クエストの中ですらメタ的に再現されていて、町内衛兵隊は自分達も当たるから嫌だと思いながらもテッド名物投石イベントという「ゲーム」をやらざるを得なくなっている。
あくまで従者に過ぎない存在が私達を奴隷にするのはけして珍しくはない。ゲームに限ったことでもない。生活のための仕事が逆に人を過労死させたり(「連勤でストレスMAX」)、「まだマシだから」と決めた消極的な選択が「マシなはずなんだ」と強迫観念に変わったりするのも従者に奴隷にされる例と言えるだろう。
 
ヒロもまた、息抜きのはずのゲームに多分に奴隷にされている。それは生活時間の束縛などよりもっと根深い「思考の奴隷化」だ。具体的に言えば「ゲームならこうだろう」と決めつけてしまうことこそ、ゲームに思考を奴隷化されている証に他ならない。
 
 

2.外せない奴隷の鎖

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ミザリサ「少しだけ目をつむってくださいっス」
ヒロ「つむるっス」

 

ゲームには通常お約束がある。面倒なだけのイベントはスキップされるし、女の子との刺激的なイベントと前置きされればムフフな出来事が待っている……お約束によって私達プレイヤーは守られている、とも言える。他のゲームならそれでも問題はないだろう。しかし極・クエストの世界ではその思考は足かせにしかならない。お約束という思考に奴隷化されたままでは生き延びられない。
 

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ミザリサ「それはもちろん!シシシ、四肢切断っス!」
 
自分は勇者で特別な力に目覚めるんだなんて言えば狂人扱いされると考える、素性も知らぬ少女に変な部屋に連れ込まれれば怪しいと疑念を持つのが「リアルな」思考のはずだ。しかしヒロはそんなことを考えもしない。ゲームだから自分はいずれ不思議な力に目覚める、得体のしれない少女でも自分に甘いやすらぎを与えてくれると信じて疑いもしない。結果ヒロを待ち受けていたのは呆れ顔であり投石であり、異端審問官だった少女ミザリサによる四肢切断拷問の危機であった。
 

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ヒロ「俺なんか、どうせ何やったって駄目なんだよ。だからもう、どうなったって……」
 
ようやく駆けつけたレオナも全く役に立たず、リアルな危機感にヒロはとうとう現実とゲームの同一視に至る。彼はゲーム内に限らぬ自分自身に絶望して、生きる気力も人の尊厳(人前で失禁しない)も全てを放り出してしまう。ある意味でそれは、彼がこれまでの何よりも自分をさらけ出した瞬間とも言える。人間的でない人間*1はそもそも放り出す尊厳を持っていないからだ。尊厳を放り出すその瞬間こそ人間はもっとも人間的であり、現実を生きているのである。
 

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レオナ「す、すごいわヒロくん!あなたは今おしっこをもらすという特殊コマンドで拷問を回避したのよ!」
ヒロ「そんなコマンド出したくねえよ!」

 

しかし待ってほしい。極・クエストはあくまでもゲームだ。空腹も膀胱の感覚も切断される手足も、どこまでリアルだろうとヒロの肉体に現実に起きたものではない。
 
錯覚を嘲笑うように、ゲームはヒロに新たな称号を与える。「ナイスシャワー・ベストフレンドキラー(いい漏らしっぷりの親友殺し)」……ヒロが誰に言われるでもなく行った、ある意味で己の尊厳の象徴であった失禁ですら、このゲームでは「特殊コマンド」「裏技」として組み込まれたものでしかなかった。それは極・クエストがとことんヒロを支配下に置き続ける、奴隷にし続けるという宣言であり、魂の陵辱だ。そこまでされて耐えられる人間など、そうはいない。
 

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©土日月・株式会社KADOKAWA刊/究極進化した製作委員会
ヒロ「……面白くねーよ。」
レオナ「え?」
ヒロ「こんなゲーム、ちっとも面白くねー!」

 

ゲームは主人たる人間を奴隷化する力を持っている。しかしそれはあくまで逆転の力に過ぎない。現実が主人でゲームが従者でなければその逆転は発生しない。なら、奴隷化された人間が尊厳を取り戻す方法もたった一つ。現実と自分がゲームに対する主人であると知らしめれば済む。だからヒロはログアウトし、極・クエストを二度とプレイしないと宣言するのだ。どれほどリアルさを極めようと、どれほど可能性を秘めていようと、どれほど人間を奴隷化する術に長けていようとゲームはゲームだ。やらなければその力は現実には及ばない。
 

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©土日月・株式会社KADOKAWA刊/究極進化した製作委員会
ヒロ「もういい。こんなクソゲー、二度とやるか!」
 
かくて悪夢のような時間は終わった。ヒロは現実に帰るだろう。しかし一方で、彼がゲームと同一視するほど絶望的な現実が何か変わったわけでもない。希望は果たして、どこかに見つけ出せるのだろうか。
 
 

感想

というわけでフルダイブの3話レビューでした。ヒロのイキった感じの言動はイラッとすることも多いのですが、ゲームで尊厳放り投げさせられてしかもそれが手のひらの上とかそりゃやる気もなくすよねと同情してしまいました。トラウマだよこんなの。あとやっぱり、リアルタイムで束縛するタイプのゲームはほどほどでないと駄目だと思う。
さてさて、この状況からどうやってヒロが再び極・クエストの世界に戻ってくるのか。次回が楽しみです。
 
 
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*1:つまり人でなし