競い合う拳――「灼熱カバディ」9話レビュー&感想

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©2020武蔵野創・小学館/灼熱カバディ製作委員会
幾つもの繋がりを見せる「灼熱カバディ」。9話では水澄にスポットを当て、彼と伊達や王城との関係が問い直される。そこで見えるのは、ある種の兄弟とも言うべき似た者同士の繋がりだ。
 
 

灼熱カバディ 第9話「意地の勝負」

水澄は悩んでいた。新しい布陣の中、伊達とばかり守備を組んできたせいでアンティとしての立ち回りが分からなくなってしまったのだ。コイツがいなかった時、どうしてたっけ……入部したての水澄は初めての試合で挫折を味わった。もうみじめな思いはしたくない、そう考えて体格の良い伊達をカバディ部へ誘ったのだが……。
 

1.伊達とは水澄にとってどんな存在だったのか

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©2020武蔵野創・小学館/灼熱カバディ製作委員会
水澄「いっそ、いない方がマシなんじゃって思った」
 
今回の話では、中盤までの主役は宵越ではなく水澄が務めその過去が明かされる。カバディ部へ入った時アンティの部員は彼以外におらず、助っ人部員では水澄の相手にはならなかった(おそらく、畦道の時同様に王城は最初彼を打ちのめさなかったのだろう)。「パワーは俺が一番」……あふれる自信と共に初めて迎えた夏の公式戦、化け物のような相手の前に水澄は完全にカモにされてしまう。彼にとってそれは、天から地に叩き落されたような経験だったはずだ。
 

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水澄(あいつ、ガタイだけだったな)
 
屈辱を繰り返さないため体格の良い伊達を勧誘した水澄だったが、伊達は俊敏とは言えずけして頼れる相手ではなかった。冬の公式戦の結果は、カモが増えただけ――ではない。水澄は変わらぬ結果への不満を伊達に叩きつけた。伊達も売り言葉に買い言葉で返した。それは1年生が水澄だけの夏の公式戦ではできなかった、同レベルの人間のぶつかり合いだ。
 

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人にとって他者は重要である。保護し育ててくれる者、敵対し傷つけてくる者、利害の一致する者など様々だが、成長にもっとも必要なのは「近いレベルで競える者」だ。圧倒的に上回る相手しかいなければ無力感に打ちのめされるし、誰も相手にならない状況では学べることも限られ天狗にすらなりかねない。同じくパワー自慢の伊達という近いレベルで競える者――ある種の兄弟のような相手を経て、初めて水澄は自分を見る鏡を手に入れたと言える。
 
 

2.拳の使い方は一つじゃない

ある種の兄弟、鏡のような水澄と伊達の関係を語る上で、今回は注目に値するポイントがある。「拳」だ。
 

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伊達「腱のリハビリ。もう治ってるけど、癖で」
水澄(リハビリとかツッコミづれえ!)

 

初登場時、伊達はリハビリボールを握っていた。ボール……中学までその手に握られていたのは、リハビリ用ではない白球だったはずだ。そして一方、水澄の手はかつて拳として握られ他者への暴力に使われていた。
 

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冬の大会で負けた際の仲違いで、水澄と伊達は殴り合った。この時、二人の手は共に拳となって握られている。仲違いをしているのに、二人の手の形はむしろ近づいている。それは彼らが本当に殴りたいのは相手ではなく、相手そっくりの自分・・・・・・・・・だからだろう。ただのカモでしかない自分が、許せなかったからだろう。
 

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王城「カバディに闘志は大事だけど、殴るのは反則。悔しいのはみんな一緒だから、ね?」
 
そういう意味で、この冬の大会は伊達に水澄と同じ悔しさを、そして彼と水澄にその先を経験させ兄弟のようにした。ただし、殴るのは反則だから王城は二人を止める。拳に象徴される闘志は必要でも、殴るのはカバディではない。二人がすべきは、そんな拳の使い方ではない。
 

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水澄「喧嘩っしょ」
伊達「なるほど」

 

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水澄「喧嘩だっつってんのに」
伊達「俺には向いてない」

 

だから二人は、拳を握りながらも以前とは別の使い方をして見せる。意気投合のジェスチャーとして拳の甲を合わせ、互いを認める意味で拳を突き合わす。ボールを握るのでもなく、握ったそれを叩きつけるのでもなく、二人の拳はコミュニケーションの道具となっている。それは兄弟のような、近いレベルで競える二人が互いを成長させた証。カバディを通じて競う二人が見つけた拳の形だ。
 
 

3.近い者同士の刺激、そして波乱の予感

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水澄と伊達の関係で描かれたように、近いレベルで競える者の存在は互いを磨き上げる。その点で、2回目の練習試合の相手となる埼玉紅葉高校は確かにうってつけだ。大会順位こそ奏和に譲るものの、1年生だけで関東ベスト8の結果を出した彼らから宵越達初心者が学ぶべきことは多い。そして部員の内2人は王城達の後輩であり、特に佐倉は王城の指導を受けたレイダーという宵越に近い存在――劇中でもはっきり「言わば兄弟弟子」と言われる――だ。共に刺激し合うものは大きいだろう。
 

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佐倉「他校の自分がこんなことを言うのは変な話ですが、王城さんの力になれるよう頑張ってくださいね」
 
佐倉は初対面の宵越の手を握る。握手はもちろん友好の証だが、強く握り締めるその手にはどこか羨望や嫉妬のような気配も漂う。水澄と伊達で本作が見せたように拳は、いや手というものは非常に表情豊かだ。この練習試合、そしてその後の宵越と佐倉の関係には注目して損はなさそうである。
 
 

感想

というわけで灼熱カバディの9話レビューでした。水澄の意地をかけた勝負……だけで終わらず次の練習試合(の前の合同練習)が始まる変則的な構成。「近いレベルで競える者」だけだと書くにはちょっと弱いかなという感があったので、手に着目してみた次第です。その結果主題としては扱い損ねてしまいましたが、水澄が王城を帰らせまいとする場面は思わずこちらも「手を握って」しまいました。いや本作、ほとんど毎回そうやって宵越達を応援しちゃうんですけど。こうやって応援しちゃう作品て案外限られているので、そういう意味でも良い視聴時間を過ごさせてもらっています。
さてさて、強者に挑むイメージがまず強かった奏和とはまた違った紅葉との練習試合、どんな内容になるのか。楽しみです。
 

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©2020武蔵野創・小学館/灼熱カバディ製作委員会
あとこの時の王城、にっこりしながらも一番悔しがってたんだろうなあ。悔しいのはみんな一緒だからと言いながら、当たり前みたいな顔をしながら、きっと誰よりも。
 
 

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