「小林さんちのメイドラゴンS」1話に見る、調和と混沌のバランス

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クール教信者双葉社/ドラゴン生活向上委員会
ドラゴンと人間の愉快な日常を描く「小林さんちのメイドラゴンS」。本作のドラゴンの社会では混沌勢と調和勢という2大派閥が争っている。そして混沌と調和の争いは、けして戦いだけで描かれるものではない。
 
 
 

1.アバンに見る混沌と調和

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トール「まさに燃え燃え!」
小林さん「いや絶対やめろよ」

 

冒頭、小林さんとトールの会話はメチャクチャだ。究極のメイドという自己主張を小林さんは否定するがトールは気にも留めないし、彼女はライバル心を燃やしてメイド喫茶に行ったはずなのになぜか働くことになって帰ってくる。メチャクチャな会話とはすなわち"混沌"とした会話である。
 
しかし一方、二人の会話には奇妙な一致も見える。誇大広告に対する意見やトールも誇大広告をしているという指摘、燃えと萌え……そもそもトールとメイド喫茶が結んだ労働契約も、両者の一致があって生まれるものだ。先程の噛み合わなさが混沌なら、こうした一致は"調和"であろう。
 
混沌だけなら喧嘩になるし、調和だけではコメディは成立しない。ここで描かれているのは調和や混沌と言うより、両者のせめぎあいから生まれる「バランス」なのだ。
 

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トール「なら、美味しくなる魔法の言葉を教えてあげますから」
 
バランス(均衡)をゴールとするなら、混沌と調和はどちらか一方が勝利を収める必要はない。実際トールにとって最近自宅での時間は暇、つまり調和の一方的な勝利を崩してくれるものだったし、ドラゴンであるトールの混沌じみた料理の腕は店のスムーズな運営(調和)に貢献している。辞めたいトールとコック長の彼女に辞めないでほしいメイド喫茶の衝突も、解決したのはそのどちらでもなく「トールがいなくても美味しいオムレツが作れる方法を伝授する」というバランスの成立によってであった。
 
 

2.バランスを保つことは勝つより難しい

バランス(均衡)がゴールなら、相手に勝利する必要はない。だがそれは楽な道かと言えば否だ。
この2期1話では混沌勢の最過激派であるイルルというドラゴンが登場し、トールに襲いかかる。イルルの強さは調和勢のドラゴン・エルマいわくトールのちょっと下に過ぎず、勝つだけならトールにとって難しいことではない。そう、勝利するだけ・・・・・・なら。
 

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トール「思いっきり攻撃したら町が壊れる、でもそうしないとお前を倒せない。お前の攻撃もいい加減うっとうしい、でも町を守んなきゃいけないし……!」
 
トールはただ勝つのではなく、町を守らなければならない。それはイルルからだけに限った話ではなく、トール自身の攻撃も町を破壊しかねないから抑制しなければならない。しかもそれくらい思いきり攻撃しなければイルルは倒せないし、致命傷にならないとは言えイルルの攻撃も笑ってやり過ごせるようなものでもない。
 

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トール「爆発しそうだ、全部巻き込んで!」
 
煩雑さの余り、トールは全てをかなぐり捨てたい欲求に駆られる。そう、彼女が苦心しているのは相手を倒すことではなく、自分の中の混沌と調和のバランスを保つ困難さについてこそだ。それはこうした戦いに限らず、ただ相手に勝つよりずっと困難なことなのだ。
 
 

3.バランスというきれいごとを保つために

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小林さん(信じるって言っても、それがトールの力になってないなら何もしてないのと一緒だよな)
 
混沌と調和は他者との関係だけでなく自分の心の中にもあり、人(本作の場合ドラゴンも含む)は一人ひとり違うやり方でそのバランスを保っている。ドラゴンと比較すれば非力な小林さんがただトールを信じようとするのも、エルマを始めとした他のドラゴンがトールを助けない(助けられない)のもそういう意味では同じことだろう。
 
ただ、バランスはせめぎあいによって生まれるから常に揺らぐものだ。先程のトールはもちろん小林さんも自分はただ傍観しているだけではと悩むし、彼女のエルマの説得は甘いものによる混沌と「トールではなく小林さんとの取引」という言い訳(調和)のバランスによって成される。
 

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小林さん「争ったり傷もできたりするんだけど、それを見て見ぬ振りをしたり汚いもので埋めたりしても構わない。気持ちなんて正しく把握してなくても自分なりに合わせてきたし、なんとかやっていく。わたしそういう人間」
 
後にイルルに問いかけられ、小林さんはきれいごとを言う自分がきれいな人間ではないことを語る。それは先の戦いの時も言えることで、小林さんは結局自分でトールを助けたわけではないし、エルマの説得も買収とレトリックを駆使したに過ぎない。だがそれによって混沌と調和のバランスという「きれいごと」は保たれている。
 
 

4.見つめ直していく物語

以上のように劇中に散りばめられた混沌と調和について触れてきたが、この1話で小林さんとイルルは一つ、興味深い問答をしている。
 

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イルル「それが人間の考え方?」
小林さん「いや。わたしこと小林の考え方。イルルはドラゴンの考え方とイルルの考え方、分かれてないの?」
イルル「分ける必要なんかない、同じだ」
小林さん「そう?でもそのドラゴンとしての考え方を考えたドラゴンは、イルルとは別のドラゴンだよね」

 

小林さんはイルルに「個」は無いのかと問い、イルルはそんなものは無いと答える。しかし考えてみればこれは奇妙だ。個のない集団とはつまり全体主義の集団であり、そこには諍いがない。混沌勢にも関わらず、イルルの答えはむしろ究極の"調和"なのである。
 
全員の同じ考えを調和とするならば、一人ひとりの違う考えとは混沌だ。調和のみの社会が全体主義なのは先に触れた通りだし、混沌のみであれば私達は社会生活を営むことすらできない。だから調和と混沌のいずれも欠けてはならず、どこかでバランスを取らねばならない。そしてあくまでバランス(均衡)である以上それは永遠にせめぎあい続ける、ふとしたことをきっかけに問い直されるものだ。
 

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小林さん「……なにこれ?」
 
イルルが小林さんにかけた呪いはトイレに行くまで気付かないような些細なものだが、彼女とトールの関係を問い直すだろう。それに限らず、様々なことをきっかけにこれからの小林さんとトールは自分達の関係を見つめ直していく。そこにあるのはきれいなものだけではないけど、だからこそきれいなバランスを保とうとする働きである。
自分の中の、そして自分と他人の「調和と混沌のバランス」を見つめ直していく物語。盤石に見える関係を築いた1期の先にあるのはきっと、そういう物語なのだ。
 
 

感想

というわけでメイドラゴン2期のレビューでした。予定より1日遅れですみません。
レビュー書く上で大変なのは1話(全体テーマになり得るものを1から捜索しなければならない)と後半(仮定した全体テーマが厳しく問い直され、かつ答えは見えてこない)だとは思ってますが、初回から1日遅れで書く有様でやっていけるのだろうか僕。白い砂のアクアトープ1話はこれから見ます……
 
TVシリーズフォーマットで京アニ作品を見る懐かしさとかシリーズ監督表記とかいろいろ「来る」ものはありますが、それに引きずられずに没頭できる良い1話だったと思います。自分がどういう人間なのか語る時の小林さんの眼鏡が反射で明滅する場面とか、彼女がけして一色の人間ではないのが感じられて印象的。次回も楽しみにしてます。
 

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いっぱい食べる君がやっぱり好き。
 
 

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