心を表す体であれ――「ラブライブ!スーパースター!!」2話レビュー&感想

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©2021 プロジェクトラブライブ!スーパースター!!
少女達が駆け出す「ラブライブ!スーパースター!!」2話。スクールアイドル部を設立したいかのんは、フェス優勝という高いハードルを理事長から課せられてしまう。だが、そこで求められているのは単なる「優秀さ」なのだろうか?
 
 

ラブライブ!スーパースター!! 第2話「スクールアイドル禁止!?」

やっぱり歌が好きだ!という自分の気持ちに気付いたかのんは、スクールアイドルになることを決心する。しかし音楽科の葉月恋は、スクールアイドルは結ヶ丘に必要ないと、部の申請書すら受け取ってくれない。かのんは恋の弱点を握ろうと、音楽科の生徒であり幼馴染の嵐千砂都に協力してもらい情報を集める。しかし弱点どころか、恋を頼りにしている生徒は多い。そんな時、かのん達は急遽、理事長に呼び出され――。
 
 

1.理事長が否定したものは

そもそもスクールアイドル部の創設の話がこじれたのは生徒会長も同然の葉月恋が否定的だったからだが、その理由を彼女はこう言っている。
 

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恋「音楽に関してはどんな活動であっても他の学校より秀でていないと、この学校の価値が下がってしまうのです」
 
「秀でていないと」の言葉通り、恋は「優秀であること」が音楽における結ヶ丘の価値であると考えている。理事長が出した課題も、フェス優勝という点からすればそれに則って見える。だが、理事長は課題を出す前にこうも言った。
 

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理事長「葉月さん。気持ちは分かりますが、普通科の生徒がレベルがどうあれ、音楽に興味を持つのを止める権限はありません」
 
「レベルがどうあれ」……そう、彼女は必ずしも「優秀であること」を音楽に触れる条件とはしていない。音楽科というエリートコースを擁してはいるが、けして音楽を優秀な人間の占有物とはしていないのだ。
優秀かどうかを部活の条件としていないなら、理事長はなぜフェス優勝などというハードルを課したのだろう? 少し遠回りになるが、それを考えるために冒頭のかのんの様子を振り返ってみよう。
 
 

2.志と表現

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かのん「♪カフェオレ 焼きりんご~大好きさルルルル トマトも食べたい~」
 
今回冒頭のかのんはウキウキだ。ギターを鳴らしながら好きな食べ物について歌う表情は緩みに緩んでいるし、家族に接する様子は一日前の不機嫌さが嘘のよう。母や妹が驚くほどの変貌ぶりだが、人前で歌えない長年のトラウマを解決するいとぐちが見えたのだから無理もない。あまりにもゴキゲンなかのんの様子はすなわち、彼女の感じているあまりに大きな喜びの「表現」であると言える。
 

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表現というのは重要だ。誰もが絶賛する歌声を持つかのんが肝心な時に歌えない(表現できない)ばかりに試験に落ちてしまったように、素晴らしいものを持っていても表現できなければ価値は半減してしまう。
これは別にかのんの歌に限ったことではない。例えばかのんの幼馴染の千砂都は彼女のペットのマンマルが好きだが、その愛が相手に伝わるような「表現」はできていない。また可可はスクールアイドル部を認めない葉月への憤りを退学届や巨大リヤカーで「表現」しようとするが、それらはいずれも適切とは言い難い。
 

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理事長「ただし葉月さんの言う通り、音楽はこの学校の大きな誇りです。……課題を出します」
 
志はそれだけで尊ぶべきものではあるが、見合った「表現」を得て初めて輝くことができる。歌詞も曲もそれだけでは歌にならないように。スクールアイドルへの強い気持ちがあっても基礎体力無しにはパフォーマンスはできないように。であればただ音楽に触れるだけでは、あるいは優秀なだけでは結ヶ丘の少女は結ヶ丘の少女たり得ない。
音楽を誇りとする結ヶ丘の音楽系部活動に問われるのは優秀さと言うより、その誇りを、音楽を愛する心を「表現」できるかどうかなのだ。
 
だから理事長は葉月のようにスクールアイドルの活動を禁止こそしないが、闇雲に認めもしない。フェスで1位を取れというのは優秀さの査定のためではなく、誇りを表現するのがいかに難しいかを示した(これも見ようによっては「表現」か)ハードルなのである。
 
 

3.心を表す体であれ

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これまで書いたように、かのん達は優秀さというよりも自己の表現を求められている。自分達の中にある音楽への思いを表現するよう、求められている。であるなら今回後半で描かれる練習もまた、練習の一言で片付けていいものではない。それは表現の練習であるし、むしろこの練習自体が表現・・・・・・・でもある。
 

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千砂都の指導を受けながらの練習で、可可は実は運動が苦手で少し踊ればへろへろな自分をさらけ出す。それは前回の勧誘のように、気持ちばかりが空回りがちな彼女の性質と重なって見える。
かのんは自分ひとりで作曲するのではなく、可可の書き溜めた歌詞から受けた感銘を大事に曲作りをする。一部中国語のままのそれを「友達から出された宿題」として、慣れない辞書片手に奮闘する様には彼女の優しさがよく表れている。
 

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運動音痴や寝不足を顧みず(オーバーワークが心配だ……)可可やかのんが頑張るのはなぜか? 「フェスで優勝するため」というのはあくまで目標に過ぎない。
彼女達がそうまでするのは歌が好きだからだ。自分たちのその思いを「表現」するのにもっとも相応しいのがスクールアイドルだからだ。けしていい加減な気持ちでやっているわけではないことは、この2話を見るだけで一目瞭然に表現されている。
かのん達の懸命な姿は、それそのものが「表現」となってわたし達の心に突き刺さっていくのだ。
 
 

感想

というわけで「ラブライブ!スーパースター!!」の2話レビューでした。1話でレビューにした「歌うことはかのんにとって自己表現である」という見立てが土台になってくれたので、今回は前回ほどは悩まずに済みました。とりあえず他の部を作って~みたいな方法を採らないのも、それがやりたいことの表現としては不適切だからなんだな。
 

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それにしても、表情のころころ変わる可可とか眼鏡かけて作曲するかのんとかラップな千砂都なんかもかわいかったですが、現状ストーリーにほぼ関わっていないのに平安名すみれが残す強烈なインパクトが気になります。まだ全然キャラが掴めませんが、高速左右瞬きでただものじゃないことだけは表現されている。いやほんと一体どんな娘なのだ……8/8の3話を楽しみに待ちたいと思います。
 
 

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