マックスとフレイアの対比から見る「劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!」レビュー&感想

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(C)2021 BIGWEST/MACROSS DELTA PROJECT
3年の時を経て劇場へ帰還した「劇場版マクロスΔ 絶対LIVE!!!!!!」。本作にはシリーズを代表するキャラ、マクシミリアン・ジーナス(マックス)がゲストではなく主要キャラとして登場する。彼の登場から見えてくるものは、いったいなんだろう?
*ネタバレのためご注意ください。
 

 

1.老いてなお若々しき男の苦悩

言うまでもない話だが、マックスはマクロスシリーズを語る上で欠かせないキャラだ。初代の主人公・一条輝の仲間だが彼を遥かに上回る腕前を持ち、ゼントラーディのミリアと恋に落ちて初の星間結婚を遂げた歴史に名を残す天才パイロット。約30年後の「マクロス7」では超長距離移民船団マクロス7の長として登場したが、その際に話題を呼んだのは50歳近いはず彼の容姿が全く老いていないことだった。
 

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(C)1994 BIGWEST 「マクロス7」1話より
天才だから老けないのだそうだがこれは更に約20年後の本作でも続いていて、さすがに全く同じ容姿とはいかずとも70余歳とは思えぬ若々しさを保っている。訓練でも主人公のハヤテを圧倒し、その存在はほとんどやりたい放題とすら思えるほど――だが、本当に彼はそこまで自由な存在だろうか?
 
作戦準備を進める中、マックスはΔ小隊隊長のアラドに艦長の座は望んだものではなかったと明かす。人材の問題でやむなく受けたに過ぎず、本当の自分は永遠にパイロットなのだと述べる彼の言葉には、思いのままには生きてこられなかった後悔がにじみ出ている。
軍人としての華々しい経歴と手腕、子や孫にも恵まれ社会的には頂点を極めたとすら言える人生がしかし、もっとも欲するものは満たしてくれない。マックスのこの苦悩は、けして彼だけのものではない。同様の悩みを抱え選択を問われる存在、それは誰あろうフレイア・ヴィオンだ。
 
 

2.若くして老いる少女の苦悩

本作の始まり、フレイアは幸せの絶頂にいる。故国ウィンダミアと新統合政府の紛争は集結し、所属するワルキューレは停戦記念LIVEに招待され、種を超えて心を通わせていたハヤテからは愛の告白を受ける。これが物語の終わりであればどれほど幸せであろうと思えるほどの状況だ。
しかし突如として出現した敵勢力ヘイムダルとの戦いの中、短命種ウィンダミア人である彼女の老化は急速に進んでいく。倒れた彼女はもはや一人で立つことすら難しく、歌えば生死に関わる状況に陥ってしまう。
 
フレイアがライブを禁じられるのはその命を心配されるからこそだが、これは彼女にとって非常に悩ましい問題だ。今歌いさえしなければ、確かにフレイアは先に挙げた幸せを取り戻すことができる。ヘイムダルに焼かれたウィンダミアに再びリンゴの木を植えることも、残りわずかとは言えハヤテと家庭を築くこともできる。損得で言えばその方がずっとプラスなのは計算するまでもない。だがワルキューレで歌わなければ彼女は自分の本当の生を、本当の自分を失ってしまう。
 

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(C)2015 BIGWEST/MACROSS DELTA PROJECT 「マクロスΔ」25話より
老いてなお若々しいマックスと、(人間から見て)若くして老いに苛まれるフレイア。対照的な二人はしかし、合理的選択がむしろ本当の自分を遠ざけている点で全く同じ悩みを抱えている。
 
 

3.「一緒に生きる」とは

劇中でも言われる「本当の自分」……いささか面映い言葉だが、これをあなたはどういったものだと考えるだろうか。「自分の奥底にある、他人に影響されないもの」と答える人は多いかも知れない。それはきっと間違いではないが、十分ではない。
 
例えばマックスにとって本当の自分は先に挙げたようにパイロットだが、望んだものでないとはいえ艦長職を放り投げてパイロットに戻るなど許されることではない。本作で彼が再びパイロットに戻れるのは、負傷のためブリッジから指示を出していたアラド隊長が艦長を代行できると判断したからだ。つまり本当の自分が何かはマックスの中だけの問題だが、それを実現するには他者の存在が欠かせなかったのである。
 
「本当の自分」を実現するには他者こそが要る。ミラージュの天職(本当の自分)だった指揮官とは部下あってのものだし、ヘイムダルの奇襲で機体の破損したハヤテ達が再び飛ぶには同型機のカイロスの部品が必要だった。また母艦マクロスエリシオンと行動を共にしていなかったΔ小隊が役目を果たせたのは、新たな母艦としてマックスの指揮するマクロス・ギガシオンが来てくれたからだ。メタ的な部分まで目を広げれば、強過ぎるマックスを格落ちさせずに前線に出すには彼をサポートに回させる存在が、主人公が必要なのも同様の例として挙げられるだろう。
 
自分と他者は本質的に異なる存在で、しかしその他者がいるからこそ、一緒だからこそ自分というものは浮かび上がる。だからフレイアが悩んだ末に出した結論も「一緒に生きる」ことだった*1
ハヤテやワルキューレの仲間といった他者ありきの願いにこそ彼女は「本当の自分」を見出していた。それはフレイアの命を燃やし尽くす炎だが、同時に彼女に安心して生を全うさせる灯火でもある。ワルキューレの仲間がいれば、ハヤテや彼が助けたもう一人の星の歌い手のクローンがいればフレイアが「一緒に生きた」証は消えない。すなわち他者が見た本当のフレイアもまた消えない。
これは別に短命種だけの結論ではない。ハヤテの父ライトは彼には何も明かさず死んでいったが、ウィンダミアの神官ヨハンやアラド隊長といったライトを知る人からハヤテはその実像を教えてもらえた。一緒に生きた者達から、本当の彼を教えてもらえたのである。
 
最後にハヤテに肩車されて姿を現す少女もまた、彼やワルキューレを通じて本当のフレイアを知っていくことだろう。何より彼女自身、ハヤテとフレイアの選択によって「一緒に生きる」道を得られた存在なのだから。
シリーズ最古参の雄たるマックスと最新参の歌姫フレイア。二人を並べることで、本作はそのテーマ性を明瞭に描き出しているのである。
 
 

感想

というわけでマクロスΔ の映画その2のレビューでした。こう堂々と死をクライマックスに持ってくる作品も珍しいですね。安っぽいと感じる人もいるのかもしれませんが、避けられない話なのでむしろこれくらいでなければと思います。奇をてらってはいない展開もあって何を書いたのか迷ったのですが、マックスとフレイアが実は似てるんじゃないかという思いつきから掘り進めてみたらこんな感じになりました。あとレビューでは触れる余裕が全くありませんでしたが、やっぱりレイナはかわいかったなあ。
 
何をおいても全うした映画だったのだと、そう思います。ありがとうスタッフの皆様。そしてありがとう、フレイア・ヴィオン
 
 

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*1:TV版で美雲が「ワルキューレの皆と一緒に歌いたい気持ちだけは作られたものじゃない」と結論したのを思い出すとなお味わい深い