私と私を結ぶ時――「ラブライブ!スーパースター!!」11話レビュー&感想

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©2021 プロジェクトラブライブ!スーパースター!!
過去と対峙する「ラブライブ!スーパースター!!」。11話ではかのんが幼い時の自分と向き合う幻想的な場面が印象的だ。今回はこのシーンの意味を考えてみたい。
 
 

ラブライブ!スーパースター!! 第11話「もう一度、あの場所で」

ラブライブ!地区予選のステージで、その存在感を見せつけたLiella!は、無事予選を突破した。そんな時、かのんと千砂都の母校の小学校から、ぜひ「Liella!」に歌ってほしいという依頼がくる。承諾するも、気が重いかのん。その小学校のステージは、かつて、かのんが人前で歌えなくなるきっかけとなった最初の事件が起きたステージだったのだ。当時のかのんを知る千砂都は、改めてそのことをみんなに伝える――。
 

1.自分のことは分からない

今回レビューを書くにあたって、最初に触れておきたい言葉がある。
「自分のことは自分が一番よく分かっている」
……よく聞くがあまり信用できない言葉だ。病気を自己判断で甘く見て手遅れになるなどというのはよく聞く話だし、そんなに簡単に自分を理解できれば自己管理に悩む人などいない。自己評価は往々にして過大か過小で、かのん達も私達もその不正確さに大した差はない。
 

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恋「申し訳有りません!わたくし葉月恋、生徒会長ともあろうものが興味本位であのようなものを見てしまいまして……」
理事長「……なに言ってるの?」

 

理事長からの呼び出しを自分がちょっと大人向けのサイトを閲覧したせいと勘違いする恋は大げさにしても、思い込みで過度に自分と結びつける勘違いは多くの人が覚えがあるだろう。かのんが自分達の地区予選通過をサニーパッションからの連絡で知ったように、人は思った以上に自分が見えていないものなのである。
 
 

2.自分を見誤り始めたのは

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可可「異論を唱える人はいませんよ」
かのん「ええ!?」

 

人は思った以上に自分が見えていない。Liella!の中でもっとも自分が見えていないのは誰か?……もちろんそれは澁谷かのんであろう。その歌声で、その優しさで多くの人を魅了しながら、彼女の自己評価は時に卑屈なほど低い。ラブライブ!東京大会で課題が独唱と聞いた時も、自分が歌うとは考えてもみなかったほどだ。こうした自分を見る目の不確かさは小学校の合唱コンクールで歌えなかったのが始まりと思われていたが、実はそうではなかった。
 

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かのん「みんなが頑張って練習してこられたのは、歌うことが楽しかったからでしょ?」
 
回想される過去、かのんには張り詰めた様子は全く見受けられない。むしろ緊張する他の子達をにこやかに励ましていたほどで、これが数分後には歌い出すこともできず倒れる少女の姿とはちょっと思えないほどだ。しかし事実、彼女は歌えなかった。自信満々でステージへ上がろうとする直前になって初めて、彼女の心臓は大きく拍動した。そう、歌えなくなる前から・・・・・・・・・かのんは自分を見誤っていたのだ。
 
 

3.自分を他人のように見る

幼いかのんが自分の緊張に気付けなかったように、自分をきちんと捉えるのはひどく難しい。解決法としてもっとも一般的なのは、誰か他の人間に見てもらうことだろう。例えばダンスレッスンは千砂都が見ているからこそすみれや恋は自分のダンスのズレを厳しく認識できるし、またライブの下見で会場の小学校(かのんの母校)を訪れたかのんと千砂都は、互いに小学校の時の自分がどんなだったかを教えあった。
 

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かのん「ちぃちゃん、いつもここでダンスしてたよね」
千砂都「かのんちゃんだって、いつも歌ってたよ」
かのん「そうだっけ?」

 

このように他人の目から見た方が正確になる場合があるのは、そこに距離があるからだ。岡目八目の言葉もあるように、あまりにも近くにあるものは当事者にはかえって見えづらい。逆に言えば、距離さえ取れれば自分で自分を他人のように見ることもできる。
 

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すみれ「机ちっさ!」
恋「小学生ってこんなに小さかったんですね!」

 

小学校の教室を訪れたかのん達は、机の小ささに自分達もこんなに小さかったのかと驚く。数年の差という距離は彼女達に、幼い頃の自分をまるで他人のように見せている。この距離こそは、かのんが過去を克服するため必要な最後のピースだった。
 

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かのん「なんでだろう、怖いよ……」
 
1人ステージに立つ直前、電話越しの千砂都の言葉にかのんは幼き日の自分を幻視する。本当は緊張と恐怖に震えていたあの日の自分は、かつて誰も見つけてあげられなかったものだ。数年という距離によって、自分を他人のように見ることによって、初めてかのんは自分を見誤らずに捉えられたのだった。
 
そして、自分を他人のように見ることは視点に正確さを加えるだけでなく、もう一つの副産物を生む。元が自分であろうと、人は他人に対しては"寄り添う"ことができるのである。
 
 

4.私と私を結ぶ時

人は自分に寄り添うことはできない。同じ体なのだから当然だ。しかし幻視とは言え、今回かのんは過去の自分と現在の自分を他人のように分離することに成功した。そして分離したからこそ、もうひとりの自分に大丈夫と言ってあげることができた。「自分を客観視した上で思いやった」……そう形容してもいいかもしれない。それは感情からも理性からも離れきらない、一つの理想的な人間の姿だろう。
 
 

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かのん「大丈夫。大好きなんでしょ、歌……」
 
"寄り添う"ことは、餅を入れ過ぎたたこ焼きのようにくっついてしまってはできない。付かず離れずでなければ、それはできない。
過去の自分と現在の自分を結ぶことで、かのんはかつての自分を取り戻したのである。
 
 

感想

というわけでラ!ス!!の11話レビューでした。遅くなってしまってすみません。アバンや恋のボケを合わせて説明できるロジックが全然浮かばなかった上、そこからかのんの得たものにたどり着くのが更に難航。8回見てようやく光明が覗くも文章化に更に時間がかかったメイドラゴンSの11話ばりに頭がぐったりしております。いい話なのは間違いないのになかなかスッキリしないのは本当にもどかしい。
 
さてさて、5つの星達の物語も次回でひとまず最終回。可可が言うように既に最強にも思える彼女達に待ち受けるドラマはいったい、どんなものでしょう。
 
 

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