見失う波打ち際――「白い砂のアクアトープ」20話レビュー&感想

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©projectティンガーラ
惑いの「白い砂のアクアトープ」。20話では新エリアオープンを巡る慌ただしさの中でくくるの挫折が描かれる。今回はいかにして彼女の心が折れたのか辿ってみたい。
 
 

白い砂のアクアトープ 第20話「迷子のプランクトン」

新エリアオープンにむけて、膨大な量の仕事に追われるくくる。そんな中、空也から近くの海岸に野生のイルカが迷い込んだことを聞く。早速、様子を見に行くと、同じくイルカを見に来ていたおじいと鉢合わせる。その場で、もうすぐ「がまがま水族館」の解体工事が始まることを聞き、ショックを受けるくくる。しかし、気持ちの整理をする間もなく、諏訪から新たな企画を任されてしまい……!?
 

1.イルカとくくる

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くくる「ちっちゃいのに突然一人ぼっちになっちゃって心細いよね。わたしも同じだったから分かるよ」
 
20話は水族館の新エリアでの企画と並行して、もう一つの事件が起きる。イルカが一匹、近くの海に迷い込んでしまったのだ。
まだ子供のイルカが親と一緒でないのは死別の可能性もあるのではないか。祖父の推測にくくるは自分を重ねているし、群れからはぐれたイルカの状況が飼育員ではなく営業の仕事をしているくくると符号すると考える視聴者も少なくないだろう。その上で考えたいのは、イルカが海岸に来てしまっている点である。
 

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ウミやん「自然に外海まで戻ってくれたら一番いいんですけどねえ」
 
イルカが海岸にいるのがなぜ問題なのか?と言えば、はぐれていることもあるがあまり浅瀬に来れば座礁の恐れがあるからだろう。人懐こいと言われるイルカだが、いくら打ち解けようと陸に上がれば生きてはいけない。海岸の先、波打ち際を越えては生きていけないのだ。
 

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迷子のイルカは波打ち際を越える危険に晒されている。祖父にがまがまの解体工事を告げられる時のくくるもまた、波打ち際に立っている。波打ち際はイルカの危機であると同時にくくるとイルカのあやふやな境界線であり、ひいてはくくる自身が迎える危機の象徴だ。
 

2.波打ち際の定義

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波打ち際とは、言ってみれば陸と海の境界線だ。それも白と黒を常時明瞭に分けるようなものではなく、寄せては返す波によっていつも揺らいでいる。良く言えば柔軟、悪く言えば不安定。油断すれば簡単に踏み越えも踏み入られもしてしまう。分かりやすいのは櫂がいつもようにくくるとボクシングの真似事をする場面で、ここでの彼女の言動は彼女のものであって彼女のものでない。
 

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くくる「そばにいるのが当然だと思ってんでしょ、いなくなって初めて大事な存在だったなって気付くんだよ!」
くくる「はいは1回でいい!」
 
側にいるのが当然だと思っている……というのは自分をこき使う諏訪副館長への愚痴だが、これはくくるにとっての櫂の扱いに等しい。また「はいは1回でいい!」に至ってはそのまま諏訪副館長の直前の発言だ。忙しさや激しい感情に突き動かされる時、人は波打ち際に立つことが難しくなってしまう。
 
 

3.見失う波打ち際

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新エリアオープンに伴う激務の中、くくるの立ち位置はどんどんと怪しくなっていく。残業と早出で仕事の始まりと終わりがズレていくのはもちろん、仕事を抜け出してイルカを見に行ってしまった結果、諏訪からの叱責は彼と反りの合わない飼育部の伽藍洞部長との諍いまで誘発してしまったりする。溺れる夢を見るくくるの心は、陸から海へと波打ち際を踏み越えそうになっている。
 

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くくる「大事なプレゼンがあるんです」
その危うさを自覚するからこそ、くくるは自らを戒めようとする。諏訪に口答えもせず、伽藍洞から仕事外でイルカを見に行ってはどうかと提案されても遠慮し、新エリアで結婚式を提案する企画の仕事に集中――波打ち際に入るまいとする。だが、それはけして正解ではない。
 

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三浦「ティンガーラさんが魚を大事にされていることはよく分かりました」
三浦「このプランで魚が結婚式をするなら、とても幸せになれるんでしょうね」

 

くくるが苦心して作り上げた結婚式の企画書は、ウェディングプランナーの三浦の目に適うものではなかった。
けして声を荒げたりしない三浦の指摘は優しいが、企画書の問題点を的確に突いている。くくるの企画書はあまりにも魚の側に立ち過ぎていて、逆に人間の側への目線がない。フラッシュや誤飲による魚への被害など水族館と結婚式は実は非常に取り合わせが悪く、どちらか片方だけの立場でできるものではなかったのだ。両者の波打ち際・・・・に立つことこそ、この企画には必要だったのである。
 

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意気消沈したくくるは更に、自分がいくつもの"向こう側"のものを取りこぼしたことに気がつく。リハビリ中の身で来てくれた愛梨に会う機会を逃し、祖父から見ておいた方がいいと言われていたがまがま水族館は既に解体工事が終わって残骸を残すのみ。波打ち際に目を向けられず、また目を瞑る内に全ては過ぎ去っていた。「何のために?」と自問し答えられぬまま机に残された仕事は、くくるが見失ってしまった波打ち際そのものであった。
 

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波打ち際に立つことは危険で苦しい。しかし波打ち際を見失ってしまえば、海岸のイルカのように人もまた迷子になってしまう。ティンガーラに姿を見せぬくくるの心は、かくて折れてしまったのだ。
 
 

感想

というわけで白い砂のアクアトープ20話のレビューでした。遅くなってしまってすみません。終わりと終わらずがごっちゃになっているのでは……という感覚はあったのですがそれだけではボンヤリしているし、「どっちもごっこ遊び」は16話で知夢が既に通過している。明瞭かつ差別化できる「波打ち際」の例えにたどりつくまでなかなか全体を通貫する考えとしてまとまりませんでした。
 

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しかし諏訪副館長、初期の連絡不十分みたいな無茶は露骨に減ってきてたし、今回のプレゼン後に至ってはくくるを気遣ってすら見える。このまま初期をイレギュラーに軟化していくのかしらん。残り話数的にはこれが最後の問題になるわけでもなさそうですが、次回はどうなるんでしょうね。
 
 

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