離島の根っこ――「白い砂のアクアトープ」21話レビュー&感想

f:id:yhaniwa:20211126193801j:plain

©projectティンガーラ
彷徨いの「白い砂のアクアトープ」。21話では傷心のくくるが離島を訪れる。仕事を無断で休むほど元気を失った彼女が必要としているものは、いったいなんだろう?
 
 

白い砂のアクアトープ 第21話「ブルー・タートルの夢」

仕事が上手くいかず、さらに解体された「がまがま水族館」を目にしてショックを受けるくくる。翌日、無断で仕事を休み離島へと足を運ぶ。そこでウミガメの研究と保護活動をする轟介の妻・具殿岬と出会ったくくる。岬の仕事を手伝いながら、ウミガメの孵化を見守ることにする。一方、くくるのことが心配で仕事に集中できない風花。そんな中、飼育担当のケープペンギンたちに異変が起こり……。
 

1.千切れた目的

f:id:yhaniwa:20211126193822j:plain

©projectティンガーラ
目的もなく離島に逃げ出してしまったくくるは今回、ウミやんの妻である具殿岬と再会する。行く当てもないくくるに岬は泊まる場所を案内したりしてくれるが、一つ印象的なのはくくるに投げかけたこの台詞だ。
 

f:id:yhaniwa:20211126193836j:plain

©projectティンガーラ
岬「ちばって(頑張って)ダメなら休む、休んだら反省する。反省したらまたちばる。一度に全部はできないんだから」
 
「一度に全部はできない」……これは岬自身が体現していることだ。大学の准教授である彼女は研究のため離島におり、同じく仕事に夢中な夫のウミやんとほとんど会えていない。夫婦の共同生活と研究を一度に全部はできないから、岬は夫と離れて生活している。
 
振り返ってみれば、くくるが前回ぶつかったのもこうした「一度に全部はできない」苦しみでもあった。彼女がやりたいのは飼育の仕事だが配属されたのは企画広報であり、頑張って書いた水族館ウェディングの企画書では魚の保護と新郎新婦の扱いが衝突し、仕事に集中したためにくくるはティンガーラに来てくれた愛梨との再会やがまがまの解体工事に立ち会えなかった。
 

f:id:yhaniwa:20211126193858j:plain

©projectティンガーラ
くくる「何やってるんだろう、わたし」
 
離島に来てしまったくくるは自分で自分の行動を説明できない。それは、複数のことをやろうとして結局自分が何をしているか見失ってしまった現れなのだと言える。離島という地理自体が、彼女の心がその本島から千切れてしまった証なのだ。
 
 

2.離島の根っこ

f:id:yhaniwa:20211126193912j:plain

©projectティンガーラ
くくる「……なんか似てるかも、がまがまに」
 
自分が何をしているか見失ってしまったくくるは、逃げてきたなら楽しんだらという岬の助言を受け離島で何を目的ともしない時間を過ごす。昼近くまで寝たり、離島の水族館"かめはうす"を訪れたり……まるで都会に疲れた人間が沖縄を訪れたようなその様子は、つまり風花が1話で沖縄(がまがま水族館)を訪れた時ともどこか重なって見える。実際、くくるはかめはうすを見てどこかがまがま水族館に似ていると考えるし、そこに務める山原はくくるの祖父の弟子の一人であった*1
 
"重ねて見る"……これは前段で描かれたことを考えると少し奇妙だ。くくるの離島での姿やかめはうすは否が応でも風花やがまがま水族館を想起させる。一度に全部、複数のことはできないのが前段だったのに対し、ここでは逆に一つの物事から複数のことが想起されているのである。
 

f:id:yhaniwa:20211126193928j:plain

©projectティンガーラ
風花「わたし、生き物が辛そうにしてるとすごく胸が痛むんです。何もしてあげられないことがもどかしくて」
 
人は一度に複数のことはできないが、一つのことに複数の意味を持たせることはできる。風花は休んでいるくくるの代わりに手伝いを諏訪に申し出るがそれは彼女の仕事ではないし、離島にいると知ったくくるの所へ行こうとすれば知夢達に仕事の代行を頼まなければならない。一方、かめはうすで掲示されるお題を子供達が解くのはアイスが欲しいからだがそれは海の生き物に興味を持つきっかけになっているし、風花はペンギンのポーポーが怪我をしてしまった一件を通して自分がくくるに何をできるか考える。対象は一つであっても、子供達や風花は実質的に複数のことをしているのだ。
 
 

f:id:yhaniwa:20211126193942j:plain

©projectティンガーラ
岬や彼女のゼミの生徒が見守っていたウミガメの卵が孵化するにあたっては、離島内の多くの人がそれを見にやってくる。経済的合理性などなければ腹も膨れないのになぜ見に行くかと言えば、それを見て何か感じることがあるからだろう。ただの自分と関係ない生き物の誕生と切り離して終われない、自分と繋がる何か別のことを思い浮かべるからだろう。
バラバラの複数をただ抱えるのではなく、混同するのでもなく、それらが繋がる根っこのような"一つ"を見つけること。海の下の大地のようなそれこそはきっと、今のくくるに必要なものなのだ。
 
 

感想

というわけで白い砂のアクアトープ21話レビューでした。本物と偽物、波打ち際のこちらとあちら。そういうのをまぜこぜにするのでなく繋げるためのヒントが提示された回だったように思います。一口が主食と主菜両方の意味を持つ巨大スパムおにぎりなんかも同様の例に挙げられるかしらん。
ウミやんが奥さんとほとんど会ってない……という微妙にひっかかっていた話も回収された、上手な話運びの回でした。
 
 

<いいねやコメント等、反応いただけるととても嬉しいです>

*1:地味に12話にも登場している