明日は終わりの先――「白い砂のアクアトープ」12話レビュー&感想

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©projectティンガーラ
折返しを迎える「白い砂のアクアトープ」。12話ではがまがま水族館が閉館となるが、終わりを迎えるのはそれだけではない。いくつもの終わりが示すものは、いったい何だろう?
 
 

白い砂のアクアトープ 第12話「私たちの海は終わらない」

営業最終日、「がまがま水族館」には多くの客が訪れていた。その様子に満足げなくくるたちは、最後の思い出を作りつつ今日も仕事に励んでいた。たくさんの人の笑顔と賑わいの中、ちいさな水族館は閉館する。その日の夜、お互いの進路について話すくくると風花。彼女たちの決断とは……?
 

1.終わりの先の終わらない悲しみ

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轟介「みんな他の水族館で生き物を相手に働いてるさね。仕事を放り出して来るなんて、館長が許さないサ」
 
とうとう8月31日、閉館の日を迎えたがまがま水族館。だが終わりを感じさせるのはけして日付だけではない。無料開放の張り紙、くくるの祖父を労おうと駆けつける人々、空也への憧れに素直になる類少年……終わりの時でなければ見えなかった、見せられなかったものがこの12話にはあふれていて、それこそがくくるにも私達にもがまがま水族館の終わりを、あるいはこれまでの日々の終わりを実感させる。営業を終了し魚達を展示水槽から移動させた水族館が見せる姿はあまりに寂しく、終わりの静けさに満ちている。
 

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風花「よくないよ!くくる笑ってないもの、台風の後からずっと……」
 
言うまでもないが、終わりを迎えたものはその先へ進むことができない。人は彼岸のものを持っていくことはできず、しかし故にそれは愛おしくてたまらないものになる。くくるの胸に残る痛みはそういうものだ。閉館は避けられないと理解し、ここではもう魚達を守れないと納得してもなお悲しみの全ては取り払えない。いや、理解し納得したからこそその辛さが見えてもくる。終わりの先にこそ、終わりのない悲しみはある。……だが、それは悲しみだけに限ったものではないはずだ。
 
 

2.明日は終わりの先

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夏凜「あの時、諦めないくくるを見てわたしも挑戦してみようって勇気をもらったんだよ。ありがとう!」
 
終わりを強く感じさせるこの12話はしかし、同時に始まりの気配も強く内包している。夏凜はティンガーラへの転職を希望していることを明かし、櫂もがまがま水族館でのバイトはくくるの手伝いに留まらない胸に残るものがあったのか水族館の従業員に興味を示す。これらはむしろがまがま水族館が閉じる=終わるからこそ生まれてくる始まりであり、くくるの祖父が言うようにがまがま水族館が閉じても皆の未来は終わりではないのだ。
 

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星野「こちらも、水族館の仕事をよく知ってる人なら大歓迎デスネ!ウェルカムです!」
 
言葉遊びのようだが、「終わりがない」とは「終わりがある」からこそ生まれるものだ。くくるの祖父に教えられた水族館勤務の人々の中には彼の精神が終わらず生きているからこそ、生き物を放り出して手伝いには行けず閉館という終わりの時にしか駆けつけることを許されない。また館長代理を務めたくくるのキャリアは、がまがま水族館が閉館し終わりを迎えるからこそ他の水族館で終わりなく活かすことを求められる。
 

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風花「もう一人じゃないよ、わたしがくくるのお姉ちゃんになる!」
 
終わりの先にこそ、終わりないものはある。彼岸のものそのものではなくとも、人はそこから無限にも感じられるものを引き継いでいける。自分のアイドルの夢が終わった時の悲しみを知るからこそ風花がくくるが泣いていることを想像できたように。もう一つの母子手帳の意味を知らされ、がまがま水族館の閉館で自分と姉との関係の終わりを知ったくくるが、だからこそ風花と姉妹になれるように。沖縄と岩手に別れても終わらない二人の関係こそが、彼女達の夢を終わらせてくれるように。対極に見える終わりと終わらずは、むしろ分かちがたき関係にある。
 

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終わりは、ただの行き止まりではない。くくるの祖父が皆に贈った工藤直子の詩を、僕もまたここで引用しよう。
 
「おわりのない海」 工藤直子
ひとの心にうまれた
塩からい海は
あふれつづけて おわりがない
海はすべてを溶かし込み
海は 海のままである
 
喜びのしぶきは溶けて  海になる
悲しみの固まりも溶けて  海になる
おどろきも  おそれも
恥じらいも  誇りも
すべては溶けて海になるばかり
 
ひとは  ふところの
そんな海を  のぞきこむと
なぜか  ほっとする
なぜか  ほっとして  思う
《また あした》

 

あらゆる思いはいつか終わり、しかしその先の何かに終わることなく続いていく。今日が終わらなければ明日は訪れず、日々は終わりなきものにならない。

 

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《また あした》は今日と明日を、終わりと終わらないものを繋げる魔法の言葉なのだ。

 
 

感想

というわけで白い砂のアクアトープの第1クール最終回のレビューでした。結論自体はだいたい昨晩出たのですが、実際に文章でそこまでたどり着くのにちょっと出力不足で時間がかかった感じ。最終回でも良さそうな終わりの一コマであり、同時に終わらないというところが12話自体で描いているものとも重なる所なのかなと思います。
さて、2クール目は社会人になったくくるが描かれるようですがどんな出来事が待っているのでしょう。
 
 

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