縁の糸は時を越える――「平家物語」8話レビュー&感想

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©️「平家物語」製作委員会
逃げ切れない「平家物語」。8話冒頭、びわ祇王と仏御前の庵を訪れる。二人が既に亡くとも、そこは彼女にとって思い出深い場所だ。縁の糸はたやすく切れはしない。
 
 

平家物語 第8話「都落ち

清盛の死を受けて動揺する一門を離れ、母探しの旅に出たびわは、各地で平家と源氏の戦の状況を耳にする。
奮闘する知盛や重衡らを尻目に、頭領の宗盛は京で宴三昧の日々を送っていた。
源氏側につく者が増えるなか、維盛は木曽義仲に大敗を喫し、引き返せないほど精神的に追い詰められていく。

公式サイトあらすじより)

 

1.切れない縁の糸

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©️「平家物語」製作委員会
老婆「越後?」
びわ「ここからいくつも山を越えた先だと聞いておる」

 

前回平家から追い出される形となったびわは京を離れ、母を探す旅に出る。向かう先は越後、道中の人は名も知らぬ遠き場所……しかしそれは彼女の源平の戦からの解放を意味しない。そこを治め越後平氏と呼ばれていた城資永は源氏の軍勢を討ちに出立しようとしたところを平家悪行の報いとして祟り殺され、その側室であったびわの母と思しき女性は越後を去ってしまっていた。
 

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僧「資永殿が亡くなられた後越後を去られ、京に戻られたと聞いておるが……」
 
徳子はびわが去ったのを寂しがりながらも自分達と関わらぬ方が彼女の幸せではと考えていたが、直接言葉を交わさずとも平家との縁は、源平の争乱はびわの越後行をまるまる無駄足にしてしまった。母と思しき女性が向かった先は京――結局びわは、そこへと戻っていくことになる。
えにしを切って離れたはずなのに戻ってきてしまう、引力のようなこの働きは、びわだけでなく今回の平家の動向を考える上で欠かせない要素でもある。
 
 

2.変われども変われず

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清経「兄上は富士川の戦いとは人が変わったようなご活躍で、越前の燧ヶ城を落とされたとか!」
 
平家が京の都を追い落とされる今回は主に2つの戦が語られる。1つ目は墨俣川の戦い、2つ目は倶利伽羅峠の戦い。前者は口頭でしか触れられないが、重要なのはそれが重盛の嫡男・維盛にとって勝ち戦であったことだろう。髭を伸ばし軍儀に加わり、また宗時の宴会三昧を嘆くなど彼はもうすっかり平家の武将の一角を占めている。戦いもせずに夜襲で負けた富士川の戦いとは人が変わったようなご活躍だと弟の清経が称えるのももっともなことだ。
だが、「人が変わったような」とは当然ながら本当に人が変わったことを意味しない。維盛は舞ではなく戦に向かうにあたって化粧をするが、これは彼がいまだに公家気分であるといった類のものではない。維盛は化粧をすることで自分を装っているのだ。平家の武士として相応しくあろうと自分を鼓舞しているのだ。
 

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維盛「不意打ちだ!みな戦いに備えよ!」
 
確かに維盛は墨俣川の戦いで頼朝に一矢報いた。しかしそれで事態が一気に逆転したかと言えばそんなことはなく、今度は頼朝の従兄弟である木曾義仲が兵を挙げ攻めてくる。彼は平家の衰勢を断ち切れたわけではない。
そして義仲と対峙した倶利伽羅峠の戦いで維盛を待っていたのは、まるで富士川の戦いを再演するかのような夜襲による大敗であった。前回の話が描いたように原点とは時に泥沼となるものであり、覚悟を決めても力を磨いても維盛は結局そこに戻ってきてしまったのだ。
 

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維盛「あれは……地獄だ!」
 
平家の弱体化をさらけ出した富士川の戦い、手勢の大半を失った倶利伽羅峠の戦い。劇中で描かれる維盛の戦いはいつも平家の没落を象徴してしまい、彼は滅亡の糸筋を切ることができない。敗走する維盛が言う地獄とは夜襲の牛に追い立てられる惨めさではなく、追い立てられた平家の兵を飲み込む崖のように口を開けた滅びのさだめのことなのである。
 
押して駄目なら引くのは世の常だ。義仲の京攻めを前に平家は戦略の転換を余儀なくされる。今回の副題でもある"都落ち"である。
 
 

3.縁の糸は時を越える

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徳子「ここでなくてもいい、帝と二人、静かに穏やかに暮らせるのならそれで……」
 
義仲とそれに味方する比叡山の兵、悪くすれば頼朝の軍まで攻めてくるかもしれない状況に、平家一門は京を離れることを決意する。西国の味方を糾合し態勢を立て直そうという頭領・宗盛の考えも、京を離れても天皇がいるところが都だという徳子の思いもけして誤りではない。だが問題なのはこれが力不足・・・であることだ。
 

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後白河法皇「平家と一緒に福原ぁ!?この鞍馬寺で匿ってくれ」
 
平家は都落ち安徳天皇三種の神器を伴うことには成功したが、後白河法皇にはこっそり逃げ出されてしまった。安徳天皇が正当な天皇の資格を備えているとはいえ、まだ笛を食べ物と勘違いするような幼子は実際的な権力を持ち得ない。頼朝に院宣を下したように法皇が義仲に平家追討のお墨付きを与えるのは目に見えている。
 

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時子「清盛様が築いた福原がこのように荒れ果てておるとは……」
 
また京を離れ最初に向かった福原は3年の間に荒れ果て、とても居を構えられるような場所ではなくなっていた。清盛の夢をかけた場所すらもはや安息の地とはなってくれず、宗盛は更に太宰府へ行こうと決める。
 

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徳子「太宰府……それだけ離れれば義仲も追っては来ないでしょうね」

 
太宰府まで行けば義仲も追っては来ないだろうという徳子の言葉は象徴的だ。彼女は、いや平家はどうにかして滅亡への縁を断ち切ろうとしている。武力で為せないなら離れれば縁の糸が切れるのではないかと願っている。しかし義仲との縁が切れる(追ってこない)のと衰勢の縁が切れるのは同義ではない。この都落ちはその縁の糸を切るのに「力不足」なのである。
 
かつて福原の浜辺で笛を吹いたことが清経には遠い昔のように感じられても――時間としての距離が彼方のように感じられるほど離れても、その縁の糸は切れていない。京や福原を発つ時に平家が建物に放つ火は、甘い夢との別れであると同時に彼らを滅亡へ追い立てる炎でもある。
 

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一方、平家の支配から逃れたはずの京では義仲の兵が平家同様の狼藉を働き、またそれを止めようとしたびわはまたも歴史上の人物との縁を結ぶ。びわの目にするものはまるでかつての"語り直し"であり未だ彼女と平家の人々の縁が切れていない証拠だが、それだけに留まるものでもないだろう。
 
平家物語は数百年に渡って物語が語り直されてきたし、歴史は平家物語が言う盛者必衰の理を幾度も語り直してきた。数百年が経った現代日本すらこの理を語り直している状況にあり、ならば原点である原典・・から離れているはずの本アニメもまた語り直しの中に――無間の泥の中にあるのは当然なことだ。遠い昔に平家がたどった縁の糸は、今を生きる私達の指にも結ばれていることをこの物語は教えてくれる。
 

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どれだけ遠くへ離れようと、どれだけ時が経とうと人も世も同じところに戻ってきてしまう。縁の糸だけは誰にも断ち切ることはできないのである。
 
 

感想

というわけでアニメ平家物語の8話レビューでした。維盛を通して富士川の戦い倶利伽羅峠の戦いをオーバーラップ=語り直させるのが構成の妙ですね。11話という短い時間もむしろ芯の太さになっているし、城資永の急死といった不思議な出来事も当時の信仰だとか単なる因果応報を超えた必然性を伴って配置されている。辛い気持ちばかり強まっていきますが、残り3話どうまとめる感じになるのかしらん。
 
 

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