物語は再会の場所――「平家物語」9話レビュー&感想

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©️「平家物語」製作委員会
再び集う「平家物語」。9話ではますます追い詰められていく平家と、苦しみながらも一筋の希望を見つけるびわの姿が描かれる。時間も空間も離れたびわが平家に寄せる思いは、私達が寄せるそれとも軌を一にするものだ。
 
 

平家物語 第9話「平家流るる」

京を捨てて西に逃れる平家一門。入れ替わりで源氏の白旗がはためく京に戻ってきたびわは、静御前らとともに丹後をめざす。
 
後白河法皇後鳥羽天皇を擁し、かつて重盛に仕えていた者たちも次々と源氏側に寝返っていく。
 
福原を落ち、大宰府からも拒否され、疲弊しながら歩き続ける一門は、とうとう海まで追いやられる。

公式サイトあらすじより)

 

1.抜け出せない原点の泥沼

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©️「平家物語」製作委員会
緒方「どうか、太宰府からはお立ち去りを……!」
 
平家一門の都落ちを描いた前回は、どれだけもがきあがこうと同じところに戻ってきてしまう人の世の縁を描いた回であった。勤めを果たそうとも敗軍の将から逃れられない維盛、京と福原で繰り返される焼尽……盛者必衰が理だと言われるように、人は自分の原点(になってしまったもの)から逃れられない。この苦しみは今回更に皆の背にのしかかってくる。
 

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©️「平家物語」製作委員会
宗盛「緒方殿は元は重盛の兄上に仕えておったなあ……」
 
徳子を始めとした平家の人々は太宰府まで行けば安定を取り戻せると考えていたが、それは淡い期待でしかなかった。近辺の住人である緒方惟栄が平家追討の院宣を受け、大宰府を攻める兵を集め始めたのだ。しかも元を正せば緒方は平家、それも亡き重盛に仕えていた人間であった。
 

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©️「平家物語」製作委員会
清経「歩く……?いつまで歩けば、どこまで……」
 
もともと敵対していた人間に限らずどころか、かつて自分達に従っていた者達までもが裏切り源氏に味方する。誰も彼もが敵になりどこもかしこもが安住の地とならない――緒方の裏切りや大宰府落ちもまた、前回示唆された"同じところに戻ってきてしまう"さだめであり、都から遠く離れてもやはり平家はそこから逃れられていない。だから清経は絶望してしまうのだ。この繰り返しから逃れられない現し世にもはや希望を見出だせず、入水を選んでしまう。
 

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©️「平家物語」製作委員会

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投げ出した身が海に沈む直前、飛び去る鳥を目にした清経は微笑む。翼を持ちどこへでも飛んでいけるそれは、"同じところに戻ってきてしまう"さだめからも解き放たれた自由の象徴だからだろう。……だが、本当に清経は同じところへ戻ることはなくなったのだろうか?
 

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©️「平家物語」製作委員会
びわは未来を見るその目によって、時も場所も異なりながら清経の死を今この時のものとして受け止めている。清経の死はもちろん歴史上で一度だけだが、びわ、そして私達が目にするそれはけしてたった一度のものではないのだ。清経は何度も死んでいる。同じところへ、戻り続けている。
 
 

2.びわと浅葱の方

人は"同じところに戻ってきてしまう"さだめからけして逃れられない。だが、それは私達の生が単に虚しいものであることを意味するのだろうか?
 

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びわ「見えていたのなら、なぜ会いに来てくれなんだ」
 
びわは今回、ついに生母・浅葱の方と対面する。視力を失いながらもびわの姿は見えていたという彼女に、それならなぜ会いに来てくれなかったのかとびわは不満を口にするが、これはけして浅葱の方だけの問題ではない。見えるからといって何かできたわけではなかったのは平家に対するびわも同様であり、つまりこの母子は遠く離れた場所にいながら同じ苦しみを抱いていた。同じところに戻っていたのだ。
 

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びわ「どうか、どうかお達者で」
 
同じところに戻るさだめが故に、びわと浅葱の方の再会は母子が共に暮す結末を迎えない。自分の本名こそが浅葱と知ってもびわは己をびわと規定するし、再会によってびわが平家の運命を変えられるわけでもない。しかしだからと言って再会が無意味なわけではなく、何もできずとも祈っていた浅葱の方の姿はびわに大きな影響を与える。どうか安らかに、どうか静かにと祈る浅葱の方の姿を自分の身に置き換えた時、びわのそれは己のびわを弾くことであった。
 
共にあらずとも同じところに戻る。びわが得たこの示唆を果たす者はもう一人いる。今回命を落とすもう一人の平家の人間、敦盛である。
 
 

3.物語は再会の場所

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資盛「あいつと同じ船でなくて良かったのか?」
敦盛「清経殿は何やら、お人が変わられたようで……」

 

敦盛は清経と仲が良かった。共に笛を好み、戦となれば共に潔く戦おうと誓いあってもいた。けれど都落ちしてからの清経は明るさを失い、敦盛と意気投合とは言い難くなってしまった。苦境にあっても武士としての面目を重んじる敦盛と裏切られる道徳に絶望した清経は共に笛を吹くこともなく、そして清経は入水。彼が命を絶ったその時、二人の道は決定的に別れてしまったと言える。
 
 

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引き上げられぬ亡骸のように、どれだけ手を伸ばしても届かないところへ離れてしまった清経。しかしそれでも、彼との誓いが敦盛の胸の中から消えてしまったわけではなかった。敗走の中、危険を冒しても敦盛は形見の笛を取りに戻らずにはいられなかった。
 

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敦盛「誓ったのだ、誓ったのだ。私は武士として立派に……」
 
帰路、船まであと少しというところで源氏の熊谷直実から挑まれた敦盛は、武士としての面目のためわざわざ踵を返して彼と戦い敗北する。相手が少年と知り助命を考えた直実に早く首を取るよう言い命を散らす敦盛の歩んだ道は、自ら死を選んだ清経とはやはり全く別のものだ。しかし清経も敦盛も、命を落としたその身が海に沈んでいったのは同じではなかったか?
 

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敦盛「誓ったではありませぬか。これからは我らが戦うのだと。雄々しく、潔く戦いましょうと」
 
敦盛の胸の中には、いつも清経との誓いがあった。雄々しく潔く戦おうと語り合った彼の姿があった。清経の心が折れ道が別れてしまったとしても、敦盛にとってそれは自身が誓いを破る理由にはならない。裏切りに打ちのめされた清経は誠実さや実直さは意味を為さないのかと嘆いたが、それは敦盛の中にこそあった。分かれたはずの二人の道は、それでもやはり"同じところに戻って"いたのだ。
 

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©️「平家物語」製作委員会
沈む敦盛の亡骸と入れ替わるように、海を二羽の鳥が飛ぶ。分かれたはずの清経と敦盛が再会を喜んでいるかのように、それは飛び去っていく。
 
人と世界はどれだけ時が移ろうと同じところに戻ってしまうもので、それは時に私達をひどく絶望させる。清経も敦盛も異なる道を選びながら、待っていたのは共に若くして命を落とす運命でしかなかった。
しかし、戻ってしまうからこそ再び交われるものもある。清経と敦盛が再会したように。浅葱の方の祈りがびわの道標にもなったように。……びわのような"無名"の語り手達によって紡がれたこの物語によって、私達が当時の人々を知ることができるように。同じところに戻るからこその救いもまた、存在するのだ。
 

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びわ「そなたらのこと、必ずや語り継ごうぞ」
 
物語とは"同じところに戻る"ための、時間も空間も飛び越えた過去との再会の場所なのである。
 
 

感想

というわけでアニメ平家物語9話のレビューでした。本文には入れそびれましたが、鹿が通れるなら馬も通れるだろうと義経が考えるのも"同じところに戻る"一環ですね。
年若の2人から命を落とすしんみりせざるを得ないお話を友情で繋ぐ様がなんとも切ない回でした。義仲の描写も全体にあっさりしているからこその悲しさがある。
びわは既に結論にたどり着いた感もありますが、そこから残り2話どんな内容にするのか。見守りたいと思います。
 
 

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