"1組"から"一組"へ――「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」2期3話レビュー&感想

私を知るための「ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」2期3話。一緒にステージに立とうと意気投合したかすみ達4人はしかしなかなか準備が進まない。上手く行かないのは、彼女達の息が"合い過ぎている"からだ。
 
 
かすみ、璃奈、彼方、エマの4人は一緒にステージに立つと意気込んだのは良いものの、ソロで活動してきた4人はバラバラのまま。YG国際学園との合同ライブまで残された時間は少ない。そこで璃奈は一人ずつやりたいことを発表するためのお泊り会を提案する。しかし、好き好きにやりたいことを言い合うだけの夜が続き、4人の意見は一向にまとまらない。
一方、侑は補習の最終課題として作曲をすることになり、苦悩していた。相談したミアからは、求められるものに応えればよいだけと忠告を受けるが……。

公式サイトあらすじより)

 

1.4人≠1組

かすみ、璃奈、彼方、エマの4人のユニット"QU4RTZ"のライブと侑の作曲の2つが課題となるこの3話、大事なことはストレートに台詞で表現されている。
 
彼方「実はみんな人のことはよく見えてて、自分のことは見えてなかったりするのかなあって」
 
何かを正確に把握するには、自分だけでなく他人の視点が欠かせない。含蓄に富んだこの発見が3話の宝物であるわけだが、ここで考えてみたいのはかすみ達がこれを後半までできなかった理由だ。1人ではなく4人おり、他者の視点は持ち得たはずなのに見ることができなかったのはなぜだろう?
 
4人「いざ!合同ライブーー!」
 
冒頭のランニングやステージ内容を決めるためそれぞれの家に泊まる"合宿"の実施など、今回のかすみ達4人は気合が入っている。嵐珠が本心を明かせる状況を作ろうと目的意識を持って集まったのだから当然だろう。やりたいことはバラバラでも、彼女達の思いは一つにまとまっている――そう、まるで一人の人間・・・・・のように。
 
かすみ「ぜんっぜん気持ち揃わないじゃないですか~……」
 
かわいさ、着ぐるみ、バーチャル空間、睡眠……個性的なかすみ達のやりたいことがバラバラでまとまらないのは当たり前ではあるが、こうしたことはけして複数の人間だから起きるものではない。例えば私は下手の横好きでプラモデルを作る時、キットをどう仕上げるかあれこれと考える。金属的な光沢あふれる塗装にしようかとか、逆にサビや汚れを付けてミリタリーテイストにしてみようかだとか、同じキットであっても全然異なる方向の案が浮かぶことは珍しくない。そう、私は一人だがこの時頭の中で、A案がベストいやB案がいいと複数人のようにバラバラでまとまらない考えが飛び交っている。異なる意見の存在自体はけして集団の持ち味ではなく、そこで止まってしまうなら集団は一人と変わりはしないのだ。かすみ達が陥ってしまったのは、4人で悩んでいるようで実は1組・・でしか悩んでいないという落とし穴であった。
 
 

2.悩める少女のシンクロニシティ

4人「はぁ……」
 
かすみ達が陥った、『複数の人間で考えているのに1人で考えるのと変わらない』という罠。これが厄介なのは、悪い意味で他人が自分になってしまう点だ。先に引用した彼方の台詞から見えるように、人は他人のことはよく見えていても自分のことは見えにくい。仲間意識の強さや目的意識の統一は大切なものだが、使い所を誤ればそれは他人をわざわざ見えにくい自分に押し込んでしまう弊害も招く。
 
息というのは全く合わなくても、合い過ぎてもいけないもの。会議や相談がどん詰まりになってしまう時とはつまり、皆自分と同じ意見しか出ずそれが突破口を開けていない時だ。故にこういった時には、本来全く合わないはずのものをぶつけることがブレイクスルーのきっかけになる。
 
侑「はぁ……」
 
同好会の一員にして音楽科へ転科した侑は今回、問題を抱えていた。補講の最終課題で作曲を求められ、留学で同じく補講を受けていたミアからは「求められたものに答えれば良い」と助言されるが全く案が浮かばず、行き詰まっていたのである。
 
9人「大丈夫ですか!?」
侑「えぇ!?」

 

侑の抱えた問題は学科の問題であり、スクールアイドル同好会とは全く関係ないものだ。彼女がミアに相談しても同好会の皆に話していなかったのは自然な成り行きではあるだろう。話題としてこれは"息が合っていない"。だが劇中でこれを皆が知ることとなったライブ4日前は違った。にっちもさっちも行かなくなってしまったかすみ達と侑達は、全く別の問題でありながら悩んでいることだけが一致していた。その瞬間、そのことについては息が合っていたのだ。侑が悩んでいるのを知って同好会の他の面々が全く同時に反応する様子は、これがある種の奇跡であることを如実に示している。
 
璃奈「わたし達もそうなのかな?」
 
『複数の人間で考えているのに1人で考えるのと変わらない』……多くの集団はこうした状況に陥るが、物事にはたいてい対の存在がある。すなわち『1人で考えていたのに複数の人間が同じように悩んでいる』ことだって世の中にはままある*1。そういう時、人は同じように悩んでいた他人を通して自分を見つめ直すことができる。侑の悩みを考えたことはかすみ達にとって、『他人を自分にしてしまう』のではなく『自分を他人のように見る』絶好の機会であった。
 
 

3."1組"から"一組"へ

侑を通して『自分を他人のように見た』結果、かすみ達が得た気付き。「みんな人のことはよく見えてて、自分のことは見えてない」……これがなぜ嵐珠へのメッセージになり得るのか? それはこれが単に人の習性ではなく、組織論の性質を持っているからだ。
 
かすみ「わたし達4人だからできることって、なんなんでしょう……」
 
今回かすみ達のぶつかった問題からも見えるように、集団(組織)というのは加減が難しい。全くバラバラでは1期初期のように分解してしまうし、逆に一体感が強過ぎれば今回のかすみ達のように硬直してしまう。集団とは個の集まりであるから、個が失われればそれはもう1個の生命と変わらない。"1組"では駄目なのだ。
 
エマ「伝わったかな、嵐珠ちゃんに」
かすみ「きっと伝わってますよ!」

 

かすみ達は自分の美点を認識していなかった侑の例から、仲間とは自分では気付けない自分を教えてくれる存在なのだと気付いた。集団における他者とは単なる別存在ではなく、自分を映す鏡となる存在なのだと気付いた。自己主張の強いかすみの仲間思いな一面、マイペースな彼方の世話好きな一面、感情を顔に出さない璃奈のリーダーシップにあふれた一面、優しいエマの芯の強い一面……この時彼女達はバラバラではなく、しかし4人が4人のまま混ざり合っている。孤独ではなく包摂された個が、"1組"ではない"一組"としての集団がそこにはある。
かすみ達のユニット"QU4RTZ"はこの3話を通して、個を殺すのではなく発展させる集団像を体現した。個を重んじ孤高であろうとする嵐珠に対して、集団はむしろ個を助けるものだと温かなメッセージを送ることに成功したのだ。
 
侑(どこに向かうかまだ分からないけど。面白そうな未来が待ってると笑い合えるみんながいれば、わたしは……!)
 
個と集団、多様性と統一性はけして対立するものとは限らない。むしろ対照的だからこそそこには化学反応が起き、未知なるものが生まれる苗床になる。
新しい可能性とは、正反対のものが混ざり合うところにこそ生まれるのである。
 
 

感想

というわけでニジガク、アニガサキ2期3話のレビューでした。うわー、複雑な話だった。「鏡はあなたを一人にしない」とか「私は私しかいない、だから鏡が必要」とか色々考えたんですがなかなか結論に足りるパワーがなくて、かすみ達が4人で悩んでいるようでそうではないのでは……?というのを出だしに書き始めてようやく自分なりに答えが出せました。なんというか、私がアニメレビューを書く時に使う弁証法そのものとして捉えられる話だな。
 
多様性という言葉がむしろ他人を拒絶するために使われるようになった昨今(「多様性が大切なんだ、異なる意見を認めろ」と言いつつ自分は相手を理解するつもりがない)、心に留めて置きたいことが描かれていたように思います。もちろんこれは他人に対してではなく、自分にこそ念じておくべきことです。
 
1期は「自分を他人のように大切にすることで、他人を自分のように大切にできる話」だったのに対し、2期は「自分を他人のように見つめ直すことで、他人を自分のように見つめ直すことができる話」と言えるように感じました。今後が楽しみです。
 
眼鏡っ子はどこ?って探したんですがちょうど隠れててしょんぼり。
 
 

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*1:これを厄介に感じるからこそ、異議申し立てへの反発は自己責任論を始めとして「これは個人の問題に過ぎない」と1人を1人のまま封じ込めようとする