宇宙の中の自分、無限の中の有限――「プラネテス」16話レビュー&感想

彷徨いの「プラネテス」。16話は事故で宇宙を漂うこととなったハチマキが「俺を見つけてくれ」と叫ぶところから始まる。これは彼が自分を見つけるまでのお話だ。
 
 

プラネテス 第16話「イグニッション」

デブリ回収中の事故で、ハチマキは単独で宇宙に放り出されてしまう。なんとか無事に戻りメディカルチェックを受けることになるハチマキ。最初はピンピンしていたのだが、最後のチェックで感覚遮断室に入ると様子が一変、パニックを起こしてしまう。宇宙飛行士には致命的な病気、空間喪失症だ。リハビリのため何度も感覚遮断室に入るハチマキだったが…
 

1.空間の喪失は、自分の座標の喪失

ハチマキ「なんともないってさ」
一同「え?」
ハチマキ「いやあお医者もビックリ!ほとんど被曝してねえの」

 

主人公・ハチマキの船外作業中の遭難という緊迫した状況から始まった今回だが、肉体的な危機は後腐れもなく終わる。稀有なことに彼は放射線や超光速粒子の影響をほとんど受けない場所におり、状況からすれば考えられないほど健康そのものだったのだ。あっけらかんとしたハチマキの態度に、心配して損したとばかりにフィーが怒るのも無理はない……そう、今回のハチマキはズレて・・・いる。世界一般の因果だとか確率だとかいったものから自分が切り離されたかのような心地でいる。直後のテストで彼は遭難の結果、宇宙空間同様に五感の遮断される感覚遮断室でパニックを起こす「空間喪失症」なる心の病気を患っていると診断されるが、これは実は診断前の描写からも自明なことであった。ハチマキはいわば世界における「自分の座標」を見失っていたのである。
 
医者「やはり『空間喪失症』だ……」
 
ハチマキは当初パニックは疲労などによるものに過ぎないと診断を受け入れようとしなかったが、二度目のテストでも同様の結果に陥り病を認めざるを得なかった。病の治療には、自分が病気であるとの認識が欠かせない。自分がどういう状態にあるか認識すること――それは自分の座標を知るための最初の一歩である。
 
 

2."自分の問題"の限界

自分がどういう状態か知ることで、人は自分の座標を知る第一歩を踏むことができる。では、続く第二歩はなんだろう?
 
もう一人のハチマキ「感じたんだろう?放射線の嵐を漂いながら『くたばるかもしれない』って。でも本当は救われる気分だったろう?」
 
自分が心の病にあると認め、治療を受けたハチマキは繰り返すテストの中で、感覚遮断室の中で幻覚を見る。幼き日の自分、これまで自分が見てきたもの、そしてもう一人の自分……これらの中で特に注目したいのはやはり、もう一人の自分がハチマキに突きつける己の心の奥底だ。
 
もう一人のハチマキ「そうだ、お前の病はお前が望んだんだぜ」
もう一人のハチマキ「夜空の輝きを見上げながら『あの病気さえなければ今頃俺は……』そう言える権利をお前は欲したんだ」

 

もう一人のハチマキは言う。お前は自分の宇宙船を手に入れる夢の途中に安住したがっており、本当はもう諦めているのだと。この心の病は自分自身が望んだものであり、夢の途中のまま諦める言い訳に過ぎないのだと。そんなもう一人の自分にハチマキが頭突きを見舞うのは、それを否定できない証明である。
 
 
私達は多かれ少なかれ自分の心に嘘をついている。それはけして恐怖や憎悪に限ったことではなく、好意や親しみにしても同様だ。ハチマキは長らく、自分のタナベへの恋愛感情を認めていなかった。嘘をつく対象になり得る点で、両者に本質的な違いはないのだろう。
どんな思いであろうと、目を背ける限り人はそこから動くことができない。堂々巡りの中から抜け出せない。幻覚の中でもう一人の自分に見舞った頭突きが出口の案内板の破壊であった事実は、ハチマキに自分の内心と現状での回復の見込みのなさを知らしめるに十分なものだった。
 
人は心に嘘をつく事で自分という存在を固定している。しかし本当は固定しているつもりになっているに過ぎず、嘘をつき続ければ自分がどんなものか分からなくなってしまう。だからそんな時には嘘をつくのをやめ、自分を偽りの形から解放してやらなければならない。己の本心を知ることは自分の座標を知るための次なる一歩だ。そしてハチマキがいまだ回復していないように、それは必要であっても十分ではない。己の本心を知るだけでは、自分の座標を知るにはまだ足りない。
 
 

3.宇宙の中の自分、無限の中の有限

状態を知り、本心を知る。これまでハチマキが行ってきた治療は全て己に対するものだ。自分の座標を知るためのものなのだから当然と言えば当然ではある。だがそれだけでは回復には手が届かない。解決には第三歩が要る。
 
フィー「作業中のクルーをロストしたのは船長のあたしの責任だ。通信途絶はプラズマ流の天象予報から予測すべきだったし、タナベだけじゃなくハチマキにも仕事の中断を徹底すればよかったんだ……」
 
フィー「元はと言えばあんたが目標デブリとの一時遭遇を逃して深追いしたのが原因だろう!?しかも命綱まで勝手に外して……!」
 
本稿の最初ではハチマキの座標のズレを指摘したが、実はズレていたのはハチマキだけではない。彼の乗るデブリ回収船ToyBox2の船長であるフィーは当初、事故原因を過剰に自分に帰責していた。太陽フレアによる通信途絶は予測できたし、作業の中断ももっと徹底指示できたはずだ……と。同僚のユーリが予測の困難さや暴露時間の少なさを冷静にフォローしても、彼女の心は軽くならなかった。事故の原因についてこの時、フィーもまた自分の座標を見失っていたと言える。ハチマキの懲りない態度に激怒した時の台詞からも分かるように、遭難は彼のミスや勝手な判断による部分もかなり大きかったにも関わらず、だ。二人をあるべき態度=座標に導いたのは結局、ハチマキが無事だったことに心底安堵したタナベの涙であった。
 
フィー「そうやって月面で死んだ宇宙飛行士がいたわね。ま、無念の人生を続けていくよりはいいかもね」
 
絶対であれ相対であれ、座標を定めるには他者という基点が必要だ。己という一個の点しかなければ、人は自分がどこにいるのか掴めない。ハチマキは焦燥のあまり無理に月面に出たが、その姿はハチマキというよりむしろ、フィーが指摘するように月面で死んだ宇宙飛行士ローランド同然のものだった。状態を知り本心を知ろうとも、他者という基点がなければ人は自分すら見失ってしまうのである。ハチマキが基点とすべき他者は、実はとても遠いところにいた。
 
ハチマキ「考えたんだ俺。あのエンジンを作ったエンジニア達も、あんたみたいなのと喧嘩したことあるのかなって。何も見えない暗闇の中で、手探りで道を探して……きっと皆、そういう思いをしてきたはずなんだ」
 
師であるギガルトの発案で、建造中の木星往還船フォン・ブラウン号のエンジンを見せてもらったハチマキは考える。真っ暗闇の中で自分の本心と向き合ったのは、自分だけではないのではないかと。このエンジンを作ったエンジニアも、過去に宇宙への道を切り開いたツィオルコフスキーゴダードといった偉人達もそうだったのではないかと。これまでハチマキが経たプロセスは抱えた悩みが他の誰でもない自分自身の問題だと認識するものだったが、それは同時に数知れぬ多くの人が抱えてきた平凡な悩みでもあった。ならば答えもまた、同じように悩み続けた無数の人々と同じようなところにある。
 
ハチマキという男は、星野八郎太という人間は一人しかいない。それは絶対的な孤独だ。しかしその一人しかいない人間が過去にも未来にも数え切れないほどどこにでもいると気付けた時、人間はそれを基点に自分の座標を知ることができる。「私が」「今この時」「この場所に」いるのだと認識できる。
 
もう一人のハチマキ「今は去ろう。だが気を抜くなよハチマキ、俺はいつでも現れるぞ」
 
ハチマキの結論を受け入れ去りながらも、もう一人のハチマキは言う。俺はいつでも現れるぞ、と。今回の気付きは悟りめいてはいるが、それだけで乗り切れるほど世の中は甘くない。言葉通り、これからも何度ももう一人のハチマキは現れるだろう。ハチマキは誰とも共有できない問題に苦しみ、自分の座標を見失うだろう。生きることはつまり、この悩みとの無限の喧嘩である。しかしそれがどれほど孤独な喧嘩だったとしても、いつか・どこかの・誰かが(あるいは未来や過去の私が)きっと同じように悩み立ち向かっている。悩みそのものは違っても、悩みの型だけは変わらない。この限りにおいて、無限は無限のまま有限と化す。人の営みは無限に変化するがそのパターンは有限に過ぎず、ならば無限と有限の間に境界線など存在しない。
 
ハチマキ「買ってやるよ、その喧嘩」
 
私達は過去や未来の、あるいは空想上の誰かのそっくりさんに過ぎず、故に彼ら彼女らから人生を歩む勇気を借り受けることができる。果ての見えない真っ暗な宇宙で自分を見つけることは、無限の中に有限を見つけることなのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版プラネテスの16話レビューでした。うん、これは難しい……ちょっと頭の中で理屈をこね過ぎた感があって、もっと感覚的な土台から書けるようでないと危うい。孤独な悩みを抱えている人に解決までの「型」を教えてくれる回だったのかなと思います。
 
2003年に放送された本作の登場人物の服装、たぶん当時の服装に合わせてるので2022年に見るとないわーって思ってたのですが、考えてみると2075年にもなれば何周かしてまた標準的になってるかもしれませんね。こういうのも無限と有限の境界線の無さかしらん。
 
 

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