それでも巡るものがあるなら――「プラネテス」20話レビュー&感想

一寸にも魂の宿る「プラネテス」。20話冒頭、ハチマキは木星往還船フォン・ブラウン号同様に速く力強くあろうとする。小なりと言えど、そこには大と変わらず巡るものがある。
 
 

プラネテス 第20話「ためらいがちの」

ハチマキは舞台を宇宙空間に移して二次試験に入っていた。EVAテストを優秀な成績でクリアーしたハチマキは、さらにハキム他2人とチームを組んでの閉鎖環境テストに向かう。一方、その頃、デブリ課には新人が配属されていた。だがその新人は思いも拠らない人物で…。
 

1.営みは巡る

シャポウ「あたし達もあんな感じだったのかなあ」
リュシー「1年経ったんだねえ」

 

OP開け、この20話はテクノーラ社への新入社員の配属の様子を見てタナベ達が1年前の自分に思いを馳せるところから始まる。以前からナレーションで年が変わったことは語られていたが、1話がタナベのデブリ課配属から始まったことを思えば今回でそこからの時間は一巡りしたと言えるだろう。人の営みが過去の"繰り返し"であることを折りに触れては描いてきた本作だが、作中の重要存在である木星『往還』船がそうであるように繰り返しはしばしば"巡る"ことでもあるのだ。西暦2076年の国際企業が日本同様の新卒採用をするようになっているかと言えば疑問を禁じ得ないが、学校や企業の門を新たにくぐる人の様子にタナベ達同様の感慨を――あるいはそうした感慨を覚えること自体に"巡る"ものを感じる人は少なくないだろう。
 
こうしたことはもちろん、新入社員や新入生に限ったものではない。前回木星往還船フォン・ブラウン号の一次試験を突破し、今回は続く二次試験に突入したハチマキにしても問われるのは"巡り"への対処であった。
 
 

2.巡る未来のために

オリンピックより厳しい倍率で開催されるフォン・ブラウン号の乗組員試験。宇宙で行われたその二次試験は、隔離されたモジュール内で他の3人の受験者と共に10日間の閉鎖環境テストを受けるというものであった。もちろんただ閉じこもっていろというようなものではなく、受験者にはモジュール内の環境や他の人間の簡易ヘルスチェックといったフォン・ブラウン号での日常と同じ業務が課せられる。つまりここでハチマキ達が過ごす時間は実際に船に乗り組んだ時にも繰り返されること――"巡る"ことになる。おまけのようにフォン・ブラウン号の模型製作の課題も加えられているのは、この試験が小フォン・ブラウン号とも言える状況なのを象徴していると言えるだろう。
 
サリー「あたし達、結構いいチームかもね」
 
ハチマキ達受験者は10日の試験期間の中、多少なりとも互いのことを理解していく。軌道保安庁時代から知る冷静なハキム、未来への使命に燃えるサリー、がさつだが気のいいレオーノフ……今回の評価対象が個人でなくチームとくれば一体感が生まれていくのも当然で、最終日の彼らはもはや見ず知らずとは言えない状態にあった。仮に試験合格後にチームを組むことになってもこうした関係は生まれていたはずで、彼らは模型の製作と同時に自分達の心にもフォン・ブラウン号搭乗時と同様の心理状態を作っていたと言える。そう、ハチマキは前回トラブルに巻き込まれた他の受験者を無視して試験を続行したが、今回一緒にいるのはその時のような赤の他人ではないのだ。
 
ハキム「やはりな。このままでは終わるはずがないと思ったが……」
 
模型と共に受験者の心の中にフォン・ブラウン号が完成するタイミングを見計らったように、各モジュールには電気系統のトラブルが発生する。電力自体は確保できたものの、モジュール内には4人全員が試験終了まで生き延びられるだけの酸素が残されていない――ハチマキ達が気付くようにこれは実際に木星に向かった場合にも起き得ることであり、今起きているのはトラブルではなく試験内容の一環だ*1。ここで対処できない人間は、実際に同じようなことが起きた場合にも対処できない。この二次試験の本当の目的は、いずれ起きるトラブルへの対応を"巡り"見ることにあったのである。
 
 

3.それでも巡るものがあるなら

ユーリ「新人の歓迎だよ」
タナベ「え?」
課長「ごめんね、愛ちゃんの時はまさか本当に来るとは思ってなかったからさ」

 

この20話のレビューでは"巡る"ことに着目してきた。新入社員に見られるような1年の巡り、テストで試されるような非常事態の巡り……とはいえもちろん、"巡る"ことは以前と全く同じ繰り返しにはならない。宇宙ステーションISPV-7に今回やってきた新入社員はタナベ達ではないし、木星との初めての往還中に起きるトラブルはおそらく今回の比ではないだろう。だがそれでも同じような事自体はきっと起きるのだ。巡ってくるのだ。そうやって巡る部分こそが本質である、と言ってもいいだろう。そして、巡るのは歴史だとか世界だとかいった大仰なものに限った話ではない。
 
チェンシン「僕だって欲しいものはあるんだ! 夢だって女だって、欲しいと思ってるさ! 奪ってでも手に入れたいって!」
 
前回ハチマキに「持つ者」故の無意識の驕りや欲の無さを指摘されたチェンシンは、彼の恋人にしてかつて自らも懸想したタナベに無理やり口づけしてその思いを奪おうとした。けれどタナベに唇を噛まれてまで、苦しみに満ちた瞳で見つめられてまでその乱暴な行為を続けられるほどチェンシンは悪人になれない。
 
チェンシン「噛んだ……!?」
タナベ「今度やったら、噛みちぎります……!」

 

彼が今回したことはハチマキやタナベに対する重大な裏切りだが、それはあくまで一過性の行為に過ぎない。夢にしても恋愛にしても他者をないがしろにしきれない善良さ(あるいは甘さ)こそはチェンシンの"巡る"本質であった。
 
ハチマキ「これで、二次試験突破だな」
 
また冷徹だが冷静に状況を観察していたハキムの説得で仲間割れを回避したハチマキ達は、なんと室温と体温を下げ新陳代謝を遅くすることで酸素消費量を抑えて試験終了まで生き延びることに成功する。これは呼吸の速度自体は比較的重要度が低く、酸素と二酸化炭素が"巡る"ことだけが本質だと気付けたからこそ採ることのできた方法だ。
 
サリー「意外と甘いのねホシノ、実は迷ってるんじゃない? 人殺しなんて無理しない方がいいわよ」
 
ハチマキは前回、他の受験者がトラブルに見舞われたのを無視して試験を続行し合格をもぎ取った。今回も3人なら残りの酸素量でも生き残れると気付けば1人を殺すことも厭わないと口にはしたが――その手は震えていた。前回のように他人を見捨てる選択は彼の中で"巡る"ことはできなかった。「一人でいいなんて、先輩はそんな人じゃない」と劇中でタナベが信じる通り、それはハチマキの本質ではないのだろう。
 
辛くも二次試験を突破したハチマキは、自分と違い4人全員が生き残る方法を模索しつつ、かつもしもの時は本当に誰かを殺すつもりだったハキムの覚悟に感服し握手を求める。一緒なら木星に行けそうだと希望を語る。直前にハキムは「友情ごっこ」を否定していたが、ハチマキの手を握り返すその行動は間違いなく友情に値するものだ。甘さや他人への情けを否定したはずの彼らにも、確かに他者との繋がりは"巡って"いた。
 
ハチマキ「あんたとなら、木星に行けそうだ」
 
人の人生には選択や選抜がつきもので、時に私達は選びようがないものを選ばざるを得ない。選ばれなかったものはその時、まるで存在そのものが嘘のようになってしまう。けれど同時に、世の中はその選ばれなかったものがひょんなことから再び顔を出すことがあるのも事実だ。消えたはずのものが再び"巡ってくる"のである。決心したハチマキがこの難試験に必死に食らいついているように、そうして巡ってきたものには以前より速く、力強く、そして遠くまで行くポテンシャルがある。
 
一度嘘とされたことが本当に、あるいはその全てが嘘とは限らない。諸行無常の世界でそれでも巡るものがあるなら、そこにはきっと何らかの本質が隠されているのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版プラネテスの20話レビューでした。"巡る"をテーマにレビューを書けそうだとは割と早々に感じたのですが、フォン・ブラウン号の模型や冬眠作戦をどうやったらそこに紐付けられるかに悩んで筆の進みになかなか苦労しました。
14話あたりから神奈延年演じるモブ・半モブがちょいちょい出てましたが、レオーノフ役のための地ならしだったんですね。OPにも出てるあたり、今後けっこう重要な役どころになっていくのかしらん。タナベに謝るのは当然として、チェンシンにも幸せになって欲しいなあ……
 
 

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*1:タチの悪いことに、期間中の交信を断っている試験側はこれが不測の事態だなどと一言も言っていない