再会は巡りあう中――「プラネテス」26話レビュー&感想

別れの先を見る「プラネテス」。最終回26話ではいくつもの再会が描かれる。再会とは、巡る中で生まれるものだ。
 
 

プラネテス 第26話(最終回)「そして巡りあう日々」

いよいよフォン・ブラウン号の木星出発の日が近付いてきた。デブリ課に顔を出すハチマキとタナベ。二人はデブリ課員のはからいで宇宙に出る。
 

1.本当の再会

チェンシン「……久しぶり」
ハチマキ「1年ぶり、か」

 

半年に渡って放映された物語の総決算となるこの26話、その本編は刑務所の前から始まる。収監されたクレアに会うべく、ハチマキとチェンシンが待ち合わせたためだ。二人が、いやクレアを含めた三人が顔を合わせるのは実に1年ぶり――つまりこれは彼らにとって再会である。

 
かつてテクノーラ社の同期として共に過ごした彼らは、もはや全く異なる道を歩いている。ハチマキは木星往還船フォン・ブラウン号の乗組員になり、チェンシンは一度外れた船長への道を再び歩みだし、そしてクレアは宇宙防衛戦線に参加した犯罪者。かつて気兼ねなく一緒にいられた彼らはもはや面会にも許可が必要だし、そこでも刑務官に囲まれ限られた時間しか言葉を交わせない。ガラス窓に象徴される境界線に彼らは遮られてしまっている。
 
クレア「私、無理してたのかな。気がついたら何が何だか自分でも分からなくなって……」
 
しかし一方で、三人の交わす言葉はひどく穏やかだ。これまでの話で渦巻いていた劣等感も意固地さも確執も消えていて、入社初期に撮影した写真の頃に戻ったようなこだわりのない姿がそこにある。いつでも会えたテクノーラ社内ではむしろギスギスして叶えようのなかったやりとりがある。そう、ハチマキ達がここで果たした再会とは単に顔を合わせることを意味しない。彼らはここで、かつての自分達とこそ"再会"していた。
 
月面での不時着から生還できた経緯を振り返り、クレアは言う。「助けを求めるつもりなんかなかった。でも、私も彼女を見捨てることができなかった」……と。24話でクレアの酸素ボンベを奪うことを考えたタナベは結局、彼女を見捨てることができなかった。そしてそんなタナベをクレアも見捨てられなかったから、偶然通りがかったシャトルバスに救助を求めることができた。「情けは人のためならず(結局は自分のためになる)」という言葉があるが、この場合タナベもクレアも他人を見捨てないことで見捨てられない自分と"再会"できたと言える。
 
再会した時、人はかつてと同じ顔をしていない。当たり前だ。時間が経てば背負うものも持つものも変わるのだから、全く同じでいられるわけがない。けれど、その異なる顔の相手の中に必ずかつては残っている。どんなにちっぽけであっても姿を変えていても、全てが全て消えていたりはしない。時間の彼方に過ぎ去ったはずの相手が、あるいはそこにいた自分がそれでも不意に顔を出すことがある。それを見つけた時こそ、私達は本当の意味で再会を果たせるのだろう。
 
 

2.再会は巡りあう中

世界は再会に満ちている。それはけして、人と人の再会に限らない。
 
ドルフ「確かに比べ物になりませんね。飼い犬と一匹狼のどちらがいいかなんて……!」
 
例えばテクノーラ社の第二事業部部長だったがフォン・ブラウン号のための宇宙開発企業へ左遷させられていたドルフは、功績によって本社への復帰を認められるがこれを一蹴して宇宙開発企業を独立させる。なぜか? 復帰などというのはドルフにとっては表面的な再会に過ぎないからだ。かつて自分で立ち上げた企業をテクノーラ社に買収された彼は、内部からテクノーラ社を変えるべく奮闘したが結局社内の論理に飲み込まれただけに終わった。なら、そんな場所に復帰することに意味はない。そこに再会はない。
ドルフはフォン・ブラウン号の設計者であるロックスミス博士を抱き込む等の根回しをすませ、おめこぼしではなく自主独立の己の企業を取り戻すことに成功した。彼はこれによってかつて奪われた自分の企業と、そして自分自身と再会したのだ。
 
ノノ「おじさんの国は地球のどこにあるの? ここから見える?」
 
また、この26話では宇宙防衛戦線のハキムとルナリアンのノノのやりとりも描かれている。再会再会と書いてきたが、このケースはそうではなく全くの初対面となっている。しかし地球も宇宙も一部の国が独占する状況を覆すべく戦い続けたハキムにとって、月生まれの月育ちで国を見たことのないノノのような存在は自分を見つめ直す契機となった。ノノとの出会いを通してハキムが果たしたのもまた、己との再会であることに変わりはなかった。
 
ハチマキ「ちょっと待てよ恥ずかしいことすんなって! つかそれ俺の遺言状!」
課長「でもハっちゃんもういらないって」
ラビィ「社内報にも載ったぞ!」

 

過ぎ去った時はもう戻らない。かつてを繰り返すことはもうできない。けれど一方で、次々と生まれていく新しいものは不思議にそのかつてに似ることがある。それは血縁だとか技術継承だとか、そんな明示的な繋がりによって生まれるものではない。系譜や論理はおろか、縁とすら呼べないほど関わりないものに私達は"かつて"を見ることがある。再会の機会とは、そんな風に世界に散りばめられているものなのだろう。
 
ハチマキ「あるよ。『結婚しよう』……"う"だよ」
タナベ「……『うん』」
ハチマキ「よっしゃ! お前の負け」

 

宇宙ステーションISPV-7を再び訪れたハチマキとタナベはもはやテクノーラ社の社員ではないがかつての同僚たちの歓待を受け、共に再び宇宙に出させてもらう。二人がかわすしりとりは、言うまでもないが全く関係のない言葉を末尾の音だけで繋げる、再会させる言葉遊びだ。人は何かというと必然性やつじつま合わせにこだわってしまうけれど、繋げたり再会するにはその程度の結びつきがあれば十分事足りるのである。「け」攻めで他に言葉がなくなった先、1話をオーバーラップさせた構図での「結婚しよう」と「うん」で成立するプロポーズとしりとりの終わりの前には、全ての理屈はあまりにちっぽけに見える。
 
九太郎「ほらここ座って! かあちゃんも早く!」
 
短く長い物語は、いよいよ木星に旅立つハチマキ達をテレビで見送るタナベ(姓名どうなんてるんだろう?)とハチマキの弟九太郎、そして母ハルコのやりとりで幕を閉じる。7年間の木星行き、事故の可能性もある旅へ新婚の相手を行かせて良かったのかと気遣う九太郎に、タナベは笑顔でこう返すのだった。
 

タナベ「大丈夫、約束したから。『必ず帰ってくる』って」

 
帰ってくると約束することは、"再会"を約束することだ。再び「巡りあう」と約束することだ。世界は優しさでできているわけではないから、ハチマキの旅の安全はけして保証されていない。生きて再び地球の土を踏めると断言などできはしない。けれどそうだとしてもハチマキは必ず帰るだろう。どんな形であっても、きっと約束を果たすだろう。この26話が、いや本作が描いてきたように、世界は様々な形の再会に満ちている。時間も世界も巡るもので、その中で私達は再会することができる。私はこの作品は初視聴だが、2003年の放送以来何度か再放送が行われる度、本作と"再会"できた人も多いのではないか? 巡りあう度、再会する度、そこには新しい懐かしさがあったはずだ。
 
タナベ「先輩、わたしまたここに戻ってきたいな。デブリ屋として」
ハチマキ「戻れるさ、きっと」

 

巡るものの先にこそ再会はある。巡りあえるなら、どれだけ離れていても宇宙も私達も本当は繋がっているのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版のプラネテス26話レビューでした。当初はクレアとのやりとりなんかから「越える境界線」みたいなことを考えたのですが、それ境界戦機と変わらんしな……と考えを巡らせる内に「再会」と「巡りあい」を結びつけることに思い至りました。前回海の中でハチマキが見たタナベが「帰りましょう」と言ってたことにようやく理解が及んだように思います。
 
半年間、実に濃密な26話だったと思います。当初はSF的な部分が目を引きましたが実際はもっと哲学的な内容で、レビューを書いていて私自身いろいろと影響を受けたのを感じています。あとハンドグリップ買いました。
 
本作は2003年に放送された作品であり、今見ると色々と古さも感じる作品です。タバコの扱いはもちろんのこと、契約社員のエーデルは自己の勤勉と責任で正規雇用になっていますがこの20年はむしろ構造として(不安定な生活という意味での)非正規雇用が増やされる一方だし、ホシノ家のような専業主婦は経済的理由で否応なしに解体が続いている。地球環境の変化もこの頃想像された以上に激しく、どうも本作のような2070年代はやってきそうにありません。あと個人的にはタナベがかわいいというより「ママ」っぽかったなあと思わんでもない。これはハチマキを良い意味で情けなくしてもいますが。
 
変わらないと思われているものは案外もろいし、「巡る」ように思われているものも実際はごくごく限られているか私達の想像以上のロング・スパンで捉えてようやく見えるものに過ぎない。2022年に本作を見た私はそんな風に思います。ただおそらくそれは精度の問題、程度の問題に過ぎない。
あり得たかもしれない未来でもやっぱり人は同じように悩むし、だから私達は時間や虚実で遠く離れているはずの物語に自分を見出すことができる。世界も人も『「変わらない」のではなく「巡る」』のだと教えてくれることに本作の意義はあるのではないでしょうか。もちろんそれは、何年かごとに本作を見返す意義にも繋がるものでしょう。
 
 
本当に見応えのある作品でした。アニメで個人的に一番好きな回としては、終わり方に清涼感のあふれる13話を挙げます。
原作は未読なんですが最近はマガポケなんかでも読めますし、この後はそちらに手を伸ばしてみようかな。スタッフの皆様、そして再放送を決めてくれた方、ありがとうございました。
 
 

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