エゴイストは分別を知らない――「プラネテス」19話レビュー&感想

むき出しの「プラネテス」。19話ではいよいよフォン・ブラウン号の乗組員試験が始まる。夢を叶える緒は、前回描かれた"らしさ"、正攻法で届かないものの先に覗いている。
 
 

プラネテス 第19話「終わりは いつも…」

木星往還船乗組員の一次試験が始まった。試験会場にはたくさんの受験者が集まっていて、その中にはハチマキやチェンシンの姿もある。デブリ課に残ったタナベはハチマキが気になるのだが、連絡がうまく取れないでいた。基礎体力試験、筆記試験が終わり、ハチマキは最後の水中試験に挑むのだが、アクシデントが発生する。
 
 

1.馬鹿正直さは正攻法か

木星往還船フォン・ブラウン号の乗組員試験を受けるべくパプアニューギニアへ向かったハチマキだが、全力で挑むべくテクノーラ社を辞めたその身の上はなかなかハードだ。半月の試験期間中ホテルに泊まれるような蓄えもないし、無職の彼に安アパートを貸してくれるような大家もいない。野宿していたハチマキを検査した警官に至っては彼を咎め立てはしないが肯定もせず、ホームレス・・・・・のたまり場へ行くよう指導する始末。"裸一貫"とはまさに今のハチマキのような立場のことを言うのだろう。
 
タナベ「何も辞めなくてもいいと思わない? 社内公募だってあったんだし、休職願い出すとか……」
 
試験を受けるのに会社を辞める必要があったのか?と言えばノーだ。フォン・ブラウン号の開発に大きく関与しているテクノーラ社は社内公募を行っていたし、退職でなく休職する手もあった。学歴を考えれば再就職も難しいのに、わざわざ倍率1/1000以下の狭き門を目指して突っ走ったハチマキの選択はとうてい正気の沙汰ではない。かつての同僚が彼を嘲笑ったり、恋人であるタナベに友人リュシーが別れるよう勧めるのももっともなことだ。
 
タナベ「そんな、せっかく皆の気持ちが一つになれたのに……」
ハチマキ「悪いな。今はそれしか考えられねえんだ」

 

前回、デブリ課解散命令に直接抗議しようとして止められたタナベにクレアはこう言った。「下が上に勝とうと思ったら、正攻法じゃダメってこと」と。仕事も恋もかなぐり捨てて試験に臨むハチマキのやり方は、馬鹿正直と言えるほど正攻法にも思える。だが、本当にそうだろうか?
 
 

2.エゴイストは分別を知らない

ハチマキの採った行動はクレアに否定されたような正攻法なのか。それを考える上で比較対象になる人間がこの19話にはいる。彼の同期にして同じく乗組員試験を受けた男、航宙課のカオ・チェンシンである。
 
ハチマキ「チェンシン! そうか、社内公募で選ばれたのか。やったな!」
チェンシン「ありがとう!」

 

チェンシンは「非の打ち所のない」という言葉を絵に描いたような男だ。同期の出世頭になるほど優秀なのはもちろん、性格も紳士的で少しも威張ったところがない。ハチマキが事実上彼を裏切ってタナベと恋仲になった時も、冗談によるささやかな復讐こそすれど殴りかかったりはしなかった。
チェンシンのスマートさはおよそハチマキと対照的なもので、今回の試験でも社内公募を通過し、ホテルの手配や基礎試験免除などの優遇を得て会場へ来ている。試験期間中も彼はハチマキにタナベと連絡を取るよう言うなど気遣いを忘れていなかったのだが……その余裕には秘密があった。
 
チェンシン「気にするなよ、僕はもともと落ちる予定だったんだし」
 
一次試験の最終試験、チェンシンはトラブルに見舞われた他の受験者の救出に向かい途中棄権した。共に試験に臨む仲間の棄権をハチマキは惜しんでいたが、続く彼の言葉に驚愕する。なんとチェンシンは最初から落ちる予定だったというのだ。
 
チェンシン「正直、僕の実力じゃあまだ足りないしね。実際の勝負は次の次くらいだと思う。でもその時のために慣れておきたかったし」
 
この乗組員試験には裏があった。既に決まっているメンバーやミッションスペシャリトを除いた18人を選ぶという触れ込みだったが、その内2人はテクノーラ社の社員を選ぶことが決まっていたのだ。しかもその枠は先輩社員が優先されるのが目に見えており、チェンシンにとってこれは次の次あたりに巡ってくるチャンスのための慣らし受験に過ぎなかったのである。
 
チェンシン「それは子供の夢の追い方だろう! 僕達は大人なんだ!」
ハチマキ「上手に生きたいなら、夢なんて語んな!」

 

チェンシンはまったくもってまともだ。和を重んじ、後先を考え、然るべく順番と手順を踏んで成功を掴もうとしている。客観的に見てバカげた、気持ちだけで突っ走るハチマキを「子供の夢の追い方」と評するのも何もおかしくはない。そうではなく身の程をわきまえ、不条理や理不尽をぐっと飲み込んで我慢するのが大人のやり方――大人の"正攻法"というものだろう。そう、正攻法である以上はチェンシンのやり方で下が上に、持たざる者が持つ者に勝つことはできない。
 
受験者「リアリスト? ただのエゴイストじゃねえか、えぇ!?」
 
ハチマキは年甲斐もなく子供のようにまっすぐに、いやワガママに試験に臨んでいる。なにせ彼は他の受験者のトラブルにチェンシン同様に気付きながら無視して試験を続行し、他の受験者からエゴイストと罵られすらしたのだ。
大人のくせに身勝手なハチマキがエゴイストなのは間違いなく、故に彼はけして正しくない。人間として"正攻法"ではない。しかしクレアが言うように正攻法では下が上に勝てないのがこの世の中だから、ハチマキのこのワガママなまっすぐさは、正攻法でないやり方はむしろ逆転の一撃として機能している。事実、一次試験合格者の中にはしっかりと彼の名があった。
 
倍率1,000倍以上の狭き門をくぐり抜けるような力とは、世界をひっくり返すに等しい力だ。ありえないことを実現し、常識をくつがえす力だ。そんなことを起こす力があるとしたらそれは、常識的なチェンシンではなく今のハチマキのような人間にこそ秘められているのだろう。
 
ハチマキ「お前は地球の周りを這いずり回っていろ。木星には俺が行く……!」
 
損得、善悪、理非、後先、自他、エトセトラエトセトラ……理性を持ち社会に生きる私達人間は通常、様々な分別を持つことで生きている。だがこれは立入禁止の境界線でもあり、それに足を取られれば踏み込めなくなる領域が存在するのも確かだ。
エゴイストは分別を知らず、故にそれに囚われることがない。自分にまっすぐになることは、分別という境界線をなくすことでもあるのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版プラネテスの19話レビューでした。これはまた取り扱いに注意のいる話だ……新自由主義リバタリアニズムを採る人は我が意を得たりと思うでしょうし、実際それはここ19年の風潮でもありました。また「清濁併せ呑む」という言葉を思い浮かべる人もいるかもしれません。でもクレアの言葉を合わせて考えるなら、「お行儀よく抗議できない人々」へ重ね合わせて見るべき話なのではないかと思います。ただまあタナベは怒っていいんじゃないでしょうか。ハチマキ、相当に彼女の"エンジェル"ぶりに甘えているように感じます。
さて、予告を見た感じ次回はデブリ課に新たにメンバーがやってくるんでしょうか。ハチマキの話とどういう兼ね合いになってくるのか興味津々です。
 
 

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