朝の友達、夜の友達――「よふかしのうた」3話レビュー&感想

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会
掛け違い上等「よふかしのうた」。3話ではコウの幼馴染であるアキラが登場する。これ以上望むべくもないほど"友達"である彼女の存在は、むしろコウがもはや引き返せないことを浮き彫りにする。
 
 

よふかしのうた 第3話「いっぱい出たね」

「夜守、何してんの」 ナズナとの夜ふかし帰りに、幼馴染のアキラに遭遇したコウ。学校に来なくなったコウを心配していたと話すアキラ。再会以降、ナズナと遊んだあとにアキラと会うことが習慣になっていく……。
 

1.お似合いにして不釣り合い

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アキラ「元気そうで良かったよ。皆は最近の夜守でイメージ上書きしてるけど、夜守、もともと結構暗いやつだからさ。心配してたんだよ、友達だから」
 
夜遊びの中で吸血鬼ナズナと縁を深めてきた主人公・コウが前回ラストで遭遇した少女、朝井アキラ。今回は彼女が同じ団地に住むコウの幼馴染であることが明かされるが、描かれているのは彼女がコウにとって得難い善良な存在であることだ。ボール遊びよりアリが虫の死骸を運ぶ様子に興味津々といった暗い幼子だったコウを嫌わず一緒にそれを眺めたり、不登校になっても無理に学校に連れ戻そうとしなかったり、疎遠になってしまっても友達と思ってくれていたり……明るく取り繕うことを覚えた中学でのコウではなくその下の素の彼の姿を受け入れている点を含め、「傍らにいて欲しい人」の理想を具現化したかのようにアキラは優しい。コウが吸血鬼と一緒にいるのを知った彼女は自分とまた学校に行こうと促すが、こういう存在と巡り会えたのならその手を握って陽の当たる場所へ戻るのが――やり直すのが人としては正道なのだろう。端的に言えば、アキラほどコウにとって「お似合い」の相手はいないのだ。友達としても、あるいは恋人としても。
 

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アキラ「夜守、わたしと一緒に学校行こうよ。夜守がいた方が、わたしは楽しいよ」
 
明るくなくても、疎遠でも、不登校になっても自分を気にかけてくれる。アキラのような相手と巡り会いたい、と願う人は少なくないだろう。ただ、だからといって「お似合い」の組み合わせがそのまま成立するかと言えばそれは否だ。この3話、アキラはむしろコウとのすれ違いばかりを見せている。
 

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アキラ「あんた、うちのポストの上に置いてったじゃん」
コウ(アキラの部屋番号初めて知った……)

 

アキラはかつてコウが友達の証に腕時計型トランシーバーを自分の部屋のポストに置いたと思っていたが、コウはアキラの部屋番号も知らず置いたに過ぎなかった。
またアキラはコウとナズナがたがいにちゃん付けくん付けで呼ぶのを好き合っている証と受け取るが、現状これは友達として親しくなるための呼び名に過ぎない。
 

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コウ「アキラ……久しぶり」
 
トランシーバーの誤解を良くないと思いつつもコウはアキラの気持ちを無下にできず、真相を告げられない。二人の関係は表面上は整っているが、しかし内実は決定的にボタンを掛け違えてしまっている。「深夜を歩いていた夜守コウ」と「早朝を歩いていた朝井アキラ」は、本当の意味では再会も合致もできていないのだ。
 
 

2.朝の友達、夜の友達

コウとアキラはお似合いのようでその実、決定的にボタンを掛け違えている。ならば当然、比較すべきはもう一人との関係にある。そう、コウとナズナの関係だ。
 

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ナズナ「うるっせんだよバーーーカ! クソ優等生が!」
 
アキラの登場もあり、今回のナズナは必ずしもコウと意思疎通ができているとは言い難い。「見せてやる」と抱き寄せられたコウはナズナに吸血ではなく接吻されると思い込んでいたし、コウはアキラと会っていることをナズナに隠していた。喫茶店でコウの態度に内心腹を立ててナズナが席を立ってしまうように、二人はボタンを掛け違えてばかりに見える。
 

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しかしこの3話がちょっとした喧嘩になっているのと裏腹に、二人のやりとりから見えてくるのはむしろ根っこの部分での息の合い方だ。ナズナは冗談のつもりでコウの「浮気」を言い当てたし、また彼女が腹を立てたのは学校に行こうというアキラの言葉にコウが逡巡して見えたからだが、実際はコウはそんなつもりは毛頭なく吸血鬼になる決意は変わっていなかった。アキラと逆に、表面上は不揃いでも深部でコウとボタンが掛け合っているのがナズナなのである。
 

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アキラの言葉は優しい。加えて押しつけがましさもなく、その言葉は間違いなく正しい。人として見習うべきものだ。しかしどこまで行ってもこれは「朝の正しさ」であって、残念ながら人の心を全て救うことはできない。それはおそらく、「昔はもっと喋る元気なやつ」だったはずの彼女が今はそうではなくなっていることが証明している。
 

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コウ「俺があそこで言い淀んだのは、人間の友達に『吸血鬼になりたいから行かない』なんてどう伝えたらいいのか分かんなかったからだよ」
 
人は朝だけでなく、「夜の正しさ」も選べなければ自分にとっての正解は掴めない。それは汚れ仕事も必要だとかいった次元の話ではなく、客観や論理に拠らない正しさを選ぶ必要があるということだ。主観的に、感情的に――それはきっと、他人の眼には正しいものとは映らない。なんと愚かなことだと世間は眉をひそめたり、時には嘲笑いすらするだろう。けれどどんなにおかしくても、どれほど間違っていてもそれを選ばなければ自分が自分でいられなくなる瞬間というものが人にはある。誰にも何にも保証も証明もされない、自分だけで決めなければならない正解というものがある。コウにとってそれは、学校へ行こうという幼馴染の誘いを蹴って吸血鬼になろうとすることなのだろう。
 

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コウの気持ちを知り和解したナズナは、階段で転んで切った彼の口からあふれる血を「いっぱい出たね」といつものように下ネタで茶化し、そして口づけして吸う。それは友達がすることとしても吸血鬼がすることとしても間違っていて、しかしだからコウとナズナがする行為として意味を持つ。まだ恋ではない、しかし恋よりも深いところで繋がっている二人の関係を示す行為としてこれほどの"正解"もあるまい。
 

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ナズナ「『人間の』ってことは……吸血鬼の友達もいるのかな?」
 
この3話で描かれたのは、一対となる二種類の友達だ。人間・朝井アキラという「朝の友達」の登場によって、吸血鬼・七草ナズナという「夜の友達」はコウにとってますます離れ難きものとして浮かび上がるのである。
 
 

感想

というわけでアニメ版よふかしのうたの3話レビューでした。1,2話ほど時間が取れなかったのですが、今回はナズナとアキラを対に考えればいいのかと気付けばすんなり筆が進んで一安心。
デザインや行動からもアキラは大変好みなんですが、それを吹き飛ばす勢いでお話が素晴らしい。ビルドゥングスロマン的な部分への期待がぐっと高まりました。次回も楽しみです。
 
 

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