モノマネの先、憧れの先――「よふかしのうた」8話レビュー&感想

Ⓒ2022コトヤマ小学館/「よふかしのうた」製作委員会
彷徨いの「よふかしのうた」。8話では吸血鬼になるのにも時間制限があることが明かされる。ぐらつく心そのままに、今回はコウの揺らぎやすさを描いた回だ。
 
 

よふかしのうた 第8話「どいつもこいつも」

ナズナ以外の吸血鬼、セリ、ニコ、ミドリ、ハツカ、カブラと知り合ったコウ。そして、初めて血を吸われてから1年以内に吸血鬼にならなかった人間は、一生吸血鬼になれないということを知り……。
 

1.不在のモノマネ

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コウ「メチャクチャやべえじゃん……」

 

前回自分とナズナの関係をニコ達吸血鬼に納得させたコウだが、万事解決とはいかず今回新たな問題が浮上する。それは人間が吸血鬼になるには時間制限があること――最初に血を吸われてから1年が過ぎてしまえば適性を失ってしまうという新事実だった。時間制限を過ぎれば吸血鬼の生態に詳しい人間として前回当初のように警戒され、命を奪われてしまうのでは……と幼馴染のアキラから指摘されたコウは困惑せざるを得ない。彼としてはただ単純に腰を据えて取り掛かるつもりでいたのだから、タイムリミットや命の危険が加わるとなれば焦ってしまうのも当然のことだろう。
 

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ナズナ「つまんねえ。帰るわ」
 
吸血鬼になるためにはナズナに恋をしなければならない。だが未だ恋の分からない自分がどうすればいいのか? 悩んだコウはナズナとデートを敢行しようとするがことごとく彼女の機嫌を損ね大失敗に終わってしまう。恋愛映画を見て、喫茶店で話して、ゲーセンやカラオケに行って……自称恋愛マスターの吸血鬼セリから教示されたそのプランは実にデートらしいものだが、それ故にナズナは気に食わない。
 

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コウ(ええと、次は……)
 
なぜデートプランが上手く行かないのかと言えば、ひとえにそれが単なるモノマネだからだろう。下ネタは大好きだが恋愛話になると途端に恥ずかしがるナズナに恋愛映画を見せて喜ぶわけはないし、途中退出したそれの話題を喫茶店でしても盛り上がるのは無理な話だ。上等な料理店でも相手の嫌いなメニューでは意味がないし、口説く言葉が棒読みでは聞いた相手も思いを信じられない。誰よりもコウが不在だからナズナは楽しめないわけだが、彼のこうした主体性の不在はデートに限らない。
 

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アキラ「本当に気付いてなかったのか……」
 
吸血鬼になるのに時間制限があると知ったコウはしかし、アキラに指摘されるまでそれが1年後の自分の命の危険に繋がることに気付けなかった。勉強は苦手でないのにどうしてそこまで考えが及ばないのか? 訝しんだアキラが気がついたのは、それがコウの本当の姿でも自ら考え装っているものでもないということだった。
 

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アキラ(そうか、コウの優等生のフリってあいつの……)
アキラ「おお!?」

 

アキラのこの台詞は遮られるが、その指し示すところは明瞭だ。コウがかつて演じ挫折した優等生とは"あいつ"のモノマネに過ぎず、ナズナを怒らせたデートプラン同様に彼という人間が不在の代物だったのだ。そしてアキラの言葉を遮ったのは誰あろう、コウがモノマネした"あいつ"――もう一人の幼馴染・夕真昼(せき まひる)であった。
 
 

2.人にして既に吸血鬼

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真昼「コウだよな?」
 
コウがモノマネした"あいつ"こと夕真昼。初登場の場面こそ学校の階段の踊り場で寝ているという珍妙なものだったが、そのふるまいは一言で言ってパーフェクトだ*1。久しぶりに見かけたコウにも気さくに話しかけ、少しも偉ぶるところがない。成績優秀にしてスポーツ万能、それでいて真面目過ぎず花屋の息子という彼は絵に描いたような好青年(と呼ぶにはさすがに幼いか)で周囲には常に人が集まっている。コウにしても真昼に対してはとても素直で、アキラはそんな会話の様子を気持ち悪がる有様。
 

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コウ(真昼くんを悪く言える奴なんかいないだろう)
 

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コウ「俺じゃなくても憧れるよ!」
 
夕真昼という少年には人に好かれる才能がある。そう言っていいだろう。――まるで吸血鬼が人に好かれるのに長けているように。
 
私は別に、真昼の正体は吸血鬼に違いないとかそんな「考察」をぶち上げたいわけではない。これはあくまで、彼とニコ達の性質的類似の指摘に過ぎない。
 

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真昼「そりゃ分かるだろ。友達だろ?」
 
久しぶりなのに道路向かいの自分を見分けたことに驚くコウに対し、真昼は友達だから当然だと返す。こんなことを言われて嬉しくならない人間はいないだろう。実際コウは頬を少し赤くすらしたほどだ。
友情だとは認識しているが、この時のコウは事実上真昼に魅了されている。血こそ吸わないが、花屋の息子である彼は彼自身が花だ。吸血鬼同様に、周囲の人間を片っ端から眷属に変え得る甘い香気を放っているのが夕真昼という少年なのである。
 

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ナズナ「目離すとコウくん、すぐどっか行っちゃうからさ」
 
アキラが思い至るように、コウの優等生のフリとは真昼のモノマネだった。そしてモノマネでしかなければ、いくら表面上似せようがそこに自分というものは存在できない。時間制限に動揺したコウはそれ故にデートプランを機械的に真似ることしかできないし、ナズナを探していたはずなのにいつの間にか頭の中は真昼でいっぱいになってしまう*2
今回のラスト、ナズナはコウの手を握って「目離すとコウくん、すぐどっか行っちゃうからさ」と言うが、この言葉は物理的な別離だけを意味したものではないのだろう。このように、この8話からは一貫してコウの揺らぎやすさを見ることができる。
 
 

3.モノマネの先、憧れの先

モノマネである内はそこに自分というものはなく、行為も感情も我がものとすることはできない。だが人は模倣から学んでいく生き物でもあり、モノマネを全て否定することも出来ない。両者のちょうどよい塩梅を人は探してゆかねばならず、それはこの8話でも度々描かれている。
 

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ナズナ「これがデートなのか? じゃあいつもやってるじゃないか、デート」
 
例えばナズナはコウのモノマネデートプランに期限を損ねて帰ってしまったが、空腹を覚えて今度は彼女の方からコウの家の窓を叩く。彼を連れ出しての夜間飛行と吸血を、デートプランで言うところの「夜景見ながら食事」になぞらえる。
 

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また先述したようにナズナはラストでコウの手を握るが、それは道路を挟んですれ違った真昼と意中の女性がする手繋ぎとは違う。彼らのような恋人繋ぎではなくただ握っているだけで、しかし二人の関係からすればその方が自然なのは言うまでもない。
 
同じ種族である以上、人は結局模倣から全て逃れることはできない。けれど全く鏡写しにできるかと言えばそれも難しいし、逆に多少のズレやブレがあっても同じような機能を発揮できる場合もある。コウは真昼やセリのモノマネを完璧にはできないが、一方でこの8話では夜に時間帯が変わってもコウ・アキラ・真昼の幼馴染3人は再び一同に会している。「夜景見ながら食事」の吸血にしても、描かれない顔と吸血音はどこか長い長い口づけのようでもある。
 

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アキラ「あんたらの会話、ちょっとキモいんだけど」
 
喜びというのは案外、完全な一致よりも一見不揃いな、奇妙な一致の方にこそ感じられるものだ。自分達が同じ人間である確認と、一方で唯一の自分という個を感じられる矛盾を包み込む余地はこのギャップの中にこそある。そういうところでこそ、人は人たり得ることができる。
 
憧れるがどうしてもモノマネできない友人・真昼。彼との再会は、コウが吸血鬼を目指す上でも大きな意味を持つことだろう。恋も自我も多くの人が同じように抱える一方で一つとして同じものは存在せず、それを知ることで私達はモノマネや憧れの先へ進めるのだ。
 
 

感想

というわけでアニメ版よふかしのうたの8話レビューでした。モノマネだけだとちょっと書くのに足りなかったのですが、真昼が人の身で既に吸血鬼同然なのではという見立てを組み合わせると考えられることが広がっていきました。あとコウに対するセリの反応が「萌えてる」感じで懐かしい。まるで顔文字が絵になったかのようだ。
 
アキラの再登場も嬉しかったですし、コウにピンチを指摘する際に段階に合わせて鉄棒に対する高さを変えていくなど視覚的に面白い場面もたくさんありました。さてさて、危険な香りも漂ってきましたが今後の展開は。
 
 

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*1:あるいはこの初登場すらプラスに働いている

*2:恋愛と友情の垣根を取り払って考えるなら、これはほとんど浮気にも等しい