ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 第15話「ウルトラセキュリティ懲罰房」
(公式サイトあらすじより)
1.困難な支配
前回、仲間の一人であるエルメェスが仇敵スポーツ・マックスを撃破したことで彼の「記憶DISC」を入手した主人公・空条徐倫。この15話はDISCが再生したスポーツ・マックスの記憶から始まるわけだが、そこで見えてくるのは支配というのがいかに困難であるかだ。
スポーツ・マックスは徐倫の父承太郎の生命を盗んだ宿敵、ホワイトスネイクによってスタンド能力を与えられた男だ。外ではギャングとして鳴らした彼もホワイトスネイクには頭が上がらず、乱暴な扱いを受けても反感を抱く様子もない。が、かといって彼がホワイトスネイクに忠実に動けているかと言えばそれも誤っている。
ホワイトスネイク「こ、これは一体!? 骨はどこだ!?」
ホワイトスネイクがスポーツ・マックスに「リンプ・ビズキット」のスタンド能力を与えたのはそれによって親友DIOの骨を蘇らせ、彼が生前語っていた「天国に行く方法」を突き止めるためだった。それ故たかだか骨片一つで蘇らせられるか疑問視するスポーツ・マックスに高圧的に接したりもするが、直後に彼は既に骨の蘇生を試みておりそんな脅しをする必要はなかったことが判明する。また蘇らせたものはスポーツ・マックスの意のままになるのが通常だが、DIOの骨は彼の能力ではコントロールできずホワイトスネイクも気付かぬ内に別の場所へ移動してしまっていた。DISCによって人を操るホワイトスネイクは支配能力に長けた存在であるが、そんな彼もスポーツ・マックスやDIOの骨を自分の意思そのままに支配することはできていなかったのである。
F・F(なぜか一発目が命中するというイメージが思い浮かばない! どこを狙っていいのか分からない!)
人や何かを支配する、というのは能力や才能があっても難しい。例えば徐倫の仲間の一人である少年エンポリオは「物体の幽霊」を操るスタンド能力によって本作の舞台である刑務所内を自在に移動できるかのように描写されてきたが、今回徐倫が収監された厳正懲罰隔離房(ウルトラセキュリティハウスユニット)は刑務所内でも特殊な立地になっており彼すら忍び込めないことが明かされる。エンポリオにとって刑務所は生まれ育った庭のようなものだが、そんな彼でも刑務所内の移動を全て支配できるわけではなかった。また同じく徐倫の仲間であるF・F(フー・ファイターズ)にしても、エンポリオの隠し部屋に住む男アナスイを戦力として自分の能力で支配しようとした時に感じたのはそれができるイメージが全く湧かないという現実であった。
DIO「どんな者だろうと、人にはそれぞれその個性に合った適材適所がある。王には王の、料理人には料理人の……それが生きるということだ。スタンドも同様、強い弱いの概念はない」
自然界の実態が弱肉強食ではなく適者生存であるように、誰かが他の何かを足蹴にするような分かりやすい支配や一直線の関係は実際にはなかなか存在しない。骨を蘇らせられたDIOにしても生前は自らを頂点に立つ存在と自負して疑わない存在であったが、今回の回想ではあらゆるスタンド能力に適所があり強い弱いの概念はないことを語っている。「王には王の、料理人には料理人の……」というように、王がいかに強大だろうと料理人の領域そのものまで従わせることはできない。実際の支配とはそれとは別の、もっと目に見えない部分でされるものだ。
2.見えない支配
人は目に見える支配を行ってもその奥底までは支配できないが、一方で世の中には見えない支配がある。今回登場するスタンド「サバイバー」は、その象徴とも言える存在だ。
DIO「調査隊が調べたところ、お互いが山の中で格闘した形跡があった。全員が全員で殺し合ったというわけだ」
DIOが発見したこのスタンドは、1982年に登山客6人が殺し合うという凄惨な事件を引き起こしたスタンドだ。彼らの遺体は自分の骨が折れるほど強力に筋力を使用した形跡があり、そこからは例えば4部に登場した「サーフィス」のように当人の意識を無視して体を操るスタンドが想起されるところだが――実態は違った。スタンド使いである山小屋の主人はなんと、登山客の一人に体臭を馬鹿にされたことに「内心ちょっと怒る」以上のことはしていなかったのだ。
サバイバーの能力の正体は、スタンド使いから地面を伝播して周囲の人間を怒りやすくし、闘争的な本能を刺激するというもの。つまり登山客はあくまで自分の意思で自分の体のリミッターを外し、勝ち残った者すら下山できないほど後先を顧みない戦いを繰り広げたに過ぎなかった。この状況の恐ろしさは原作が発表された2000年代初頭よりむしろ、アニメ化された2022年の方が想像しやすいのではないだろうか。SNSで見られる論争の加熱した状況をリアルに置き換えたなら、おそらくそれはサバイバーが引き起こした事件と同じ様相を呈するだろう。
ホワイトスネイクの本体であるプッチ神父が何者かにサバイバーのスタンド能力を付与した結果、ウルトラセキュリティハウスユニットは大混乱に陥る。仲良く囚人をいたぶって楽しんでいた看守二人は些細なことから喧嘩を始め、その一人ヴィヴァーノ・ウエストウッドは相手を半身不随と思えるほどの重傷にしただけでは飽き足らず「ファイト・クラブ」ごっこのために隔離房の囚人達を解き放ちすらしてしまった。
ウエストウッド「気をつけてよ。着替えは本館まで戻らねえとないんだからよ……」
登場当初のウエストウッドはどちらかと言えばのんびりした口調で話しており、こんな行動は普段の彼からは想像もできないものであることが伺える。だがウエストウッドはサバイバーに操られたのではなくほんのちょっぴり怒りやすくさせられただけであって、その行動はあくまで自分の意思で行われたものである。彼は自分の頭で考えて相棒の下半身をへし折り、自分の最強を証明するなどと口にしているのだ。それは自分で考えているようで実際のところ、自ら何かに従属している――「支配」されているのと変わらないのではないか。これはけして、サバイバーの実在しない世界に住む私達も無縁な話ではない。
情報にあふれた現代、自分の頭で考えることが大切だと言う人は多い。けれど自分の頭で考える人間は同時に、自分の頭の限界を超えることができない。相手の立場に立って現実的な方策を考えているつもりでその内心には理解を寄せないし、主義主張から距離を置いているつもりで実際は別の主義主張を内面化してしまっている自分に気付かない。自由に思考しているつもりでその実、自分のバックボーンになっているものに「支配」されていることに気付かない。
認識できない支配に対して人は、逆らうことをそもそも発想できない。支配されている自覚すらない。見えない支配というのは目に見える抑圧より遥かに持続性が高く、故に見えない支配を成した時こそ支配は盤石なものとなる*1。劇中でもスタンド能力を知る徐倫以外の人間(看守・囚人)は誰一人としてこの異常事態を異常と認識できていないが、これは歴史の渦中にいる私達がいつだって自分の似姿として見ることのできるものであろう。マスコミの報道しない情報であるとかネットリテラシーであるとか、そんなものではおそらくこの牢から脱獄することはできない。
プッチ神父「懲罰房棟なら何が起ころうと構わない! あの4人が間違いなく、承太郎の娘を消去するまでやりつくしてくれるだろう!」
看守ウエストウッドは相棒に勝った自分を讃え「俺が最強だ!」などと叫ぶ。腕力で抑圧することで、相手を支配できたと考えている。それは間違いではないが、彼がサバイバーに影響されていることやそもそもこの状況はプッチ神父が仕組んだものと知っている我々からはいささか滑稽だ。ウエストウッドが、あるいは送り込まれた他のどの刺客が徐倫を倒そうが、結局彼らはプッチ神父の掌の上で動いているに過ぎない。
暴力による支配は確かに恐ろしい。しかし、奴隷が自らを奴隷と認識しなくなってしまうような見えない支配はそれ以上に人の心に根を張ってしまうのである。
感想
というわけでアニメ版ストーンオーシャンの15話レビューでした。サバイバーで起きることってSNSの論争みたいだな、という思いつきから書くことがしばしば脱線しまして、繰り返し迷子になりながらこんな感じのレビューが出来上がりました。サバイバーの能力が原作よりも前倒しで紹介されたことで、看守の放水の果たした役割が分かりやすくアニメ向けになっていたなと思います。あとそういえば、刺客じゃない囚人にもあんなデザインのとかこんなデザインのとかいましたっけ。シンプルにバトルという感じのウエストウッド戦、どういう映像になるのか楽しみに待ちたいと思います。
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見えない支配――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」15話レビュー&感想https://t.co/iptlrO7gkD
— 闇鍋はにわ (@livewire891) October 22, 2022
スタンド「サバイバー」が示す、厄介な支配の形について書きました。#jojo_anime#ジョジョの奇妙な冒険 #ストーンオーシャン