ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン 第21話「AWAKEN -目醒め-」
(公式サイトあらすじより)
1.遠近のパラドックス
21話は2つの出来事が描かれる話だ。刺客であるDアンGを追ってきたF・F(フー・ファイターズ)と宿敵ホワイトスネイクの本体・プッチ神父の遭遇。そして徐倫とアナスイによる、DIOの骨から生まれた『緑色の赤ちゃん』の追跡劇。F・Fの敗北に終わる前半もショッキングだが、今回は後半の追跡劇の方に先に触れておきたい。
DアンGのスタンド『ヨーヨーマッ』に飲み込まれていた卵から孵った緑色の赤ちゃんを追っていた徐倫達だが、気がつけばその背丈は本来の半分ほどまでに縮んでいた。赤ちゃんはなんと自分に近づく者を縮小させるスタンド能力の持ち主であり、アナスイによればそれは赤ちゃんに永遠に追いつけないことを意味する。
赤ちゃんまで1/2の距離を進めば身長が1/2になって残りの距離は1*2に。1/4なら1*4、1/8なら1*8……ゼノンのパラドックスの一つ、アキレスと亀の例えをほうふつとさせる能力だが、注目したいのは進んだ距離と残りの距離の関係だ。進めば縮んだ分見かけ上の残りの距離が増え、戻れば遠ざかった分実際の残りの距離が増えるので結局どちらもゼロにならず、追跡者は永遠に目標に到達できない。緑色の赤ちゃんの能力が引き起こしているのは「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」パラドックスなのである。そして、このパラドックスが起きているのは実は前半でも同様だ。
2.F・Fのパラドックス
F・F「この露出した体で30秒持つか? 水がいる!」
普段は女囚エートロとして振る舞っているF・Fだが、その正体は人間ではない。ホワイトスネイクがDISCを操るスタンド能力によってプランクトンに知性を与えたことで生まれた新生命であり、その価値観も当初は殺人も意に介さない人間離れしたものであった。しかし徐倫との戦いで肉体的にも精神的にも敗北し仲間となって以降、その思考は大きく変化したことが今回のモノローグでは語られている。
F・F(今は分かる。生きるということは、思い出を作ることなんだと。それを失うことだけが怖い)
彼女は独白する。ホワイトスネイクのDISCの番人としての生活の記憶は、年数の割にあまりに味気なかったと。徐倫と出会って以降のことは、それ以前より遥かに短いにも関わらず些細な音や匂いまえ記憶に残っていると。回想する中でF・Fが確信したのは、そういう思い出こそが知性だと、人間のエネルギーなのだということだった。徐倫との出会いによって"彼女"は本当の意味で生命に、人間同然の存在になったのだ。だが、だからと言って彼女が人間と同じ行動をとるわけではない。
ホワイトスネイクの妨害を受ける中、F・Fは様々な形で人間にはできない戦法を見せる。あえてエートロの頭を撃って飛び散らせた体液を経由してDアンGを暗殺したり、プランクトンの集合体なのを利用して自分を2つに分けて(片方を囮にして)徐倫にホワイトスネイクの正体を知らせに行ったり……こんな無茶な芸当ができるのは彼女が徐倫に人間的な感情を抱いているからこそで、つまりF・Fは精神的に人間に近づけば近づくほど肉体的には人間との違いを際立たせることになる。F・Fの精神と肉体は「(人間に)近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」パラドックスを起こしているのだ*1。
F・F「徐倫――――ッ!!」
独自の強みを最大限に利用したF・Fの活躍は見事なものだったが、善戦虚しく徐倫のところには戻れずホワイトスネイクに始末されてしまう。プランクトンの集合体ゆえケンゾー戦では頭を斬り飛ばされようが倒れない不死身ぶりを見せていた彼女は、水を熱湯に変えるスタンドDISCを仕込まれプランクトンゆえにそれに耐えられなかった。序盤の徐倫達を強く思う描写が死亡フラグとなっていたわけだが、読者視聴者に生きてほしいと強く思わせ死を引き立たせるこの手法はそれ自体が「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」パラドックスを起こすテクニックとして捉えることも可能だろう。そして、後半の徐倫達もまたこのパラドックスに立ち向かわなければならない。
3.抜け出せないパラドックス
前半のF・Fの敗北が後半と同じパラドックスを孕んでいることは前段で記したが、本命はやはり後半にある。緑色の赤ちゃんには「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」パラドックスを自動的に発生させる力があり、赤ちゃんへの到達はパラドックスへの一つの解になるためだ。
徐倫「飛び降りれば終点はあるわ。地面が終点なのよ! 必ず着地する!」
赤ちゃんのスタンド能力の性質を知った徐倫は、それでもなんとか近づく方法がないか試行する。横方向に近づいても永遠にたどり着けないなら、上から下へ落下したならどうか。目標を動く赤ちゃんではなく地面に変えたなら終点にたどり着けるのではないか……と。しかしこれは目的を達成するどころか、いっそう事態を悪化させてしまう。赤ちゃんのスタンド『グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホーム』には拡大縮小を操る人型のビジョンがあり、落下によってこれを目覚めさせた彼女は赤ちゃんへの接近だけでなく攻撃への対処まで求められることとなった。
徐倫「な……なんだ、こいつは!?」
今回の最大の問題は遠近のパラドックスであり、F・Fの敗北や徐倫の失敗の理由は「近づくことで近づこうとした」点にある。もちろんこれは感覚的には正しい。近づけば近づくのが普通なのだ。だが個々人や一部署にとっての最適化が全体では不利益をもたらす(合成の誤謬)こともあるように、近づき方は一つとは限らない。パラドックスに悩まされているなら、むしろパラドックスの逆利用に活路がある。「遠ざかることで近づ」こうとすればいい。
アナスイ「瓶には到達できた! スタンドは今瓶の中にいる!」
グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホームが巨人に見えるほど小さくなってしまった徐倫達は迫る敵スタンドから逃げようとするが、アナスイは同時に一つの罠を仕掛けていた。スタンド能力による縮小には赤ちゃんが触れたもののサイズは変わらない例外があることが分かっていたが、彼は事前に赤ん坊に触れさせていた瓶に逃げ込み、追いかけてきたグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホームを逆に閉じ込めてしまったのだ。
アナスイ(こうなることを計算して瓶を転がしたというのか!? くそっ、なんてことだ!)
アナスイはこのアイディアを「追っても捕まえられないなら、追いかけさせればいい」と語るが、彼がやったのはまさしく「遠ざかることで近づく」発想でありパラドックスの逆利用であろう。ただ、必ずしも完璧ではない。結局のところアナスイも赤ちゃんに近づこうとしているのは変わらないのであり、ならば遠ざかることを止めた瞬間にパラドックスは再び牙をむく。グリーン・グリーン・グラス・オブ・ホームを瓶に閉じ込め連動して本体の動きも封じたつもりのアナスイは、制限された動きの中で赤ちゃんが蹴っ飛ばした瓶によって下半身を潰される危機に陥った。知恵を働かせて勝利に接近したはずが、今度は逆に赤ちゃんの知恵によってそこから遠ざけられたのである。
4.遠近から"離れる"
アナスイの危機に際し、彼女は救出のため自身のスタンド『ストーン・フリー』で瓶を割ろうとした。言うまでもなく、これは赤ちゃんを捕まえる目的に反するものだ。アナスイが指摘するように、出てきたグリーン・グリーン・グラス・オブ・ホームに捕まっていっそう酷い結果を招く可能性もある。だが徐倫にとってはこの時、目の前でアナスイが死にそうになっているのが唯一にして最大の問題だった。赤ちゃんを捕まえることもそれによってホワイトスネイクに奪われた父の記憶を取り戻すことも、全て頭から「離れて」いた。そう、彼女はアナスイ以上に目的から遠ざかっていたのであり、だからそれが逆に最接近に繋がる。
徐倫「な……なんなのよこれ!? ど、どうなってんのよ!?」
一心不乱にアナスイを助けようとする徐倫は赤ちゃんに背を向け、赤ちゃんはそこで目にした徐倫の星型のアザに興味を惹かれて攻撃を止める。どころか自ら彼女に触れ、ほとんど懐いたとすら言える状態になった。思わぬ形だが、もちろんこれは目的の達成である。スタンド能力を使ったわけでも知恵を働かせたわけでもないが、徐倫は「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」パラドックスの先に到達したのだ。そしてこれはけして、単なるご都合主義などではない。
私達は何かを欲した時にそれを手に入れるため努力を重ねるが、本当に欲しいものは欲しているもの自体 とは限らない。ゲームを買う時欲しているのは夢中になる時間や誰かと一緒に遊ぶ時間であったりするし、宝物を探す旅に出た主人公がむしろ入手までの経験の方に価値を見つける終わりを迎える物語は珍しくない。欲しているものへの最短ルートの構築が、むしろ本当に欲しい物へのルートを閉ざしている場合もしばしばだ。だから時には欲しているものに近づいているか、遠ざかっているか自体から「離れる」ことで道が開ける場合がある。何かで頭がいっぱいの時はいったんそれを全て忘れた方が良い結果を生むものであり、今回の徐倫がやったのはまさしくそういうことであろう。目的を度外視してアナスイを助けようとした彼女は赤ちゃんの捕獲という目的をひとまず忘れ、「離れ」ていた。ならば、それが元々欲していたものの獲得に繋がったのにも一定の道理がある。偶然が転がり込むだけの余地がそこにはある。
今回の出来事は新生命やスタンド能力といった現実には存在しないものを対象に描かれているが、「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」パラドックス自体は私達にも縁のない話ではない。いや、現実には存在しない=遠いからこそ私達に近いものを描けているとすら言えるかもしれない。
最短距離をひた走っているはずが道を見失う落とし穴は、効率化の進んだ現代社会ではあちこちに潜んでいる。遠近のパラドックスに苦しめられていると感じた時、この21話は一つのヒントになってくれるのではないだろうか。
感想
というわけでジョジョ6部のアニメ21話レビューでした。最初は「卵が先か鶏が先か」とかで書けないか考えたのですが全然しっくりこなくてですね。「近づけば遠ざかり、遠ざかれば近づく」パラドックスを思いついてもそこから「離れる」発想が生まれるまでに更に時間を要しました。拘泥や執着から離れる、ということですね。
やっぱり6部ではF・Fが一番好きなキャラだなと思います。さてさて、最終シーズンが連続放送ではありますがシーズン2も残り少なくなってきました。次回はシーズン2の山場だと思うので、アニメで見るのが楽しみです。
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遠近のパラドックス――「ジョジョの奇妙な冒険 ストーンオーシャン」21話レビュー&感想https://t.co/utyoE5pc2E
— 闇鍋はにわ (@livewire891) December 3, 2022
緑色の赤ちゃんの能力とF・Fから見える矛盾、そしてその超克について書きました。#jojo_anime#ジョジョの奇妙な冒険 #ストーンオーシャン#アニメとおどろう
*1:これは敵対時は人間への擬態が完璧だったはずが、仲間になってからは正体が分かりやすくなっていたアニメ6~9話の描写からも言える